#4
そして季節は巡り、今は夏。
俺は珍しく土曜に休みをもらって、競技会に出かけることになった。
「よければきてね」と雪村選手……最近は「雪村」と呼べと再三言われてる……自ら、手渡されたチケットを両親の鼻先でチラつかせたところ、「常連さんの応援じゃ仕方がない」「どうせ夏場は暇だし」と割と簡単に送り出された。
あれ以降、彼女の記録は俺が思うほどにはぽんぽん伸びず、その腹にうちの甘味モンスターが吸い込まれたのは、あれから二回。しかも、参考記録込みなのだけども。
「でも、今日は……やらないと……」
代表選手になるためには、複数の大会で一定以上の成績を修める必要がある。ここで勝てれば、当確間違いなし。負ければ……秋以降も過酷な選抜レースを戦い続けなければならない。もちろん、いち早く五輪出場を決めれば、その分、準備期間も長く取れる。
だから。
「やらないと」
まるで自分が跳ぶような心情のまま、俺は競技場へと向かった。
くぐった会場の中は、観客と選手の熱気で更に暑い。さまざまな競技が広いフィールドのあちこちで始まっては終わり、終わっては始まっていた。
そんな楕円の戦場の中央寄り、彼女の姿はあった。いつにも増して張りつめた面持ちで、前を見ている。黒い砂地と白い踏切板。風はいっそう熱く容赦がない。彼女の命がけの戦場を、真夏の光が残酷なほど明々と照らしていた。
『ゼッケン16番、雪村さゆみ。日東通運』
朗々と響くアナウンスは、昇天ラッパの響きの如く。周囲が、束の間、静まり返った。
赤いのランプが鮮やかに照り、いけと選手に告げる。1分の間にスタートを切らなければ失格だ。
彼女の肩が、一度、大きく揺れる。力強く大地を蹴って、走り出す脚。しなかやな筋肉の力を最大限に爆発させるべく、助走。そして、ジャンプ。
だけど。
「ああっ」
失望の声が重なる。
いつもなら滑るように空を駆ける体が、力強く風を追い越す脚が、まるで足掻き溺れているかのようだった。
そして、彼女の体は、落ちた。
いままで見た中で、ずっとずっと早いところで。
ランプが再び赤く光る。禍々しいその色は警告と危険の印、ファールの合図だ。
「無効試技? あの雪村が?」
「まあいい、次だ、次」
3本跳んで、もっともいい記録だけが残る。それが、走り幅跳びだ。
だけど。
この日の雪村さゆみは跳べなかった。
記録、6メートル73センチ。日本レコードにして自己ベストの6メートル88センチとの差は、実に―――15センチ。
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