第一章 夢宮翼という少女 一


第一章 夢宮翼という少女



「いってきまーす」

 俺はそう言いながら家を出ると学校へ向かった。

 現在時刻、七時五二分。

 多分、何百年も前から今に至るまで、学生という人間は同じように、こんな感じで登校していたんだろう。それはきっとこれから先も同じだと思う。

 通信技術の発達が学校というシステムを根本的に改革する。

 そんな未来世界を、夜遅くまでゲームに没頭する寝不足な人間の多くが、心の底から期待していただろう。朝早く起きて義務的に学校に向かうなんてことはなく、自宅にいながらの通信教育が当たり前になると、そういった希望を抱いていた人も多くいただろう。

 だが、現実はそうならなかった。

 学生という人間は、いつの時代でも学校へと登校する義務を負うこととなっていた。人と人とが直接会うことでしか伝えられないものもあるだろうから、そうした半ば様式化した学校教育が今でも行われていることも必然かもしれない。

 ともかく。

 俺は学校へと歩を進めた。

 高校の場所が徒歩圏内だったのは運が良かった。朝の満員電車に乗り込まなきゃいけないと思うと、少々気が滅入る。電車通学の人には心の底から同情する。定期券内の電車が、実質乗り放題なのは少々うらやましいけど。

 見慣れた町並みに目を向けながら、そういえば今日歴史の小テストがあったと唐突に思い出すと同時に、ふと思った。

「……まるで信じられないようなことだよな。数十年前までは戦争をしてただなんて」

 そう、かつて世界の全てを巻き込んだ大戦争があった。今となってはもう、その原因すらも正確にはわからない。そして、厳密な意味では、その大戦争がいつ始まり、いつ終わったのかすらもわからない。宇宙資源の利権がらみか、宗教がらみか、ともかく積もりに積もった問題が、やがては地球の全てを巻き込み、戦場を宇宙にまで移した大規模な戦争となったのだ。

 今でも小規模な紛争や環境問題、貧困、食糧難、人口減少など、何世紀も前から同じような問題を抱えてはいるものの、この国はおおむね平和だった。少なくとも、かつての戦争で多くの命を奪った兵器の直系達が、かつての戦場で、娯楽の道具となって戦う程度には。

 戦争は最早、過去の物となったのだ。


××× 


「おはよー」

 そう言いながら教室のドアを開けた。誰に挨拶したわけでもないけど、数名から「おはよう、竜也」と返事が返ってくる。

 現在の時刻は、教室の時計で八時一五分。

 クラスメイトの三割くらいが登校している。

 まあ、この時間ならだいたいこんなもんだろう。

 電子黒板、個人用タブレット、個人IDカードによる出席管理等々、いかにも『未来感ある設備』は過去に何度か設置されたことがあるらしいが、結局そのほとんどが定着しなかったそうだ。教室のドアを自動ドア化することも一時期検討されはしたものの、災害時のことを考慮し撤回された。

 昔の設備と大幅に変わったところといえば、……どこだろう?

 ガラスの強度が大幅に向上したとか、防犯用の監視カメラが設置されたとか、せいぜいそんなレベルの話だ。十年後だろうが百年後だろうが大差ないだろう。

 とりあえず自分の席について、鞄をかける。

 ちなみに、席順は左右を男女で分ける、男子ゾーンと女子ゾーンが出来るやり方だ。俺は男子ゾーンの一番端っこで教室の真ん中、要するに隣に女子のいる席なのだが、さて、運が良かったと考えるか悪かったと考えるか、それは人それぞれだろう。

 要するに「女子が近くにいるぞ、わーい」となるか、「気の合う話し相手が少ない、残念」となるかという、そんな感じの話だ。

 そして、俺にとってはどちらでもなかった。

 俺にとっての目下最大の興味は『スペース・フロンティア』であり、それについて語り合える人物がこのクラスには、男子にも女子にもいなかったという、それだけの話だ。

 ただ一点だけ、この席で良かった点を上げるとするならば、だ。

「おはよう、夢宮さん」

 隣に座る女子、夢宮翼ゆめみや つばささんの存在だ。

 教科書を広げ予習をしていた彼女は、俺の方へと視線を上げ、「……おはよう」と小さな声で応じた。

 比較的校則が緩い高校にもかかわらず、特に髪を染めたりもせず、律儀にカッチリと制服を着こなし、安くて安全な視力矯正手術があるにも関わらず今時珍しい眼鏡をかけたその姿は、アニメか漫画に出てくるような優等生とかクラス委員長とかみたいな感じで、事実、優等生でありクラス委員長だ。

 俺は鞄からノートを取りだし、夢宮さんへと話しかける。

「夢宮さん、今日の小テストの範囲って、ここからここだっけ?」

「ええ、そうよ。出るとしたら、多分この辺じゃないかしら」

「そっか、ありがとな」

「……別に大したことじゃないわ」

 そんなやりとりをしたら、俺は数歩歩いて自分の席へと戻る。夢宮さん、割と適切なアドバイスをくれるのだ。流石にしっかりしている。

 授業態度と課題の提出率は良くても、成績がそれほど良くはない俺なんかとはまるで違う。

 俺はハッキリ言って人と話したりするのが苦手な方だ。女子相手ともなれば尚更で、自分から話しかけにいくなんてことは滅多にない。

 夢宮さんを除いては、だ。

 彼女とは、不思議と自然に会話することが出来た。何となく波長が合うというか、あまり他人の気がしなかったのだ。それに、どこかで会ったような気さえした。小、中学校の時……、ではないはずだが。まあ、考えても仕方のないことだろう。大抵こういうのは思い過ごしとか勘違いのことが多いものだ。

 そんなことよりも、夢宮さんのアドバイスを参考にした小テストの予習の方が、よっぽど重要なことだ。


×××


 かくして、所謂平凡な高校生である俺の日常は、やはり何事もなく、平凡その物の時間が流れていった。授業はいつも通り進み、小テストも夢宮さんのアドバイスのおかげで多分問題なかっただろう。

 だが、俺にとっての『本番』はここからだ。

 授業が終わると、一切寄り道せずにそのまま帰宅する。部活動とかには入っていない。

 自宅へと戻り自室の机について、今日の内にやっておくべき宿題などへと手を着ける。

 俺が真面目な優等生だからか?

 否である。

 ……いや、特に問題児だとか、そういうわけでもないけど。

 ともかく、俺にはそうしなければならない理由があるのだ。

 親に呼ばれて夕食を食べにリビングへ。食べ終わったら手早くシャワーをすませ、自室へと戻ったらパソコンの電源を付ける。高校入学の時に親から買ってもらったノートパソコンだ。

 インターネットへと接続し、ゲーム用コントローラーの電源を入れる。そして、同時に『スペース・フロンティア』へとログインする。

 ……そう、全てはこのために。

 就寝までの限られた時間を、余すことなくこのゲームへと注ぐために。

 全てはそのための努力だ。

 俺のことを依存症と蔑む人がいるかもしれない。オタクだと嘲る人がいるかもしれない。キモイと罵倒する人がいるかもしれない。

 だが、それでもなお、俺は自分自身の今の生活に後悔はない。この趣味を、『スペース・フロンティア』との出会いを、決して後悔などしていない。

 そもそも趣味や娯楽の貴賤を問うこと自体が見当違いなのだ。本来趣味や娯楽といったものは、個人がそれを楽しめるかどうかというものであって、それが他者へと迷惑をかけない範囲においては、否定や嘲笑の対象になるものじゃないし、また、否定や嘲笑をするべきではないのだ。それを個人の胸の内に止めておくならばともかく、当人へと直接的間接的を問わずに伝わるような形にすることは、最早人間として間違っているとすら思えてくる。別に俺個人が直接的に何かいやな思いをしたとか、そんな訳じゃないけど、それでも周囲から白い目をされるとは行かないまでも、若干浮いてるんだろうな、という自覚はある。

 まあ、サブカルチャー的な趣味を持つ人間の受難なんて、きっと何百年も前から変わってないんだろうけど。

 大昔のアニメや漫画なんかからも、何となくその辺のことは読みとれるような気がする。

 実際にどうだったのかなんて、想像することしかできないけど、多分そんな感じなんだろう。

 ……と、そんなことを考えている内にログインは終了し、画面には見慣れた俺の愛機のストライクギア『ミラージュF』が鎮座する格納庫が映し出される。

 これは『スペース・フロンティア』の主な舞台となる資源採掘用惑星に設置された軌道エレベーター内の格納庫だ。ログアウトする時には惑星の各地にある回収用の安全地帯まで機体を動かせば、後は自動操縦で軌道エレベーターまで送り届けられる仕組みになっている。エレベーター内部にはそれぞれ専用の『個室』があり、ストライクギアはもちろんのこと、装備一式や採掘用の機材、予備パーツなどが所狭しと、しかし機能的に詰め込まれている。機体のメンテナンスはこの場所で、自動で行われる仕組みになっているが、メンテナンスに掛かった費用は自動的にゲーム内通化から差し引かれる用になっている。

 ではいよいよゲームを始めるとしよう。

 メッセージウインドウを確認すると、既に何人かのチームメンバーが降下していることがわかる。今はまだ戦闘も発生していなさそうなので、最初はのんびり資源採掘タイムになるだろう。機体の操作権がオートパイロットから、プレイヤーの操作へと移譲される。

「さて、と」

 自然とコントローラーを握る手に力が入る。

 機体の各部動作は問題なし。

 質量弾、推進材、その他諸々残量問題なし。

 降下地点を入力すると、ターンテーブル式の『個室』が回転し始める。

 ハッチが開き、眼下へと無人の、それでいて騒がしく熱気に溢れた惑星が広がる。

 肉眼ではなくディスプレイ越しでみているこの状況で『眼下』という表現を使うことが適切かどうか、そんな厳密なことまではわからない。

 だけど。

 少なくともこの瞬間から、俺の魂は『スペース・フロンティア』における我が愛機『ミラージュF』へと搭乗していることは確かな事実だ。

 機体の両脚部が電磁カタパルトへと固定される。

「『タツヤ』、『ミラージュF』行きます!」

 昔のロボットアニメから続いていると思われるお決まりの台詞を思わず口にしながら、電磁カタパルトを起動させる。

 次の瞬間、電磁加速の超高速によって機体は射出された。

 直接その場にいないので何とも言えないが、おそらくはとてつもない加速のGがかかるのだろう。

 だが、そんなことに思いを馳せている場合ではない。背面部の翼を展開、飛翔用のジェットエンジンによる高速飛行が開始される。

 ちなみに、この資源採掘用惑星は、重力や大気成分が異なるため、地球上とは操作感覚がかなり違うらしい。俺が地球上でストライクギアを操作するなんてことは無いだろうから、全く関係のない話だけど。

 そうこうしている内に、そろそろ俺の所属するチームの拠点が見えてくる頃だ。減速を開始し、降下準備に入る。大型推進材や降下用パラシュートを使えば安全に降りることも出来るけど、基本的に使い捨てなので少々もったいない。

 そんなことを言って、降下失敗で機体にダメージを与えてしまったら、それこそ本末転倒なので、操作は慎重にやる必要がある。

 ともかく。

 俺は今日もこの場所へと戻ってきた。

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