3人の正体

 文吉は完食した葛餅の皿を脇に寄せ、身を乗り出すようにして説明を始めた。

「まず、君はどう見ても長屋住まいの娘じゃない。手に傷や赤切れが一つもないし、着物も派手ではないが上質だ。そして、武家の娘でもない。そうすると、商家の娘に絞られるけど、普通は箱入り娘が一人で町人のような服装で出歩くことはない。まぁ、訳ありだと思うね。そして、手ぬぐいは呉服問屋小川屋が客に配っていたものだ。うちにもいくつかある。それによく使い古された君の巾着袋に小川屋の紋と椿の花が刺繍してあるだろう? 手ぬぐいはいろんな人が持っているが、その巾着袋は君のために作られたんじゃないか。椿という名を聞いて確信できたことだけど」

 一息に言ってのけると、文吉はぬるくなった湯飲み茶碗を飲み干した。

城次郎は慣れているのか、静かに頷いているだけだが、目の前に座っている少女は、まるで妖術にかかったかのように目を丸くしている。文吉はその様子に気を良くして、続きを語りだした。

「で、さっき俺は君を不注意な娘さんと呼んだよね」

 そう言って文吉は、懐の中から半紙を取り出して、椿に手渡した。それは、椿の行き先が書かれたあの半紙だった。

「もしかして、私、落としちゃったの?」

 不注意な娘だと言われた時には、腹立たしく思ったが、大事な地図を落としていたのだからそう言われても文吉を責めることはできない。

「ぶつかった衝撃で手から離れてしまって、君はそのまま俺の手当てを始めたからね。俺は注意を促そうとしたんだが。それで落ちた紙を見たら、求人募集、茶屋笹野って書いてあっただけのことさ」

「なるほど。小川屋が最近火事になって、おかみさんが亡くなったのは有名な話だし、それで小川屋の娘さんが勤め先を見つけようとしてたということに繋がるんだね。いつものことながら、文吉の観察眼には驚かされるよ」

 椿はほうっと息を吐き出した。自分の身の上を言い当てられた時には、文吉が良からぬ術を操る恐ろしい人物に感じたが、こうして話を聞いてみれば何ということはない。文吉がよく椿を観察し、素早く様々な可能性を考えた結果だったのだ。

「すごいわね、文吉さんって。もしかして、同心なの? でも、剣術とか強そうには見えないわ」

 すると城次郎が声を立てて笑った。

「ほんまにおもろいお嬢はんや。そういえば、僕たちの身分を明かしていなかったね」

「君は俺たちについてどれほどわかる? 言っておくが、同心ではないよ」

 文吉は素直に椿に正体を告げるつもりはなかった。とは言え、箱入り娘の観察力などたかが知れているだろうと期待してはいない。物は試しだ。

 これは難問をふっかけられたと思った椿であったが、今まで一緒に甘味を食べていてわかったことがいくつかある。

「えーっと、二人ともどこかで働いているんじゃない? 奉公先まではわからないけど。でも、こうやって昼間に出歩けるんだから藩邸のお勤めとは違うと思う」

「勤務中かもしれないぞ」

「だったら、こんな開けた通りの甘味処で長い間お休みなんかできないでしょう? だから、今、二人は非番ね。それから……、文吉さんは生粋の江戸っ子だけど、城次郎さんはたぶん大阪の方の人ね。でも、一時的に江戸見物で来た人ではなくて、しばらく江戸で暮らしてるのよね。話し方が江戸風だし、この土地にそれなりに慣れてる気がするから」

 ここで椿は言葉を切り、上目遣いで文吉を見た。とんちんかんなことを言って笑われたら恥ずかしいなという気持ちでいっぱいだった。ところが、文吉は口角をぐっと上げて面白そうに笑みを浮かべている。

「なかなかの推察じゃないか」

 初めて文吉が笑った。城次郎のような優しい表情ではなかったが、椿を小馬鹿にしてるわけでもない。この人でも楽しそうな顔ができるんだなと椿は意外に思った。

「じゃあ、そろそろ正体を話そう。俺は市川文吉、広島藩士市川兼恭の息子で、江戸生まれだ。洋書調所ってところでフランス学の稽古人世話心得を務めてる」

「僕は緒方城次郎、お嬢はんの言うとおり大坂出身や。親父はんが備中足守藩士なんやけど、行ったことはあれへん。江戸には去年の暮れに来て、今は西洋医学所いうところで医師の見習い仕事をしとるよ」

 今まで箱入り娘として育ち世情に疎い椿は、実は彼らの父親が知る人ぞ知る著名人であることは知らず、ただ勤め先の名前から洋学や医学に関係する仕事をしているらしいことはなんとなくわかった。

 城次郎の父は蘭学者で種痘を行った緒方洪庵である。そして、洪庵の塾で蘭学などを学んだ文吉の父兼恭は洋書調所の教授を務めているが、いわば何でも屋で、医学も砲術も習得し、理化学もドイツ語も得意としていた。

 椿の見立てどおり、2人の少年たちは武闘派ではなく頭脳派だったのだ。

「ねぇ、椿さん、引き留めてしまって申し訳ない」

 城次郎の言葉に、椿は忘れかけていた本来の目的を思い出した。奉公人以外の同年齢の少年たちとおしゃべりなんて初めてで、すっかり楽しんでしまっていた。

「そうだった。私、仕事を見つけないと。慌ただしくてごめんなさい。えっと、お支払いは……」

 椿が巾着袋の中の小さな財布を取り出そうとすると、文吉がそれを制した。

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