摘み草

 大雪の過ぎた後はむしろ寒さがゆるみ、若緑の新芽が多く出た。

 女童、小女房達に若菜を摘ませ、小さな割籠に詰めて何人かに贈る。

 その内の一人はかつて麗景殿を賜っていた女御敏子。あの長時卿の娘御だ。彼女の入内は貴子の心を揺らしたが、今ではそれも過去の話だ。

 時めく事なく彼女は故院の在位の時代を終え、譲位と共に宮中を辞した。

 思えば、麗景殿を賜った時には既に、彼女の一番華やかな時は終わってしまっていた事になる。

 清成卿を露骨に贔屓し、惟成にとっては目の上のたんこぶだった皇太后は、貴子が入内した翌年、貴子にとっても故院にとっても最初の子である女一宮が生まれた直後に、頓死した。

 時の帝は気鬱の病を患い、譲位の運びになった。

 

 梨壺の内は息詰まる気配に満ちていた。室内に控えているのは貴子と、東宮斎継親王の同母の弟宮である斎仲親王。幼い姫宮は貴子が賜る桐壺で、乳母たちに任せてある。

 同じ東宮妃で、長時卿の息女敏子が住む宣耀殿は、灯火も少なく静まり返っている。おそらくはすぐそばの麗景殿で、姉である今上の女御についているのだろう。

 今上の譲位に従って東宮である斎継親王が即位する。問題はその後に据える東宮だ。

 候補は二人。

 新帝の同母の弟である斎仲か。

 今上の皇子であり麗景殿女御昌子が産んだ彰善親王か。

 朝堂では今頃ぎりぎりの押し引きが行われているはずだった。

 ざわっとというどよめきが麗景殿の方で感じられた。

 負けたか。

 その時聞き慣れた、大きく踏み鳴らす足音がした。父、惟成だ。

 「やりましたぞ。」

 音のするほどに御簾を跳ね上げて惟成が現れた。

 「勝ちました。次の東宮は斎仲さまです。」

 ほおっと、張りつめていた空気が緩んだ。

 それからじわじわと喜びが込み上げてくる。まだ七歳の斎仲親王は、よくわからないながらも周囲の空気が明るく変わった事に、ホッとした表情を見せていた。


 「なぜですか、母上。追い詰めすぎてはいけないと教えて下さったのは、母上ではありませんか。」

 源氏を呼び戻すことを拒絶した貴子を、帝が問い詰める。

 「なりません。今、源氏を許すことは源氏のためにもなりません。」

 貴子はいっそう厳しく拒絶する。

 ほとんど言い争いのような話し合いを経て、帝は清涼殿に帰っていった。

 長く暮らした弘徽殿を妹の尚侍結子に譲り、貴子は常寧殿に暮らしている。故院がおられた頃、貴子は院の御所と里邸、宮中を転々としていた。今ではほとんどの時間を常寧殿で過ごしている。源氏が京を去ってからは特にそうだ。

 追い落とした相手を、追い詰めすぎてはならない。

 それは貴子が政敵を扱う時の鉄則だった。

 とことんまで追い詰めれば、時に窮鼠になって牙を剥き、怨霊となってつきまとう。

 そこをわきまえて、追い落とした相手にこそ手を差し伸べるのが、貴子のやり方だ。

 例えば女御敏子がそうだ。

 敏子の父、長時卿は故院の東宮選定の夜に死んだ。もう一人の娘である女御昌子の産んだ彰善親王が立坊を逃した悔しさのあまり、発作を起こしたのだ。あの夜麗景殿から伝わってきたざわめきは、長時卿が倒れたことに慌てふためくざわめきだった。

 この機に敏子をいっそ宮中から出そうとする父を押しとどめ、自分と同時に女御の宣旨の下るように手配したのが貴子だ。姉が賜っていた麗景殿を、そのまま引き継げるようにもした。

 宮中から退いた姉の女御昌子の暮らしが立ち行くように、彼女の産んだ皇子皇女の御封は加増されるようにも取り計らった。もっともしっかりした昌子は、亡き父の遺産を素早く握ったようだったから、必要なかったのかもしれないが。

 姉との折り合いが悪く、帰る里邸を実質失った敏子は、宮中の麗景殿で静かに暮した。

 それでも、全ての恨みをかわすことはできるものではないのだが。

 

 小さな咳に、同じような咳が重なる。乳母たちが慌てて袙 を重ねさせる。貴子は火鉢の火をかきたてさせ、もう一つ火鉢を持ってくるよう命じた。

 日が暮れてから、冷気が忍び込んできている。簀子の側に火鉢を置けば、少しはましになるだろう。

 袙 を重ねられているのは東宮斎仲親王と、同い年の朱姫だ。ほとんど一緒に育てられた二人は仲が良く、斎仲親王が東宮として梨壺に暮らすようになってからも、朱姫が遊び相手として昇殿したりしている。朱姫が弘徽殿を嫌がるので、貴子も朱姫が宮中にいる間は、梨壺にいる事が多い。

 前年、貴子は皇子を産んだ。 

 即位以来急速に、入内、出仕する姫君が増えてはいたが、今のところ貴子の他に御子をあげた者はいない。

 添臥をつとめ、皇子皇女を二人まであげた貴子こそが、後宮の主催者であるという雰囲気が、すでに出来上がっている。

 気を抜いてはいけない。

 こういう時ほど危ないのだ。

 例えば東宮斎仲親王と朱姫の事もそうだ。

 どちらも難産の末に生まれた子どもで、元々丈夫な質ではないが、それにしても最近はあまりに頻繁に体調を崩す。

 思えばそれは斎仲親王の立坊の頃からの事だった。

 長時卿の孫である先帝の唯一の皇子、彰善親王と競り合っての立坊は、幸い斎仲親王の勝ちだったけれど、負けた衝撃で長時卿が発作を起し、そのまま帰らぬ人になるという、後味の悪い結果を残した。

 長時卿は見鬼だ。

 その娘である昌子と敏子も。

 政治的には無能と言いたいような長時卿だった。

 新しい提案をする訳でなく、故実先例に詳しいわけでもない。儀式など任されてもヘマをやり、笏に貼った手順を穴のあくほど眺めても、肝心なところで失敗する。

 細い貧相な身体を折り曲げるようにしながら歩くので、押出しの悪いことこの上ない

 だが、見鬼としての力だけで言えば稀に見るものだった。なんの術を知っているわけでもないので、ほぼ見えているというだけであるにしても。

 清成卿も見鬼で、貴子の父惟成は同じ大臣の上下を見鬼に挟まれながら、ひとりあやかしを見る事ができない。

 時長卿はちくちくと、惟成を嘲った。

 見鬼でないことは、惟成にとっては劣等感のもとで、これに腹が立たないはずはない。

 だが、堪えた。

 幾分感情的で、気の短いようにも見える惟成だが、実はその感情をよく抑えて堪える。それができなければ永成の急死からのこの数年を、乗り越えることはできなかったろう。

 それでも長時卿の仕打ちは腹に据えかねていたようで、それが長時卿亡き後に息女のニ女御を宮中から出してしまえという話になった。

 貴子は父をなだめた。

 宥めて、むしろ二人を優遇した。

 見鬼は生霊、怨霊と化しやすい。あやかしを見るものは、あやかしに近いのだ。

 時長卿の死は言わば憤死だ。強い恨みを含んでいる。その恨みを出来うるかぎりなだめなければ、災いとなるだろう。

 現実を眺めれば、時長卿の娘達は脅威ではない。すでに後ろ盾も無く、できることなど何もない。皇子は確かに先帝の一宮だが、頼りの先帝は生母である皇太后の死をきっかけに気鬱の病を病んでいる。

 貴子と同じ帝に仕える女御敏子にしても、元々寵愛もさまでなく、今ではいるのかいないのかもわからないほどだ。むしろ殿舎を彼女が塞いでいれば、有力な女御の入内を阻む口実になる。

 実際のところ、帝の後宮の花はあまりに多く、更衣などは同じ殿舎の中に複数いるようなこともある程で、殿舎は足りていなかった。

 恨みをなだめ、逃すという貴子の考えたやり方は、ある程度は上手く行ったようだっった。

 帝の治世は穏やかだ。今のところ突出した流行り病も天災もない。

 ただ、東宮の虚弱が目立って来たことは、おそらく長時卿と無関係ではない。朱姫はよく見える目を持っているので、影響を受けているのだろう。

 朱姫もすでに九つになる。

 祖父から自身が受けたように、貴子は朱姫に術を教え込もうとしていたが、あまりはかばかしくはない。臆病な質の朱姫は何をやるにもひどくすくんでしまうのだ。

 虚弱な東宮を守るためにも、貴子は自分の殿舎である弘徽殿に、人の意識が集まるように振る舞ってもいる。当然弘徽殿の周りには色濃くあやしの影がたち、それが朱姫が弘徽殿に近づけない理由になっていた。


 贈った若菜の返礼は翌朝に届いた。

 若松に貴子の健康を祝う歌が添えられている。

 敏子は父の時長卿が持っていた、別邸の一つで暮らしている。母の違う、年の離れた妹と一緒にいるはずで、この妹が源氏の通いどころの一人だった。源氏が京を落ちた今、心細くしているはずだ。

 若菜だけでなく細々と必要そうなものを添え、使いには邸の様子を見て来るようにも命じておいた。手入れが必要なようだから、人手を手配しようと思う。

 貴子は家司に次第を命じ、敏子の文を文箱にしまった。 

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