その②


「付き合ってください」


 今日の放課後、自転車置き場で声を掛けられたのは、見たこともない女の子だった。大きな瞳とふっくらとした唇が可愛い、いかにも女子って感じの女の子。

 生まれて初めて告白されて、本当は相当浮足立っていたのだけれど、目の前の子に悟られてはいないだろう。俺は、気持ちが表情に出ないタイプなのだ。


「私、二組の岡本杏奈。篠崎くん、たまに見かけてかっこいいなぁって思ってたの。落ち着いてて、ミステリアスで、クールな感じ」


 本当の俺はクールとは程遠いが、にこりと笑う岡本さんに、何も言えなかった。可愛い女の子から面と向かってかっこいいなんて言われて、動揺していた。

 岡本さんは、返事を催促するように上目遣いで俺を見た。ゆっくりと首を傾げると、長い黒髪がふわりと動いて、甘い香りがした。

 その時、ふと、彼女のことを、いいな、と思った。


「いや……付き合いたい。お願い、します」


 言いながら、勢いよく頭を下げた。

 深く考えることはしなかった。俺は思春期真只中の高校生で、ちょっといいなと思っただけで女の子と付き合える。十代半ばの男なんて、そういうものだ。


 連絡先を交換して、よろしく、と笑い合い、またね、と手を振って、俺たちは別れた。

 鼻歌を歌いながら、軽い足取りで自転車を漕いだ。梅雨に入る前の少し重たい空気を、切り裂いていく感触が気持ちよくて、高校生活が順調に滑り出した喜びを噛みしめた。  

 岡本さんと付き合うことで、何かを失うなんて、少しも考えてはいなかった。





「二組の岡本と? 意外だなぁ」


 次の日、岡本さんと付き合ったことを告げると、須藤が驚いたように言った。


「篠崎って、四組の町田が好きなんじゃないかと思ってた。岡本と全然違うタイプの」

「前にも言ったと思うけど、町田とはただのご近所さんなの」


 俺は苦笑いでそう返す。昨日の別れ際、梨沙が言った言葉を思い出したのだ。

 梨沙のことは学校では苗字で呼んでいた。梨沙も同じだ。学校では親密な素振りは見せない。俺たちが仲の良い幼馴染なのは、あの長くはないアーケードの下だけだ。


「……ふぅん。篠崎って、岡本みたいないかにも女の子って感じがタイプだったのか。町田、男っぽいっていうか、サバサバ系だもんなぁ」


 納得したというように、うんうんと小さく頷く須藤の言葉を、頭の中で否定する。

 岡本さんの印象については同感だが、梨沙は違う。

 実際の梨沙は、皆が思うほどサバサバしてはいない。小さなことでくよくよ悩むし、考えすぎと言いたくなるほど周りに気を配っている。趣味はお菓子作り、私服はワンピースばかり、部屋はピンク色だらけ。女の子らしいものが大好きだ。


 小学校六年生の秋、スポーツ大会の差し入れに手作りケーキを持ってきたのを、「ぶりっこ」とからかわれてから、梨沙は、女の子らしくない女の子、を目指すようになった。

 詳細まで鮮明に覚えているのは、この件の責任が俺にあるからだ。


 梨沙が持ってきたケーキはモンブランだった。梨沙の作るモンブランが大好物だった俺が、梨沙に持ってきてほしいとねだったから、梨沙は保冷剤をたっぷりつめた鞄にケーキを入れて、わざわざ学校に持ってきてくれたのだ。

 梨沙がリーダー格の女子からからかわれるのを見た俺は、梨沙を庇おうと、「ぶりっこしようって奴がこんなケーキが作れるわけない。お前、馬鹿なの?」と、女子に突っかかったのだが、怒った女子は梨沙を、そして、俺と梨沙の関係をからかった。


 梨沙は女らしさを隠し始め、俺たちは学校では苗字で呼び合うことに決めた。

 男っぽい梨沙は、学校用の作られた梨沙だ。事実を知っているのは、高校では俺だけ。


「タイプかはわかんないけど、岡本さんのこと、可愛いなぁって思うよ」


 昨日の放課後、頬を紅潮させてはにかんだ岡本さんを思い出す。あの時、確かに岡本さんのことをいいな、と思った。俺の彼女は、控えめな笑顔が可愛いあの女の子だ。

 梨沙のことを、今までそういう目で見たことはなかった。

 傍にいて当たり前、家族みたいな存在で、恋愛対象ではなかったのだ。


 それなのに、昨日の梨沙の姿が目に焼き付いて離れない。昨日帰宅するまでは、岡本さんのことを考えていたのに、梨沙が帰ってから、頭に浮かぶのは梨沙のことばかりだ。

好きだと言われた、たったそれだけで、俺は梨沙のことが好きになったのだろうか?

 少しだけ思ってから、すぐに違うと否定する。

 俺はおそらく寂しいのだ。いつも近くにいた梨沙が遠くに行ってしまうのが。


「まぁ、とにかく頑張れよ。良いじゃん、岡本」


 須藤の言葉に大きく頷いて、心を決める。

 梨沙へ感情はよくわからないけれど、岡本さんを異性として好きなのは確かなのだ。それなら俺は、岡本さんと付き合うのが正しいのだろう。





 岡本と付き合ってから、昼休みは彼女と過ごすようになった。天気のいい日は中庭で、雨の日は食堂で飯を食べる。梅雨には珍しい快晴の今日は、久々の中庭だ。

 他愛無い話をしながら過ごす昼休みは、それなりに楽しい。


「なーおっ」


 岡本は学校でも躊躇わず、俺のことを名前で呼んだ。「彼女だから、いいよね」付き合った日にメールで言われて、次の日から、宣言通りにそう呼んだ。


「私の前で、甘いもの食べないでって言ったでしょう?」


 岡本は俺の手元のチョコをまじまじと見てから、頬を膨らませた。


「一緒に食べようよ」

「やだよ。太っちゃう」


 この一週間で知ったことだが、岡本は甘いものを食べない。甘味自体は好きだというが、勧めても断られるし、さらには、食べたくなるから、目の前で食べるなと言う。

 食後の甘味は俺にとって一番のご馳走で、デザートを抜くなんて拷問に近いのだけど。

 そもそも俺には、甘味を勧めて嫌がられるということが、いまいちぴんとこない。


 今まで、仲の良い女の子は梨沙だけだった。梨沙は甘いものが好きで、一緒に食べようとよく誘われた。俺が一人で食べていると、「ずるーい」なんて言いながら、横からつまんできた。形だけの抵抗はしていたけれど、あれこれ感想を言い合うのは楽しくて、今でも美味しいものを食べると、無意識に梨沙にも食べさせたいと思ってしまう。


「なーおー!」


 岡本の責めるような声を聞いてから、俺はしぶしぶチョコを鞄にしまう。「太ってもいいじゃん」未練がましく言った俺の頭を、岡本がこつんと小突いた。





「あんた、梨沙ちゃんと、ケンカでもしたの?」


 岡本と付き合い始めて一ヵ月ほど経った頃、母さんから唐突に尋ねられた。


「別に」


 何でもない風に俺が言うと、「最近、来ないじゃないの」訝しげにそう返す。


「前に失敗したから、嫌になったんだろ」


 梨沙の髪を短くしたことは、既に母さんには話してある。母さんは怒って梨沙の家に謝りに行ったらしいが、梨沙が庇ってくれたらしく、大事には至らなかった。


「そんなことないでしょう。前にもひどいことしたあんたを許してくれたんだから」


 俺の目を見て、母さんはきっぱりとそう言った。

 母さんの言う「ひどいこと」とは、保育園の頃の出来事だ。俺は、梨沙の髪をばっさり切って、取り返しのつかないひどい髪型にしてしまったことがある。


 あの日のことはよく覚えている。当時通っていた保育園の黄色い帽子を深く被ってうちに訪れた梨沙は、俺を見るなり駆け寄って、人気のない物置までぐいぐいと引っ張った。梨沙が帽子を取ると、細い髪にべっとりとした灰色の塊が絡みついているのが見えた。寝転がって食べたら、髪に引っ付くわよ。母親に注意されてもやめなかったのだと、梨沙は涙目で俺に話した。「見つかったら怒られちゃう。なおちゃんなら、上手に切れるでしょう?」縋るように言う梨沙に、俺は大きく頷いて、堂々と言った。「俺に任せろ!」結果、梨沙の頭の一部は刈りあげられたように短くなり、俺と梨沙は、両方の両親から盛大に怒られることになった。


 ――りさ、他の人に髪切られるのは退屈で嫌だけど、なおちゃんからは嫌じゃなかったよ。また切ってね。


 散々説教されてげんなりしていた俺とは対照的に、梨沙はちっとも懲りていなかった。

 怪訝な顔で覗き込んでくる母さんから、俺はそっと目を逸らす。

 だって、何と言ったらいいのだろう。梨沙とは最近、話していない。学校で目が合っても、梨沙は俺の視線をさらりと受け流すだけ。前みたいに親しげな笑顔を向けてきたり、口パクで「げんき?」なんて話しかけてはくれない。


「……本当に、何もないよ」


 納得いかない様子の母さんに、そう言うのがやっとだった。





 梅雨明けし、さっぱりとした清々しい空気の中で、太陽の光を受けた岡本の髪が、きらきらと輝いていた。艶々とした黒髪が、明るい栗色に変わっている。


「似合う?」


 似合うか似合わないかで言うなら、間違いなく似合う。

 二ヵ月の間、岡本と一緒に過ごした俺は、大人しく女の子らしいと言われる岡本が、実際はお転婆ともいえる元気な性格だと気づいていた。

 岡本の快活さに、明るい髪色は似合っている。


「……前の方が良かったっていうんでしょ? 直がすぐに反応しないのは、微妙って思ってる時だって知ってるのよ」


 俺が答えるより先に、岡本がそう続ける。本当の性格に気づいたのはお互い様らしい。


「何考えてるかわからないクールなとこが良かったのに、中身は単純なんだもんなぁ」

「似合ってるよ」


 ただ何かが違うと、そう思っただけで。拗ねるように口を尖らせた岡本に苦笑しながら、心の中で呟いた。岡本の髪を手に取ると、随分毛先がパサついている。


「毛先、切ってあげようか?」


 言いながら、梨沙の黒髪を思い出す。柔らかな手触りと、ほんのり漂う甘い香り。


「冗談よしてよ。それなら美容室行く」


 岡本は目を見開いて、驚き半分、呆れ半分といった調子で呟く。

 俺は素人で、岡本の反応は当然だ。



 納得しながらも、今度ははっきり、違うと思った。


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