決闘

美作為朝

決闘。

 相染怜士あいぞめれいじは、職場から駅まで走り、どうにか、いつもの快速に間にあった。

今日は、なにごとも普段通りにしなければ、ならない。

 そうしなければ、周到に用意した、アリバイ不在証明が崩壊する。

 自宅のある駅の二つ前の駅で、普通列車に乗り換えるとがらっと乗客数が減る。こんなに緊張して帰宅するのは、人生で始めてだ。夕日が列車の窓から入り、相染怜士あいぞめれいじを紅く染める。

 自宅の最寄り駅で下車すると改札をICカードで通過し、駅のコインロッカーを開け、二つ向こうの駅のホームセンターで購入した、塗装用のつなぎの作業服と、不透明のレジ袋に包まれた、近所のホームセンターで購入した出刃包丁を出した。

 これは、当然の復讐なのだ。


 妻、郁美いくみの様子の"可怪おかしさ"には半年あたり前から気づいていた。交際から含めれば、12年も一緒に居るのだ。表情、目つき、言葉使い、仕草の一つで相手の感情が手に取るようにわかる。

 なにか、おかしい。妙に華やぎ、妙に 相染怜士あいぞめれいじの機嫌を取っている。

 確信を得たというより、証拠をしっかり見たのは、午後から妻には内緒で会社に休暇をとり、まるで、泥棒かスパイのように自宅に忍んで帰宅した時。

 こんな情けない男がいるだろうか。妻の浮気を確認するために有給を取り帰宅する男。 それが相染怜士あいぞめれいじだ。

 真っ昼間に音もさせず門扉を開け、、ローンの残る自宅の庭からローンの残る自宅の窓から中をこそ泥のように覗き込み、すべてを知った。

 どうして、そういったことが出来るのだ、小学生の娘まで居る身であろう。

 ありとあらゆる感情が巻き起こり、相染怜士あいぞめれいじは、その後、近くの児童公園のコンクリートで作られた小山の滑り台の下の紅い土管のトンネルの中で、人目もはばからずうずくまり泣き叫んだ。幸い子供はまだ学校に居る時間だった。

 しかし、小一時間もすると、相染怜士あいぞめれいじは、泣き止み、土管の中で立ち上がりこそしなかったが、心の中では、ラスト・スタンド最後の戦いに向けて立ち上がっていた。涙は、新しい道標みちしるべに、目つきはけものとしての人に。新しい目標が出来た。

 "復讐するは我にあり"。

 姦通は罪状に値する。その男の事を愛しているのなら、きちっと 相染怜士あいぞめれいじに事情を話し、然るべき手順に則って、付き合えばよかろう。

 こういう卑怯なやり方は、世間や現在の法体型が許しても 相染怜士あいぞめれいじは決して許さない。

 寝取られ男の意地を知れ。その時は、すべてがもう遅いのだ。


 頭にはヘアハット。手には、医療用のゴム手袋。ぴっちり首元までつなぎを着た相染怜士あいぞめれいじは、普段通り、夕闇が落ちた、自宅の玄関を開けた。妻、郁美いくみは玄関にカギをかけることを滅多にしない。浮気をしても夫にバレていないと考えているぐらい周りのことには、全くうとい女なのだ。

 音もさせず、自宅の玄関を相染怜士あいぞめれいじは閉め、無音で靴を脱いだ。

 靴下の上にレジ袋を履き、輪ゴムで足首で留めてある。相染怜士あいぞめれいじは廊下をすり足でマイケル・ジャクソンよろしくムーンウォーク。しかし、ステージでのマイケルと違い復讐を実行するため相染怜士あいぞめれいじは着実に前進している。

 この時間、妻、郁美いくみは夕食の用意をキッチンでしている。

 相染怜士あいぞめれいじは、廊下を無音で抜け、台所へ入った。

 妻が居た。相染怜士あいぞめれいじの子供を産み、でっぷり太った尻を向けて料理にいそしんでいる。

 が、突然、妻、郁美いくみが振り返った。

 そんなに大きな家ではない。キッチンも狭い。まわいはそれほどない。

「あら、あなた」

 郁美いくみはそういった。相染怜士あいぞめれいじのこの辺な格好にも驚いた様子はない。

 相染怜士あいぞめれいじが望んだどおり、いつもの妻である。これで、アリバイが完全に構築されると相染怜士あいぞめれいじが思った瞬間。

 ものすごい衝撃を相染怜士あいぞめれいじは後頭部に受けた。

 相染怜士あいぞめれいじは脳震盪をおこしながら、ぼやける頭の中、ローンの残る自宅の床に本人にとっては、ゆっくりと、現実は、一瞬で、倒れた。

 相染怜士あいぞめれいじは、その時、倒れた、足元に、小学生の娘の沙耶香さやかがゴルフのクラブを持って立っていることに気づいた。

 娘の沙耶香さやかは、相染怜士あいぞめれいじと同じ格好をしていた。ヘアハットに医療用の手袋に首までぴっちり止めたつなぎの作業服。足元はレジ袋を足首で留めている。娘バージョンの小さな相染怜士あいぞめれいじである。

娘の沙耶香さやかは、変わった服装でいった。

「パパが変な女の人と抱き合ってるのママに言ったの」

 相染怜士あいぞめれいじは、脳震盪がおこっているぼんやりする頭でしきりに考えても、なんのことだかわからなかった。

「あらあら、大変ね、あなた、大丈夫、最低の慈悲としてとどめは痛まないようにしてあげるわ、これでも、私は優しい女なのよ、残す言葉があるなら聞くわ」

 郁美いくみは、いった。

「でも、残念ながらしゃべれそうにないわね」

 郁美いくみは、調理中なので丁度、包丁を持っていた。そう相染怜士あいぞめれいじと同じように。

「大変だったのよう、夫に気づかれるように浮気するのも」

 それが、相染怜士あいぞめれいじの聞いた最後の言葉だった。

 相染怜士あいぞめれいじは多くの人がそうであるように、わけがわからないまま死んでいった。

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