#2

 それから、数ヶ月後。彼女はまた俺の店に現れた。8月の暑い盛り、ケーキの売れ行きが一年でもっとも落ち込む頃。いっこうに中味の減らないショーケースを見下ろし、溜め息をついてた真っ最中に現れた女性客を、もちろん俺は覚えちゃいなかった。


「そのショートケーキ、丸ごとください! プレートは『ゆっきー、祝・新記録』で!」


 と、言われるまでは。


 食ったのか? あれを、本当に一人で? 心底、呆れた。と、同時に思わず手を合わせたくなった。こういう人があと三人ぐらいいてくれると、すげえ助かるんだけど。


 更に、その数ヶ月あと、また彼女はやってきた。


 秋の栗やイモ系菓子が満載充実している中なのに、ご注文はやっぱり5号ショートケーキまるごとワン・ホール。そして、サービスのプレートはまたも『祝・新記録!』だ。


「あの人って、いったい何者? 記録ってなんの?」


 厨房でプレートを作る親父の傍ら、俺は思わず呟いた。が、直後にすぐ反省する。個人情報に厳しい昨今、お客さまのあれこれに興味を抱くのは褒められたことじゃない。

 なのに。


「あの人ね、陸上の選手だよ」


 大きな箱を抱えて出ていく彼女の背を見送りながら、うちのオカン(レジ及び経理担当)はさらっと言いやがった。


「ほら、川沿いにでっかいグラウンドあるじゃない? あれ、よく駅伝とかにも顔出す実業団のなんだって、肉屋の奥さんが」


「これだから田舎の商店街は! お客の事情をすぐ言っちゃうのはどうかと」


「別に秘密にしてることでもないみたいだからいいのよ。あんた、先週のタウン誌見なかったの? あの人、名前から何からばっちり載ってたのに」


「ま、まじでー?」


 次の休憩時間、俺は慌ててスマホに飛びついた。重たいPDFのデータしかページになく苦心惨憺する羽目になったけれど、なんとか目当ての情報は引っ張り出せた。


『目指せ、東京五輪! 日本期待のジャンパー 雪村さゆみ』


 そんな見出しの横に、あの笑顔があった。ちょっと太めの眉、真剣なときは怖いぐらいだが笑み崩れればどこまでも朗らかな二つの瞳。


「ゆっきー、て。名字の方だったのか」


 てっきり、「ゆきこ」とか「ゆきな」とかいう名前なのかと思ってた。


 種目は、走り幅跳び。えいっと飛んで砂地に降りる、あれのことらしい。


 ふむふむと俺は記事を読み続け、数分後には涙ぐんでいた。


 体重が軽い方が有利な競技だから、日頃は厳しく食生活を律している。けれど、新記録が出せたときだけは、お気に入りのケーキ屋でホール丸ごと一人で食うと。


 極端ですね、というインタビュアーのツッコミに対する彼女の答えは、


『そこのお店とっても美味しいから、ぺろって食べられちゃうんです!』


 なんて、ありがたいお言葉だろう。


 やれ、でかいだ重いだと言われてるうちのケーキを、こんな風に言ってくださる人がいるとは。もう、あれだ。お客さま、改め、女神さまだ。

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