第三夜
中間テストを四日後に控えた、日曜の夜。香乃が自分の部屋に戻ると、香乃のベッドで寝転びながら香乃の漫画を読みふけっていたオジサンが「――やあ。おかえり、香乃ちゃん」と挨拶してくる。香乃はしれっとそれを無視。一直線にベッドへ向かい、
「どいて。邪魔」
オジサンを立ち退かせるや、ぼふんっと倒れ込んだ。そのまま枕に顔を埋め、深々と溜め息を吐く。床に降りたオジサンが、心配そうに訊いてきた。
「え、ええっと……なにかあったの?」
「別に。大したことじゃない」
枕に顔を押しつけたまま、くぐもった声で答える。香乃を見あげるオジサンの、困惑する気配が伝わってきた。
香乃は構わず、しばらく押し黙った後「はあっ」と再び嘆息し、
「…………オジサンが、お父さんだったらいいのに」
顔を横に向け、ぼそりと言った。香乃の言葉を聞いたオジサンは一瞬驚くような顔をしてから、くすぐったそうに目を細めると、苦笑しながら問いかけてくる。
「親御さんとケンカでもしたのかい?」
「……うん。まあ、そんなとこ」
体を起こし、ベッドの縁に腰かける香乃。イライラと呟いた。
「今日友だちと遊びに行って、帰ってきたら軽く叱られたんだよね……『テスト期間に遊んでいる余裕があるのか』とか言われてさ。まじ『はあ?』って感じ。ただの息抜きだっつーの、死ね! まじうざいっ」
「香乃ちゃん……親に『死ね』とか言っちゃだめだよ」
「うっさい。黙れハゲ」
「ハ、ハゲてる人に『ハゲ』とも言っちゃだめだよ」
「大体さあ――」
ハゲを両手で隠して注意してくるハゲを無視して苛立ちのまま、香乃は父親のことを
「ていうか、あたしが最近太ってきたのも絶対あいつのせいだしっ!」
「それはさすがに、八つ当たりじゃないかなあ」
「遺伝だよ! お母さんは痩せてるのに、お父さんだけ太ってるもん……はあ。デブの遺伝子、まじで迷惑。特に、お腹周りと二の腕がっ!」
「うーん、そうかな? 充分細いと思うけど」
「着痩せするだけだから」
「ふうん。まあ、おっぱいは太ってるよね。Gカップくらいかな。もっとある?」
「死ねやハゲ」
セクハラオヤジをぎろりと睨み、溜め息を吐く。ハゲで太っててキモくてうざいが、同じ中年オヤジでもこの小さいオジサンはやっぱり、話していてすごく楽しい。初めて会った夜のときからそうだった。だから、
「……あーあ。ほんと、オジサンがお父さんだったらいいのに」
香乃は上半身をぱたんっと横に倒して、オジサンと目線を合わせる。香乃に真っ直ぐ見つめられたオジサンが頬を掻き「ははは」と笑った。
「こりゃあまいったな。気持ちはとても嬉しいけれど、僕はこれでも『妖精』だから、君のお父さんにはなれないし。香乃ちゃんのこと、好きだけど……」
「けど?」
先を促す香乃に対して、真剣な眼差しでオジサンは言う。
「香乃ちゃんのお父さんはきっと、僕なんかよりもずっと香乃ちゃんのことが好きで、大事に想ってくれていると思うよ?」
「……そんなの、オジサンにはわからないでしょ」
「いいや、わかるさ。影で見ているからね」
つっけんどんな香乃の態度にめげることなく、オジサンは柔らかい声で続けた。
「僕と初めて会った前の日の夜も、香乃ちゃん、進路や成績のことでお父さんとケンカしたでしょ? それで次の日、ムキになって夜遅くまで勉強してたんだよね?」
「…………」
「僕は君が見ていないところでも君のことを見てるし、君が見ていないようなお父さんのことも見ているんだよ。当然、君が知らないようなことも知ってる」
「……なにそれ、覗き魔? キモいんですけど」
背中を向けて吐き捨てる香乃に、オジサンはどこまでも大らかな物腰で、
「香乃ちゃん。世の中にはね、なかなか人に知られない思いやりとか、気づかれにくい愛情もあるんだ。僕はそういう想いこそ、大切なんじゃないかと思うよ」
――と。優しく語りかけてきた。
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