4-3 滅びゆく街

「早速殺人か。安全が保障された街は違うな」

 あざけるようにロジャーが言う。

 太った老年の男が、両手足と頭を打ち抜かれている。頭の上半分を吹き飛ばされたのがトドメだろう。格子の奥に倒れている男は、ナイフで喉を貫かれて死んでいる。


「なんだ、この本……」

 机に置かれた本に、ナイフが突き立てられている。本はフランス語で書かれているようだが、ディエゴにはタイトルさえわからなかった。


「ジュール・ヴェルヌか」

 ロジャーが言う。

「知ってるのか?」

「多少はな。国旗に向かって……ただの嫌がらせってワケでもないだろうが」

 ロジャーは無精髭をさすりながら、突き立ったナイフを本を観察している。


「何の意図だろうと関係ない。犯人を捕まえて絞首台に送ってやる」

 バージルは事務所の銃器ケースを開けて、スプリングフィールドM1873を取り出した。

「ずいぶん古い銃だな。単発式のトラップドアじゃ、二発目を撃つ前にやられるぜ」

「一発で十分だ。おれは狙いを外さない」

「大した自信だ」

 バージルの発言を小馬鹿にするように、ロジャーは笑う。この男が同じようなことを言ったのをディエゴは覚えている。


「ディエゴ、犯人を捕まえるまで力を貸してくれ。お前を保安官補佐に任命する」

 市保安官には保安官補佐の任命権がある。有事の際に市民に保安官の権限を仮で与え、犯罪者と戦う為だ。

「おい、ディエゴ。おれたちには目的があるのを忘れんなよ」

「わかってる。だけど……この状況を放っておけるかよ」


 バージルはディエゴの返事を待たなかった。

 預けたガンベルトと拳銃を投げ渡す。

「武器が必要だろう。保安官補佐なら、銃器の携帯は認可される」

「おれの分は?」

「お前は信用ならん」

 ロジャーの言葉をバージルが一蹴する。


 保安官事務所の周りには見物人が集まっていた。

 彼らに向かってバージルは言う。

「誰か、殺害の場面を目撃した者はいないか。事務所から逃げて行く姿でも良い」

 見物人たちがざわついている。やがてぽつぽつと声が上がった。おれは見た。わたしもだ。バージルは何人かに話しを聞いた。

「顔は、はっきり覚えてないけど。薄汚れたコートの、ネクタイ姿だった。誰かが事務所に入って行ったんだ。それから悲鳴と、銃声が聞こえたんだ」

「悲鳴と銃声が聞こえて、誰も中に入ろうとは思わなかったのか」

 通りの群衆に向かって言ったのはロジャーだ。

「彼らは武器を持っていない。無闇に近付いて被害者を増やす必要はない」

「誰もが銃を持ってれば、犯人を止められたかもな」

 皮肉げにロジャーが笑う。


 ディエゴは保安官事務所に集まった、無力な人々を見回した。

 見知った顔もいる。相手の方ではディエゴを覚えているかわからないが、五年前ですらディエゴは故郷の人々に怒りと失望しか感じていなかった。今さら親しくしようという気にもなれない。

 懐かしい故郷の街。保安官事務所、馬止めコラル、街を出てから新築された酒場が見える――その屋上に、人影があった。

 カウボーイハットの男が、手にライフルを持っている。

 フィンガー・レバーを押し出す操作が、見えた。

「危ない!」

 ディエゴは叫んだ。叫び、拳銃を抜いた。

 50ヤードは離れている。拳銃では届かない。

 カウボーイハットの男が群衆にライフルを向ける。

 ライフルの銃口から炎が上がり、銃声と悲鳴が重なった。

 バージルが小さな悲鳴を上げて、左手で足を抑えた。

(……撃たれた!?)

 身を隠す。

 戦う。

 バージルを守る。

 ディエゴは瞬時に判断を迫られた。ウィンチェスターが次の弾丸を吐き出すまでに、四分の一秒もない。

 四分の一秒。

 その間に何をすべきかを決めなければならない。


 ディエゴは走り、バージルを突き飛ばした。

 再び銃声。地面にぶつかったライフルの銃弾が、撥ねた。

 突き飛ばされたバージルは、倒れたままの姿勢でスプリングフィールド・ライフルを構える。

 ほんの一瞬。銃身を持ち上げ、引き金を引く。

 轟音。スプリングフィールドの銃口から、硝煙が伸びる。

 屋上の男が、くずおれた。

 屋上から落下して軒先の樽にぶつかり、地面に落ちて四肢を投げ出している。


「ディエゴ! まだ敵が居るぞ!」

 バージルが叫ぶ。

 拳銃を構えたまま、ディエゴは視線を巡らせた。

 逃げ惑う群衆。

 通りに並ぶ家屋。

 舞い上がる砂埃。

 足をひきずるバージル。

 灼熱と輝く太陽。

(敵は……敵は、どこだ!)

 ロジャーが動いた。突然振り向き、コートをはためかせて左腕を振るう。

 ロジャーの左手から炎が上がった――拳銃が握られている。

 くぐもった悲鳴が聞こえた。ロジャーの視線を追う。ディエゴの背後、建物の影に男が一人倒れている。身体の下に血溜まりができていた。

 男の落とした拳銃は撃鉄が上がっていた。


「おれが拳銃を持っていて助かったな」

「……礼を言う。お前がいなければ、危なかった」

 立ち上がったバージルは、撃たれた左足を引きずりながらロジャーに近付く。

 そして、左手を差し出す。

「だが、拳銃は預かる」

「職務熱心だな。尊敬するぜ」

 ロジャーは抵抗せず、拳銃をバージルに渡した。

「他にも隠してないだろうな」

「イエスと言ったら信じるか?」

「何を言われようとお前は信用できんな」

 手渡された拳銃をバージルが観察している。

 ロジャーが隠し持っていたのは、ディエゴの見たこともない拳銃だった。

 リボルバーが付いておらず、コルトに比べるとグリップから銃身、撃鉄から銃口までがのっぺりと直線的に見える。弾倉のない単発式の決闘用拳銃かとも思ったが、それにしては装飾もなく、地味だ。


 拳銃を観察していたバージルが、目を細めた。

「……コルトM1911? 陸軍の最新式だ。どうしてこんなものを?」

「カードのツケに巻き上げたものさ」

「民間での所持は禁止されている」

禁酒州ドライでだって酒は買える。禁止すればできなくなると思っているなら大間違いだ」

 バージルは納得した様子もなく、ディエゴを見た。

「言っておくけど、ロジャーのことを聞かれたっておれも知らない」

「……まあ、いい」

 バージルは足を引きずりながら、死んだ狙撃手のところへ向かう。


 男が完全に絶命していることを確認すると、バージルは男の白い覆面を剥ぎ取った。丸顔の中年男。瞼が開いたままで、濁った瞳がアリゾナの太陽を見つめている。

「……フランクの牧場の、牧童頭だ」

 バージルは黙り込んだ。考え込んでいるようだ。

 突如、爆発音が連続して響いた。

 バージルが鋭く視線を向ける。通りをいくつも抜けた向こうに、煙が上がっている。


「やれやれ。ずいぶん慌ただしい街だな。悪魔にでも愛されてるんじゃないか」

 ロジャーが言って、バージルに手を差し出した。

 意図を察して、バージルはロジャーに拳銃を渡す。

 コルトM1911と、シングルアクションアーミー。

「お前を臨時の保安官補佐に任命する」

「賢明な判断だ」

「ディエゴ! この男と一緒に向かってくれ」

 迷っている時間はなかった。ディエゴは頷くと、馬に飛び乗って走り出した。


 故郷のローンで何かが起こっている。二人の殺人、襲撃。それに爆発。

 通りを馬で駆け抜ける。大きな広場の向こう、建物が炎に包まれている。

 建物から誰かが出てくるたび、拳銃やライフルを発砲する。服と髪を燃え上がらせた人物が飛び出して、地面を転がる。

 身体を焼かれてもがき苦しむ男に向かって、駆け寄った四人の暴徒が執拗に発砲を繰り返した。

 完全に動かなくなってもまだ足りないのか、頭に二発の銃弾を叩き込む。

「父さん!」

 若い赤毛の女が、無残に殺された死体に走り寄っていく。

「アンタたち、よくも父さんを!」

 赤毛の女は何を血迷ったのか、ショットガンを持つ覆面の男たちに立ち向かっていく。

 銃口が一斉に女へ向けられる。怯むことなく、女は太もものホルスターから拳銃を抜いた。


「逃げろ! 殺されたいのか!」

 赤毛の女に向かって、ディエゴが叫ぶ。

 叫び、拳銃を連射した。狙いも滅茶苦茶で、誰にも命中はしない。ショットガンを持つ男たちの注意がディエゴに向く。

 誰かに襟首を掴まれて引きずり倒された。弾丸が耳元を通り過ぎる。空気を切り裂く音に、鼓膜が痺れる。

 ディエゴの襟首を掴むロジャーが、男に向かって撃ち返す。乱暴に振り回され、建物の影に向かって放り投げられた。


 つんのめって倒れるディエゴの目の前で、ロジャーが神速の連射を見せる。

 二人、三人。ライフルを構えた男たちが糸の切れた操り人形のように地面へと倒れて行く。

 射程の不利など物ともせず、ロジャーは正確に敵を撃ち抜いていく。


 ロジャーの強さを思い知ったのか、覆面の男たちは馬に飛び乗ると一目散に逃げ出した。

「殺されたいのか? 銃撃戦に飛び込んでいくなんて、正気とは思えないな」

「……あの子を助けようと思っただけだ」

「それでおれに助けられてちゃ恰好がつかないぜ」

 もう敵の姿はない。覆面の暴徒たちは素早く街の門を抜けて、荒野の果てへ向かっている。


「追うなよ」

 ロジャーに言われるまでもなく、追うつもりはなかった。追い付いたところで、今の自分では撃ち殺されるだけだ。

 手が震えている。自分の無力さに腹が立つ。


 ロジャーは瞬く間に四人を撃ち殺した。ディエゴは一人も撃てなかった。


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