四部:破滅の狼煙

4-1 法の守護者たち

 街は、正方形に近い形をしている。


 南北に向かって走る四本の大通り、ファースト・ストリートからフォース・ストリート。東西にサリー・ストリート、ベルモンド・ストリート、アラン・ストリート、タラ・ストリート。東西合わせて八の大通りが、網の目のように等間隔で並んでいる。

 最盛期にはホテルが四件、酒場は六件有った。劇場に写真館、新聞社が有り、西部最大とも言われた街、トゥームストーンに負けない活気を誇っていた。

 今では建物の半分以上が廃屋と化している。行く宛もなく街を捨てられなかった住民たちが細々と暮らしていた。


 街の名はローン。

 銀鉱山のあったトゥームストーンからあぶれた鉱夫、商人、娼婦、無法者が集まって築いた街だ。人も物も金もトゥームストーンから流れて来た。墓石トゥームストーンの下に生える芝生ローンがこの街だ。


 ローンは元々、平和な街だった。国境からも離れ、近隣には豊富な水量の河川が流れている。主な産業は農業で、殺しも滅多にない。

 しかし年老いた保安官のベンジャミンには、街の平和を維持する力はない。闘志の枯れ果てた老骨に、故郷を守ろうという気概もなかった。かつては早撃ちのベンと恐れられた男が、膨れた腹が邪魔をして拳銃を抜くことすらもたつく。ローンの治安は日に日に悪化の一途をたどっていた。

 だが今はこの男がいる。


 短く刈り込んだ金髪。鍛え上げられた身体。強靭な意志を秘めた両目。

「バージル、酒場でケンカだ。頼めるか?」

 ベンが尋ねると、バージルは黙ってうなずいた。

 タウン保安官マーシャルの証である星章が、バージルの胸に光っている。


 酒場の中央で、二人の男が睨み合っている。

 一人はナイフを、一人は拳銃を持って。

「エトガー、ナイフを捨てろ」

 身構えもせずに、バージルは言う。

「フランクもだ。ケンカに銃を持ち出すなんて、何を考えてる」

「引っ込んでろ、バージル。絡んできやがったのはエトガーの野郎が先だ。この野郎、叩きのめしてやらなきゃ気が済まねえ!」

 酒か怒りか、顔を真っ赤にしてフランクが怒鳴る。

 対して、エトガーの表情は鬼気迫るものがあった。

「フランク……お前が地下室に忍び込んだのはわかってる。盗んだものをいますぐに返せ。今なら許してやる」

「だから知らねえって言ってんだろ! いい加減にしやがれ!」

「シラを切るのはやめろ。盗んだものの価値もわからないクセに。いいか、アレを取り戻すためならお前ひとりくらいいつでも殺してやるぞ。拳銃を持って来なかったのは温情だ。お前を撃ち殺さないように自制する自信がないからな」

「やってみろエトガー、てめえ、誰を殺すだと? 死ぬのはてめえだ! 自分で売った拳銃で死ね、自業自得だよなぁ!」

 二人の言い争いを聞き、バージルは溜息を吐いた。

 溜息を吐き、瞬時に発砲。

 乾いた音を立てて、ナイフと拳銃が床に落ちた。


 撃たれた二人は――何があったのか理解できず、自分の手を見下ろしている。

 拳銃の銃身と、ナイフの刀身。目にも止まらぬ早業で、二人の武器に弾丸を命中させて弾き飛ばした。

 バージルは硝煙の上がるリボルバーを指先で回転させ、ホルスターに落とす。

「おれの街で無法は許さん」


 フランクの顔が、赤から青に変わる。

 拳銃を落としたフランクはバツが悪そうに、愛想笑いを浮かべた。

「いや……バージル。そんなつもりじゃなかった。ただ、ケンカを売ってきたのはエトガーなんだ。こいつ、おれをドロボウ呼ばわりしやがって」

「それで拳銃を抜いたのか? フランク、お前らしくないな。それに街中での銃器携帯は禁止されている。知らなかったとは言わせんぞ」

「そ、そりゃあ、まあ知ってたけどよ……」

「エトガー。お前は家に帰れ。今日はもう十分だろう」

 エトガーは納得しなかった。フランクを睨みつけ、歯噛みしている。

「何かを盗まれたというなら、あとで保安官事務所に来い。きちんと捜査はする。フランク、お前はおれと一緒だ。留置場で頭を冷やせ」

「まさか……冗談だろ? ちょ、ちょっと飲み過ぎただけなんだ。なあ、バージル。おれとお前の仲じゃないか」

「お前が誰だろうと関係ない。無法には法で応えるのがおれのやり方だ」

 フランクが何か言いかけて、口をつぐんだ。バージルの鋭い眼差しにひと睨みされれば、悪党だって震え上がる。何を言い訳しても無駄だと察したのだろう。

 諦めたようにフランクが頷く。


「流石だな、バージル。お前に任せて正解だった」

 ベンは太った腹を震わせて、笑った。

「さあ、大人しくついて来いよ。わたしはバージルほど狙いが正確じゃないからな。ヘタに抵抗しようもんなら、腹に大穴が空くぞ」

 ベンはすべてが解決してから、のろのろと拳銃を抜いた。酔っ払いのフランクに銃口を突きつけたまま、酒場を出る。

 バージルが正式な市保安官に任命されてから、ベンの仕事は楽になった。

 ベンが拳銃を抜くよりも早く、バージルがすべてを解決してくれる。

 バージルの活躍で、ローンの治安は劇的に回復していた。

 面倒毎はバージルに任せて、自分は第一線を退いた保安官補佐デュピティとして偉そうに采配を振るだけでいい。

 苦節五十年がようやく報われた。これからは楽ができる。

 フランクに銃口を突き付けながら、ベンはニヤつく笑みを抑えられなかった。


 ――――――――


 保安官事務所に戻ると、格子で区切られた留置場にフランクを入れた。

 バージルはすぐに愛用のコルト・ドラグーンに弾丸を詰め直す。

 撃鉄を半分ハーフ起こしコック、弾倉前面の穴に火薬を詰める。火薬の上に鉛弾を乗せ、銃身下のローディングレバーを押し下げて弾薬を押し込んだ。弾倉を一つ分回転させ、同じ作業を繰り返す。

「バージル」

 自在戸を押し開けて、中年の男が飛び込んでくる。


「どうした。またケンカか」

 バージルの質問に、男は首を横に振る。 

「死にかけの男を連れた、怪しい二人組だ。今、ホリデイ先生の診療所にいる。何者か知らないが、バージルを呼んでくれって」

「わかった。すぐに行く」

「それと……大丈夫だとは思うが、二人とも武装してるんだ」

 男は不安そうにベンを見た。

 やれやれ。ベンは溜息を吐いた。

「わたしも行こうか」

 もちろん、本気ではない。ベンはこれ以上、トラブルに巻き込まれるつもりはなかった。

 予想通り、バージルは首を横に振る。

「ベンはフランクの監視を頼む。もしおれに恨みを持つヤツだとしても、一人で十分だ」


 男とバージルが揃って保安官事務所を出て行くと、ベンはもうその事件に関しては何も考えなかった。

 バージルが大丈夫だと言えば、何も心配はない。

 戸棚からジャックダニエルのビンを取り出し、舐めるように飲む。

「ベン。おれにも一杯わけてくれよ」

 格子の奥でフランクが言う。ベンは鼻で笑った。

「犯罪者に情けはかけられんな」

「勘弁してくれよ。おれのせいじゃないって、アンタにはわかるだろ? バージルにも言ったけどよ、ケンカを売って来たのはエトガーが先なんだ。前から頭のおかしい野郎だとは思ってたが、酒場に怒鳴り込んで来るなり、おれを盗人呼ばわりしやがって」

「お前は前科者だからな」

「まあ……たしかに昔はエトガーの店から盗みを働いたこともあるけどよ。貧乏だった頃の話だろ。あの頃は食い繋ぐ金がなくて、なりふり構わってられなかったんだ」

「食い繋ぐのに必死、ねえ」

 ベンジャミンはフランクから没収した拳銃に目をやった。


「最近はずいぶんと羽振りが良いじゃないか。スミス&ウェッソンのアーミーか。新品同然だな。前に使ってた古いコルトはどうした?」

「どうでもいいだろ、そんなことは。農場の仕事が軌道に乗ったんだ。金回りの良い客を見つけただけの話だよ」

「違法なことに手を出してるんじゃないだろうな。わたしはともかくバージルが黙っていないぞ。あいつは法の守護者ってやつだからな。少し頑固なところはあるが、熱心な男だよ」

 ベンはウィスキーを喉に流し込んだ。

「わたしも市長に推薦した甲斐があった。バージルの奴、南部人のクセに共和党員だからな。市長がずいぶん渋ったが、最後にはわたしの熱意が通じて市長も承認した。選挙の時を覚えてるだろ? 満場一致でバージルの保安官就任が決まったよ」

「当たり前だろ。老いぼれのアンタとバージルだったら、誰でもバージルに入れるに決まってる」

 ベンは答えず、ウィスキーをもう一口飲んだ。アリゾナの暑さを忘れるには酒が一番だ。

 酒が身体に回り、ベンは椅子に座ってまどろんでいた。

 

 傾いた夕陽が明かり採りの窓から差し込んでいる。

 自在戸が動いた。自分のいびきに驚き、ベンは目を覚ました。

「バージル、遅かったな。ずいぶんと……」

 言いかけて、止めた。寝惚けた目をこする。

 入ってきたのは見知らぬ男だった。山高帽をかぶった、整った口髭の男。

 

「誰だ? 何か用事かね」

 尋ねると、男は大げさに驚いて見せた。

「わたしを知らないのか」

「知らんな。大統領には見えないが」

 男はフロックコートの砂埃を払い落とす。服に染み付いた真っ黒な染みは――血のようにも見える。


「では、はじめましてと挨拶をさせてもらおう。それともさようならか」

 握手を求めるような気軽さで、男は抜いたナイフをベンの喉元に突きつけた。

 一切の躊躇も見せず、かと言って急ぎもしない。あまりに自然な動きで、それが自分に向けられた敵意だと理解するのが遅れた。

 喉に鋭い痛みが走る。

 ナイフの刃が首に、たるんだアゴの肉に食い込んでいる


 男がヘビのように鋭い目で、ベンを睨む。

「外にはわたしの仲間が十人いる。わたしが一声掛ければ飛び込んでくる。意味はわかるか」

 ベンは頷こうとして、やめた。ああ、と小さく同意の声を漏らす。

 男はベンのホルスターから拳銃を抜き取った。

「この拳銃はいただいておこうか。良く手入れされているな。いいだろう?」

 そんなもので命が助かるならいくらでもくれてやる。

「では、次にその格子を開けて貰おうか。いいか、大声を出すなよ。下手な真似もするな。まだ死にたくなければな」

 ナイフの刃が離れるが、まとわりつく恐怖だけは消えなかった。

 ベンは慌てて立ち上がると、フランクの入っている格子を開ける。


「た……助かった、ラファエル。わ、わざわざ迎えに来てくれたのか?」

 フランクの顔は青ざめている。とても仲間に助けられて喜んでいるようには見えない。

「礼は必要ない。わたしは裏切り者を自分の手で始末すると決めているからな」

「う、裏切りって……」

「ウソは吐くなよ。わたしはウソ吐きは嫌いでね……お前とエトガー、裏切ったのはどっちだ? どっちがウソを吐いている? エトガーはお前が盗み出したと言っている」

「お、おれは何も知らねえ! 何のことだ、ラファエル!」

 男が右手を振った。逆手に握ったナイフを、フランクの右手に突き刺す。

 フランクが悲鳴を上げた。

「いいか、二度は言わない。全員を拷問して回るのは効率も悪いし、時間もないからな。ウソを吐いているのはどっちだ?」

「エトガーだ! おれはなんにも知らねえ! アンタとエトガーが何をしてるかなんて、おれは……!」

 白刃がきらめくのをベンは見た。右手から引き抜かれたナイフが、フランクの喉に深々と突き刺さる。

 悲鳴は出なかった。フランクは男に口を抑えられ、苦しそうなうめき声と――切り裂かれた喉から、風の漏れる不気味な音を漏らしていた。


「まあ、どっちでもいいんだ。いずれにせよ危険は排除しておかなければな。ファミリーを危険にさらすわけにいかないのでね。悪く思うなよ」

 倒れたフランクが手足をばたつかせる。逃れようとしているのか、ただ痙攣しているのか。フランクが動かなくなるのを、男は満足げに見下ろしていた。


「悪いな。部屋を血で汚してしまった」

 殺人を犯した男は、まるで朝食のオートミールをこぼしたかのような気軽さで言う。 

「これでわたしは立ち去るが……今日、わたしと会ったことは忘れるよな、ベンジャミン・デイビス」

「ど、どうしてわたしの名前を?」

「さて、どうしてだろうな。バージル・マディソンが不在で良かった。あの男がいたら、ことは簡単には済まなかったからな」

 男は背中を向けると、自在戸に向かって歩き出す。それから思い出したように手の中の拳銃を見た。

「ところでこの拳銃、何年くらい使っているんだ?」

「お、覚えていない。わたしがまだ若かった頃だから、二十年は経つ。そんなもので良ければ持って行け。整備は欠かしてないから、十分に使えるはずだ」

「では試してみよう」

 男が引き金を引いた。

 両肩と両足を正確に打ち抜かれ、ベンは悲鳴を上げた。


 男が近寄ってくる。手も足も、動かない。ベンは芋虫のように床を這いずって、げる。

 その背中を思い切り踏みつけられた。

「わたしは義務を果たさない者は嫌いなんだ。お前は保安官だろう? 悪党に従ってどうする。命を懸けてわたしを止めるべきだったな……もっとも、結果は変わらなかったが」

 後頭部に押し付けられた銃口が、焼けるように熱い。

 断末魔を上げる暇もなく、ベンは頭を吹き飛ばされた。

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