第一章 夢宮翼という少女 四
四
『ムウ』の正体じゃないかと俺が疑っている人物。
それは俺のクラスメイトの女子、夢宮翼さんだ。
俺は夢宮さんのことをよく知っているわけじゃないけど、学校における物静かな優等生という彼女の印象と、『スペース・フロンティア』での『ムウ』の印象は、重なるような重ならないような、微妙な所だった。そもそもテキストチャットなので、どうしても感情が読みにくい。
同じように捕らえ所がないのは夢宮さんも同じだけど。
ただそれは、俺があまり他人の深い部分へと立ち入らないから、というだけのことで、夢宮さん自身の性質を表している訳じゃない。
しかし俺の直感は、『ムウ』の正体が夢宮さんだと告げていた。
「さて、どうしたものか」
電気を消してベッドに倒れ込み、目を閉じながら考える。
『ムウ』の正体なんて大した問題じゃないけど、でも、気になることは確かだ。
じゃあどうすればいいのか。
そんなのは簡単なことだけど、実行するとなれば少し話が変わる。そもそも人と話すのは苦手だ。
何かいいやり方は無いものだろうか。
直接言わずにメールで、……いや無理だ。俺は夢宮さんのアドレスを知らない、というか、そもそも夢宮さんが『ムウ』かどうかを訊いても、間違いだったらどうする? 確実に気まずいことになるはずだ。何か画期的な方法は無いものだろうか……。
そんなことをグルグルと考えているうちに、俺の意識はまどろみの中へと落ちていった。
×××
『こめっと』からオフ会の提案があった翌日、俺は学校で、ある計画の実行を決意した。
まあ、そこまで壮大な話じゃない。要するに、夢宮さん本人へと直接聞いてみればいいんじゃないか、という話だ。ただ、直接話しかけて質問するというのも、もし違った場合に少々気まずいような気がしたので、少し工夫することにした。
そして四時限目が終わり昼休み。遂に計画を実行する時が来た。
俺は静かに立ち上がり、そして隣の席へと向けて歩を進めた。手に持つのはノートの切れ端。
『タツヤ→ムウ』。
ただそうとだけ書いたノートの切れ端だ。
「夢宮さん」
「……何かしら?」
呼びかけに対して振り向いた夢宮さんへと、俺は無言のままノートの切れ端を差し出した。
もし俺の考えが当たりなら、これで通じるはずだ。ハズレだったとしても、いくらだって誤魔化しようはある。
夢宮さんがノートの切れ端に視線を落とした。
……沈黙。
時間にすれば、わずか数秒にもならないモノだったけど、俺にとっては永遠のように感じられた。
止まっていた時間を最初に動かしたのは、夢宮さんの方だった。俺の差し出したノートの切れ端を、いきなり奪い取るとクシャリと握りつぶし、そのままポケットへと突っ込む。
直後、何の前触れもなく俺の視点が下がった。
その理由が、『夢宮さんがいきなり立ち上がると同時に俺の腕を掴み、そして無言のまま歩き出したから』だということに気がつくのには、少々時間が必要だった。
「あ、あの。夢宮さん?」
「……ついてきて」
彼女はただ一言そう言うと、まさに『有無を言わさず』といった感じの気迫で、俺の手を引きながら歩いた。
……うん、夢宮さん。
「……ついてきて」とか言われてもだね。こうなってしまったらついて行くしかないじゃないですか。
どうやら俺に拒否権は無いようだ。
どうしても拒否したければ、無理矢理にでも彼女の手をふりほどけばいいんだけど、……夢宮さん、意外と力強いんですね。あの小さい体と細い腕の、一体どこにこんな力があるのか不思議だ。
そんなわけで。
クラスメイトの皆が呆気にとられ静まり返った教室を後にし、俺は夢宮さんに手を引かれて歩いた。
そして、やはり無言のまま廊下を歩き、すれ違う人が怪訝そうな目で見るのを無視しつつ、到着した場所は屋上へとつながる階段の踊り場だった。うっすらとほこりが積もっていて、そのことからも普段滅多に人が立ち入らない場所だということは容易にわかる。
要するに秘密の話をするのにはもってこいの場所だ。
「何故わかったの?」
俺の腕をつかみながら振り向いた夢宮さんは、ただ一言だけそう言った。
有無を言わせないような強い口調だ。
普段の彼女からは考えられないが、『ムウ』ならばあり得るような気がする。
「私は、何故わかったのか聞いてるの。答えて」
……ここは、正直に答えた方が良さそうだな。
「わかってた訳じゃないですよ。何となくそうじゃないかと疑ってたけど、でも確証はなかった。……あと、出来れば手を離してほしいんですけど」
「逃げないでしょうね?」
「この状況で逃げてどうするんですか。教室に戻ったらどうせ隣の席ですよ」
「確かにそうね」
そう言うと夢宮さんは俺の腕を放した。
しかし、本当にこの体のどこに、これだけの力があるっていうんだ。火事場の馬鹿力、ってやつなのか?
まあいい、とりあえず謎解きタイムと行こうじゃないか。
「一つは、何でわざわざテキストチャットを使ってるのか、ってことです。素性をバラしたくないからって理由で使ってる人もいるだろうけど、そもそも声だけで本人を特定するなんて余程よく知ってる人間じゃないと出来ない。逆に言うなら、俺たちのチームの中に『ムウ』とゲーム外で良く会ったことがある人がいるってことになる」
「なるほど、よく考えたわね。でも、それだけじゃ『ムウ』と『夢宮翼』を結びつけることは出来ないはずよ」
「まあ、確かにそうですね。でも、もしかしたら『ムウ』の素性を知っている人間が自分じゃないかと考えたとき、ふと閃いた」
「閃いた? いったい何を?」
「ユーザーネームと機体名称です」
「……なるほどね」
夢宮さんは、どこか観念したような口調でそう言った。
そう、鍵となったのはその二つだ。
「『ムウ』は『夢宮翼』の『夢』と翼の『羽』の、名字と名前の中から一つずつ取り出した音読みで『ムウ』。『ドリーム・フェザー』は『ムウ』すなわち『夢羽』に、そのまま英語を当てはめたもの。……当たりですか?」
俺の質問に対し、少しの沈黙の後、夢宮さんは答えた。
「……当たり。そう、私が『ムウ』よ。よくわかったわね『タツヤ』」
「確証があった訳じゃない。だけど、推測することは出来た。後は試しに聞いてみたら」
「こんなことになった、ってわけか。なるほど、要するに私の自滅か」
「まあ、そんなところです」
自分から「こんなこと」とか言うなと、思いはしたものの口にはしなかった。
それから夢宮さんは、少し何かを考えるような素振りを見せ、そして言った。
「天城君、それだけじゃないでしょ?」
「それ、と言うと?」
「私が『ムウ』だって気付いた理由のこと。だって不自然すぎるわ。天城君が知っていて、天城君のことを知っている人物。そんな膨大な広すぎる条件の中で、たったあれだけの理由で私のことを特定したということが」
「そうか?」
「とぼけるつもり? 失礼を承知で言わせてもらうけど、推理小説の名探偵ならともかく、天城くんみたいな一高校生にそんな洞察力があるとは思えない」
本人が言う通り少々失礼な物言いだけど、事実なので否定しようがない。
「天城君の推理が成り立つのは、『夢宮翼が『ムウ』かもしれない』という推測が出来ているという前提があるわ。天城君の推理だと『ムウ』の側から『夢宮翼』に到達したように聞こえるけど、多分それは違う。ユーザーネームや機体名称から本人を割り出すやり方だって、最初から私に当たりを付けておかないと出来ない」
「そ、それは……」
何故だろう。
夢宮さんの気迫に押され、俺の方が追いつめられている気分だった。
「『夢宮翼』が『ムウ』だと気付いたのには、本当はもっと別の理由がある。違う?」
「……ああ、そうですよ」
いったい何故、俺の方が追いつめられているんだろう。
いや、この際そんなことはどうでも言い。
ここは白状するとしよう。
「まあ、あれですよ。実際の所、ただの直感だったんです」
「直感?」
「ええ直感です。何となく夢宮さんとは、あんまり他人の気がしないというか、どこかで会ったことがある気がするというか、とにかくそんな感じだったんですよ。それでーー」
「--その理由を考えたら『ムウ』にたどり着いた、ってわけ?」
「そういうことです」
そう、本当はただの、確証のない直感だった。
無理に理由付けをしていったら、結果的にこうなったのだ。
とは言え、俺はそんな自分の直感を、信じるに値すると思っていた。
それこそ大した深い理由も無しに。
俺がそんなことを考えていると、夢宮さんは踊り場の壁にもたれ掛かりながらポツリと言った。
「……なるほど。ある意味じゃ単なる偶然ってわけか。でも、類は友を呼ぶとは良く言ったものね」
確かに、全国のプレイヤーが集まるオンラインゲームで同じチームに入った人間が、実は同じ学校のクラスメイトだったなんて、確率上は天文学的なものがあるだろう。
それこそ、ある種の運命とかを感じる程度には。
しばらくの間、俺たちは無言のまま、このほこりっぽい踊り場で立ち尽くしていたが、先にその沈黙を破ったのは夢宮さんの方だった。
「さて、私からの要求は一つだけ」
「要求、ですか?」
しかしまた随分と強気というか、高圧的というか、少なくとも普段学校で見ている夢宮さんとは、随分と印象が違っていた。
「そう、要求。この件に関して、つまり、私が『ムウ』という名前で『スペース・フロンティア』というオンラインゲームをやっているということ、それに関しての一切を隠し通すということ」
「何でそんなことを--」
「いいわね?」
「はい、わかりました」
迫力に押され了承してしまった。
……何故だ!?
何で俺の方が圧倒されている?
大体、交渉とかそういうことで考えれば、俺の方が圧倒的な優位に立っているはずなのに。
「ふーん、謙虚なんだね。何の見返りも要求しないなんて」
「……あ」
「でももう遅い。それに、多分勢いで押し切れると思っていた」
「どうして?」
「だって天城君だし」
「何じゃそりゃ。ほめられてるんだか、けなされてるんだか、俺にはいまいちわからないぞ」
「ほめてるのよ、どちらかと言えばね。とにかく、今まで通り仲良く楽しくやっていきたいわね『タツヤ』」
そう言うと夢宮さんは、今まで見たこともないような笑顔を俺の方へと向けた。
なんだか、とても楽しそうだった。
まあ俺も、別に悪い気はしなかった。
夢宮さんの意外な一面が見られたのも面白かったし。
「ああ、これからもよろしく頼むぜ『ムウ』」
それでも登下校の時とか休み時間とかなら、少しぐらいは『スペース・フロンティア』について語り合える仲間が出来たと考えれば、それも悪くはなかった。
少なくとも、ちょっとは学校に行くのが楽しみになると言うものだ。
そんなわけで、俺と夢宮さんは、秘密と趣味を共有することとなった。
多分それを『友人』と呼ぶのかもしれない。
二人並んで廊下を歩いて教室へと戻り、クラスメイトから何があったのかと聞かれたときの上手い言い訳を考えながら、何となくそんなことを思った。
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