Section.3
君はどうなのかな? 自分のことをちゃんと覚えているのかい? どうしてここに連れて来られたのか、それまで何をしていたのか、自分は誰なのか、ちゃんと語れる?
ナイフの切っ先と触れ合うのは、一秒でも長く先延ばしにしたい。だから、僕は努力の方向性を変えた。彼女が僕に対して向ける興味は、ミミズの死骸への関心以下に思える。それでも、自分のことについてならば語ってくれるかもしれない。
どうやら、アプローチの方向性は正しかったようだ。彼女は驚いた顔をする。それでも答えは返らない。僕が諦めかけた時だった。やっと、彼女は上ずった声をあげ
た。
「私に、興味を持つんですか?」
どうもおかしい。ここまでくれば、流石に気がつく。
『創作物を見るのですか?』。『私に興味を持つのですか?』。その問いかけの両方共に、意外そうな響きがあった。どうやら、彼女は僕のことを知っているようだ。しかも、彼女の抱く僕のイメージと、今の僕の間には、決して小さくはない差が横たわっているらしい。さて、困った。更にわからなくなってしまう。
君は誰で、僕は誰だ。
一体、どんな人物だったんだ。
自分でも驚異的だと思う忍耐力を発揮して、僕は疑問を呑み込んだ。僕は尋ね続ける。
教えてくれないかな? どうやって、君はここに連れて来られたんだい?
「………この実験に連れて来られる前、私は自室のベッドで寝ていました。そして、普段通りの朝を迎えたはずが、白いガスに包まれました。気がついたら、この部屋にあなたといました。あなたが目覚める前に、私はナイフを取りました。以上です」
――――――実験。
僕は聞き逃さなかった。今、確かに彼女は『実験』と言った。前提がズレている。
コレは単純な『ゲーム』。そうじゃなかったのか。
それに、さっきの話には明らかにおかしな点があった。普通に寝ていて、目覚めたら連れ去られた。よくあるシチュエーションだ。だが、その後、彼女は誰からも脱出条件を説明されていない。それなのに、迷いなく僕を刺し殺そうとしている。
僕は彼女を見つめる。そして、彼女が握るナイフを。
僕達の間の距離は十五センチメートルほど。ナイフを入れれば八センチメートル以下。
そんな至近距離にいる彼女が、僕と同じ立場なのか。今まで、僕は考えもしなかった。
今更、僕は検討を始める。果たして、話し合いを続ける意味はあるのか。
これは一体、何の『実験』なのかを。
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