第二夜

 あれから三日。身長十五センチの小さいオジサンはその後もたびたび香乃の前に姿を現し、積極的に絡もうとしてきた。

 

 あるときは早朝、鏡の前で身支度している香乃に棚の陰から「おはよう香乃ちゃん、化粧しなくても可愛いよっ」などといきなり声をかけ、手元を狂わせてくれたり。

 

 またあるときは母や弟と食事中、キッチンの角から顔を覗かせ指を咥えて、香乃たちが食べている夕飯を物欲しそうに眺めてきていたり(オジサンに気づいた香乃は派手に味噌汁を噴き、正面にいた弟の顔が味噌汁まみれになった)。

 

 あるいは家の外、学校の友だち数人と入ったカラオケボックスで、香乃が歌う楽曲に合わせて踊る姿を目撃したこともある。香乃は慌てて歌を中断し「ねえ見てっ、小さいオジサンがいる!」と主張したのだが、みんなが隅に視線を向けたときには忽然と姿を消しており、結果、大爆笑されてしまった。アハハ、なにそれ超ウケるー。


「……あのさ、オジサン」


 夜。英語の問題集を解きつつ、香乃はベッドでゴロゴロしているオジサンに訊く。


「明日、あたしと学校行かない? バッグの中とかに入って……」

「学校? いやあ、遠慮しとくよ」

「えー、いいじゃん。あたし、一緒に行きたいな♡」

「はは。そんな可愛いこと言って、友だちに僕の存在を証明してみせたいんだろ」


 バレていた。香乃はチッと舌打ちし、勘の鋭いクソオヤジを睨む。

 オジサンは香乃の布団に顔を埋めて「う~ん、イイ匂いだなあ」などとウキウキしていた。キモい。死ね。けど、この隙に――


「あ、証拠写真を撮るのもやめてね?」


 またバレていた。スマホを用意し、カメラを起動しようとしていた香乃はギクッと手を止め、唇を噛む。オジサンが苦笑した。


「写真や動画はNGなんだ。極力写されないように、注意しているんだよ。僕は誰にも知られず見つからず、影から人を手助けするのが信条モットーだからさ。香乃ちゃんは、他人が嫌がることを無理やりするような娘じゃないだろう?」


「…………はあ。なにそれ、意味わかんない」


 香乃は渋々スマホを手放して、ふてくされるように呟く。


「誰かの助けになったって、知られなかったら誰にも感謝されないし。オジサンには、なんの得もなくない? なんでわざわざ、そんなことしてるわけ?」

「人が好きだからだよ」


 尋ねる香乃に、オジサンはキッパリと答えた。香乃を見つめるつぶらな黒い瞳には、優しい光が浮かんでいる。


「僕は君たち人のことが大好きだから助けたい、力になりたい。そう思っているんだ。まあ僕にはなんの得もないけど、強いて言うなら『僕の大好きな人たちが、僕の助けで幸せそうにしている姿を見れること』が得かな?」

「いやいや……お人好しすぎるでしょ」


 香乃は呆れる。オジサンが「ははは」と快活に笑った。


「本当の愛というのは、見返りを求めないものだからねえ。例えば、家族愛とかさ」


 その単語を聞いた瞬間、香乃の表情が強張る。

「家族愛? ふんっ」


 鼻を鳴らして、毒づいた。

「――なにそれ。バカみたい」


 香乃はシャープペンを握り直すと、問題集に向き直り、口をつぐんで真面目にテスト勉強を進める。


 オジサンはそんな香乃の様子を哀しそうな目で見ていたが、その後は特に話しかけてくることもなく、知らない間にいなくなっていた。

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