後編
そんな風にして、他愛ない会話を繰り広げる十五夜さんと僕。
ちなみに、こうして会話している間も、十五夜さんの視線は盛大にズレている。
僕も対抗して十五夜さんの十五センチ上を見上げてやろうかと思ったけれど。
それで出来上がるのは、放課後の教室で虚空を見つめ合う二人組だ。
どう見てもヤバイやつですよね。
七不思議として、確実に学校の歴史に名前を刻んでしまうやつですよ。
だから、素直に真正面から十五夜さんを見る。
視線を上に向けている十五夜さんと目が合うことはないけれど。
代わりに視界の中心に来るのは、無防備にさらけ出された、十五夜さんの首筋。
折れてしまいそうに華奢な、白い首筋に向けて、僕は問いかける。
「こんな時間まで残って、十五夜さんも何か用事があったのですか?」
「 用事。そうね、用事と言えば用事ね」
ん?
何だ、今の。
「何か、今、妙な間がありませんでした?」
「 気のせいじゃないかしら」
「気のせいじゃないような……」
「 疲れているのね、きっと」
「いや、疲れじゃないですよ絶対!!」
何と言うか、ズレている気がする。
具体的に言うと十五文字分くらいズレているような気がしますよ!!
「大丈夫? 一回落ち着いたらどうかしら」
「 あれ、元に戻って……って、あれぇ!?」
「今度はどうしたの?」
「 今度は僕が!?」
十五夜さんが元に戻った分、今度は僕が大変なことに。
とんでもなく恐ろしい何かが起こっていませんか?
「 何か、致命的にズレている気がするんですけど!?」
「大丈夫よ。ズレているとしたら、それはアナタではなく、世界の方なのだから」
「 いきなりカッコイイことを言いますね……でも、それと僕が感じているこの恐ろしい何かはどういう関係が」
「仮に、一文字一センチとすると、しめて十五センチ分のズレということ。キーワードは無事に回収したわね」
「 いきなり何を言いだすんですか!?」
別に深く追求するつもりはありませんけど。
それは多分、超えてはいけないラインなのではないですか。
まさか、それすらも、ズレているの一言で処理するつもりなんですか?
とにかく、落ち着いて深呼吸だ。
深く深呼吸して、もう一度。おっかなびっくり言葉を発する。
「じゅ、十五夜さん……?」
「何?」
「……良かった。戻っています」
一センチのズレもなく発せられた僕の言葉に、胸を撫で下ろす。
あのまま続いていたら、とんでもなく厄介なことになっていたに違いない。
具体的に、どう厄介なのかは分からないけれど。
「話は戻りますが十五夜さん。その用事というのは、何だったんですか?」
「…………」
「確か、書道部も今日はお休みの筈ですし」
「…………」
「あ、書道部が休みだと知っているのは、ついさっき先生から聞いたからですけど」
「…………」
「実は、さっきまで書道部の顧問の先生の荷物を運ぶ手伝いをしていたんです」
「…………」
「……あの先生って、いつも僕に用事を頼んで来るんですよね」
「…………」
「………………ウホウホウホホ」
「…………」
どうしよう。十五夜さん、全スルーだ。
余りに反応がないからやってみた、平泳ぎするゴリラのモノマネもスルーだよ。
「それはね。夕陽を見ていたの」
「……え?」
「そうね。今日は書道部は休みよ」
「あ、あの?」
「そうなのね」
「十五夜さん?」
「確かに、誰か手伝ってくれる男子を探していたわね」
「ちょっと」
「信頼されているってことじゃないかしら」
「おい」
「急にゴリラの真似をされても、リアクションに困るんだけど」
「あれぇ!?」
さっきまでとは打って変わって、十五夜さんのターン。
僕が口を挟む隙もないぐらいに矢継ぎ早に、言葉を発してくる。
しかもその内容は、先刻の僕の質問に対する返答になっていて。
「って、答えるタイミングがズレ過ぎていませんか?」
十五夜さんの返答はどれも、少し前の僕に対する返答。
具体的には、十五行分前の僕に対する返答だ。
そして、十五行分前のモノマネに対するダメ出しでもある。
「そもそも、ゴリラがただ平泳ぎすることに意外性は無いわよね。せめて個人メドレーに挑戦するぐらいのエンターテイメント性は欲しいところよ」
「ズレずにひたすらダメ出しされた!?」
てっきり、また十五行分後に返事が来るのかと思っていたのに。
ダメ出しは別腹ということですか。
いや、別に、ズレて欲しい訳ではないんですけれども……。
「はぁ……」
さっきから、変な風に僕を振り回し続ける十五夜さん。
ところどころズレている十五夜さん。
しかし何故か僕は、十五夜さんがふざけたり、ただ僕をからかって面白がっているようには思えなかった。
というよりも、むしろ。
十五夜さんは僕に対して、真剣に、真摯に向き合っているかのような気がして。
まるで、ズレていることで何かを伝えようとしているかのような気さえして。
だから僕は、
十五センチ上にズレたままの十五夜さんに問いかける。
「十五夜さん、聞きたいことがあるんです」
「今日の晩御飯はカレーよ?」
「聞きたいことはそれじゃないです!」
「明日の朝御飯は残りのカレーね」
「いえ、確かに、二日目のカレーは美味しいですけれど、そうじゃなくて」
「アナタ、食べに来るわよね?」
「行きませんよ!?」
僕のなけなしの決意は、カレーによって弾かれた。
というか、いきなり家にお邪魔してカレーを御馳走になるなんて、どんな関係ですか。
十五夜さんと僕は、家族でもなければ、生き別れの兄弟でも無いんですよ。
「大丈夫。ちくわ入りチキントマトカレー甘口だから」
「そういう問題じゃなくて! というか、何で僕の大好物を知っているんですか」
「それは、お母様から教えて頂いたからよ」
「どうしてうちの秘伝のレシピを知っているんですか。門外不出の筈ですけど」
「……いずれ分かるわ、いずれね」
訳知り顔で、敵か味方か分からないようなことを言う十五夜さんだった。
本当、何で知ってるんですか。僕ですらまだ教えて貰ってないんですけど。
「と、とにかく、カレーのことは良いんですよ!」
カレーの話をしたせいで、やけにお腹が減ってきた。
さっさと話を進めて、この訳の分からないズレを埋めよう。
「僕と話す時、十五夜さんはどうして、十五センチ上にズレた場所を見て話すんですか?」
聞いた。ついに、聞いてしまった。
「…………」
十五夜さんは、僕の質問を聞いても、別段表情を変えずに。
しかし、十五秒ほどおいて、言葉を発する。
「ズレている、って?」
「はい」
「それは生え際の話?」
「いやズレていませんよ!?」
思わず自分の頭を触ってしまったじゃないですか!!
ズレていない。何もズレていない。
というか、そもそも何もかぶっていませんし!!
「ごめんなさい、ズレてなんかいないわね」
「当たり前です。いきなり何を言うんですか」
「今はまだ、ね」
「何でそんなこと言うの」
分かんないでしょ。
未来の事なんか分かんないでしょ。
確かに、父は毎朝ブラシに付いた頭髪の本数を数えては溜息を吐いていますし。
親戚のおじさん達も、若干眩しい感じの人の占める割合が多いですけど。
「だからって、分かんないでしょう! 未来のことは、誰にも!」
「そうね。未来のことは分からないわね。普通は」
思わず熱弁してしまった僕に対して、十五夜さんは静かに頷いた。
まるで、逃れられない運命を告げる予言者の如く、深く、静かに。
そうして、次に顔を上げた時の十五夜さん。
その瞳には、先程までと違う何かが宿っていた。
いや、まあ十五夜さんの視線は上に十五センチほどズレている訳で。
僕がその顔を真正面から見ることは、相変わらず叶わないのだけれども。
しかし、確かに何かが変わったと、そう感じてしまった。
「ごめんなさいね」
まるで、隣の席の十五夜さんが、
突然、全く知らない人に変わってしまったかのような、そんな違和感。
「アナタのことを、傷付けようと思った訳ではないの。でもそれは、私のワガママだったのかも知れないわね」
「……え?」
「私は、アナタを良く知っているけれど。アナタは、私のことをまだ、知らないのだから」
十五夜さんの真剣な声。
その視線は、相変わらず、僕の十五センチほど上へと向けられているけれど。
しかし、何故か確信があった。
今、十五夜さんが、確かに僕を見ているのだという確信が。
十五センチほどのズレを、保ったままで。
けれど、確かに僕は十五夜さんに見られている。
真正面から、十五夜さんの瞳で、射抜かれている。
ズレなんて、最初から全く存在していないかのように。
「ズレている、なんてつもりはなかったんだけど。でもアナタからしたら、頭のおかしな女に無視されたり、からかわれて、嫌な思いをしているだけなのよね」
「そ、そんな……」
そんなことはない、と告げようとして、言葉が止まった。
その理由は、十五夜さんに無視されても、からかわれても、僕はそんなに嫌な思いをしてはいなかったからで。
しかし、言葉が止まった大きな理由は、もう一つ。
十五夜さんが、僕の身体をぎゅっと抱き締めたからだった。
「え、えええええ!?」
「大丈夫よ」
いやいやいや。
ちっとも大丈夫ではないんですけど!?
顔を上に向けた状態で抱き寄せられたせいで、
僕は、十五夜さんの首筋に顔を押しつける形になってしまっている。
制服の襟から伸びる白い首筋からは、十五夜さんの熱や、匂いや、柔らかさが、直に感じられて。
やっぱり、ちっとも大丈夫ではないですね!!
「良いじゃない、そんなにジタバタしなくても。女子の匂いをこんなに間近で嗅げる機会なんて、しばらく無いんだから」
「むむー!!」
「あまり暴れると大声を出すわよ? 生徒は帰っていても、先生は残っているわよね」
「…………」
はい、動きません。
というか、動きたくても動けません。
それは、もう。
ちょっとやんごとなき事情で。
「それとも、下半身的な事情で動けないのかしらね」
「むー! むー!!」
「やっぱり良いわね、若いってことは」
「むむむむー!!!!」
十五夜さんは、僕の耳元で妖しく囁く。
「ごめんなさい。本当は、アナタのアルトリコーダーに溜まったモノを解放してスッキリさせてあげたいんだけど」
「!?」
「でも、それはもうちょっと先のことだから。今はせめて、これぐらいで」
少し寂しそうに十五夜さんがそう言うと、沈黙が訪れる。
僕から見ることの出来ない頭上で、十五夜さんが何かをしている。
いや、何をしているのかは、すぐに分かった。
こうしてきつく抱き留められ、視界を塞がれてもなお、分かってしまった。
「……え?」
何故なら、僕の唇に、温かいものが触れたから。
十五センチほどの距離を隔ててもなお、不思議な熱が、僕の唇に触れたからだ。
それは本当に初めてで、あり得ないことで、不思議な感覚なのに。
僕の心はそのことを、あっさりと受け入れてしまっていた。
知らない経験が、僕の中に満ちたかのよう。
僕であって、僕ではない誰かの感覚と繋がってしまったかのように、理解した。
どうして十五夜さんがズレていたのか。
十五センチというズレが、どうして存在していたのか。
僕の十五センチ上に、何が……誰が、見えていたのか。
その答えが、十五センチ上から、不意に降って来たのだと、そんな風に思った。
◆ ◆ ◆
どれくらいの時間が、経ったのだろうか。
僕の身体に残る熱が、ゆっくりと離れて行く。
「今日は、これくらいで我慢してあげる」
「……あ」
十五夜さんは、僕の身体をそっと押し退けると、名残惜しそうに微笑んだ。
微笑むと言っても、相変らずその視線は、僕の頭上に向けられているけれど。
でも僕は、そのことをもう不安には思わなかった。
「それじゃあ、すぐにお家に帰って、しっかりご飯を食べて、しっかり寝るのよ?」
「お母さんですか」
「ちゃんと牛乳も飲まないとダメよ」
「牛乳はあまり好きじゃありません……」
「知っているわ。でも、好き嫌いをしていたら、身長が伸びないわよ」
「牛乳を飲んだら本当に身長が伸びるんですか」
「ええ、伸びるわ」
そう告げる十五夜さんの声に、迷いや疑いは一切込められていない。
ただ、十五夜さんにとって当たり前なことを、一方的にぶつけるように。
「そうね、十五センチくらいは……絶対に」
それだけを言い残して、十五夜さんは教室から出て行った。
茫然と立ち尽くしている僕を、置き去りにして。
「……はぁ」
僕は、鞄の置かれた机に腰掛けて、溜め息を吐く。
結局、たった今、何が起きたのか、良く分からない。
確かなことは、何も分からないままだ。
教室の前に掛かった時計を見れば、ほとんど時間は経過していなかった。
随分と長い間、十五夜さんと話していたような気がしたのに。
まるで夢でも見ていたような、そんな気分だった。
「……十五センチ、か」
相変わらず、十五夜さんはズレたままで。
これだけ話した後でも、そのズレが埋まったとは思えない。
十五夜さんと僕は、恐らくこれからもズレ続けるのだろう。
僕達は、生きている限り、ズレ続ける運命にあるのかも知れない。
未来は見えない。
進む道の先に何が待つのかなんて、誰にも分からない。
だから、誰かとぴったり歩を合わせ続けることなんて、不可能で。
誰かとぴったり歩を合わせて進むことなんて、普通は不可能だ。
でも、元々、人と人との関係なんて、そんなものじゃないだろうか。
だったら、このズレを楽しみ続けるとしよう。
牛乳でも飲みながら。
いつか、十五夜さんと僕のズレが、正しく重なる時まで。
恐らくは、十五年後の、その時まで。
終わり
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