3-4 裏切者の末路


 ラファエルは周到に足跡を隠していた。

 ディエゴにはラファエルの足跡などまるでわからなかったが、ロジャーは違った。何を持って判断しているのかわからないが、迷いなく馬を進める。

 ディエゴにはわからない小さな手掛かりを見ているのかも知れないし、当てずっぽうで進んでいるだけかも知れない。いずれにせよディエゴはただついて行くしかなかった。

 追跡を始めて、二日が過ぎた。


 両側を切り立った崖に挟まれた、谷間の道に辿り着いた。

 ディエゴの見知った場所だった。半マイル(約800メートル)ほども続くこの道を抜けて馬を走らせれば、故郷のローンにたどり着く。

「お前がラファエルだったら、どうする?」

 突如としてロジャーが言った。


「……どうするって、なにが」

「ここを通るなら、進める道は一本しかない。幅も狭いし、せいぜい馬が横に並んで三頭が限界だな。速度も出せない。お前がラファエルで、もし追っ手が来ていたらどうする?」

「できるだけ急いで抜ける。銃撃戦になったら身を隠す場所もないんだ」

「おれがラファエルなら待ち構えるね。あの崖にのぼれば、道を通るやつを簡単に狙撃できる」

「でも、ラファエルは一人だ。荷物も持たずに逃げて、来るかどうかわからないおれたちを待ち伏せなんかしないだろ」

 ロジャーは振り返って、背後を見ている。

 ディエゴもその視線を追った。ロジャーが見つめる先に、土煙が上がっている。ぼんやりと馬に乗った一団の姿が見えた。数はわからないが、十人か二十人はいるように思えた。

 土煙を上げる馬の集団が、谷間に近付いている。


「あの連中は偶然、こっちに向かってるだけと思うか?」

「ここは街道の裏道みたいなものだ。知ってる人なら通ることだってある。ロジャー、アンタは何を心配してるんだ?」

「あいつらもラファエルを追ってるか……でなけりゃ、強盗団のメンバーかもな」

「それこそ有り得ない。バレンズエラ強盗団は壊滅したんだ。全員アンタが殺したじゃないか」

「死体の数が一つ足りなかった」

「死体?」

「あの隠れ家に男は十五人いたんだろ? 逃げたラファエル、ディエゴ、おれが最初に殺した三人。これで五人だ。銃撃戦が始まってからは九人、殺した。十四人だ。あと一人はどこへ行った?」

 ロジャーが全員を撃ち殺したものだとディエゴは思っていた。あの洞窟に満たされた死臭にうんざりして、誰の死体があるのか確かめる気にもなれなかった。


「馬を隠せ、ディエゴ。連中が通り過ぎるのを待つぜ」

「冗談だろ? 心配しすぎだ。仮に生き延びた敵の誰かが逃げたとして、残りはラファエルと二人になるだけだ。あの馬の集団は少なく見ても十人はいる」

「忘れちまったならもう一度言うが、黙っておれの言うことに従え。嫌なら一人でラファエルを追うんだな」

 ロジャーはすぐに動いた。小さな段差をよじ登り、10ヤードの崖を登る。仕方なくデェイゴは馬とラバを灌木の茂みにつなぎ、ロジャーの後に続いた。


 ロジャーが崖の淵からそっと顔を覗かせた。

「どうやら、先客がいるようだぜ」

 顔を引っ込めて、ロジャーが小声でつぶやく。

 ディエゴも崖の下を覗き込む。誰の姿もない。ロジャーに肩を叩かれ、見たのは崖の反対側。道を挟んで向こう側の崖その頂点に、白い覆面をした男たちがいる。

 ディエゴは慌てて頭を引っ込める。左右の崖は高さが違い、幸いディエゴたちの陣取った崖の方が高さがある。向こう側からこちらの様子は見えないはずだ。

「なんだよ、あいつら」

「バードハントの愛好家でないのは確かだろうな」


 馬の立てるヒヅメの音が地鳴りのように近付いて来る。

 大岩の間を貫く道に向かって、馬の集団が十人ほど走ってくる。

 彼らが道に入り、数分も経たないうちに銃声が響いた。

 耳をつんざく轟音に頭をすくめる。

 銃撃は続く。覗き込むと、白覆面の男たちが谷間を走る集団に鉛玉を浴びせかけている。

「あいつら……あいつら、何をやってるんだ」

「おれには殺し合っているように見えるがね。この中にラファエルはいるか?」

「いるはずない。あいつは一人で逃げたんだ」

 隠れ家からこの崖までに街はなく、電話や電信でラファエルが仲間に連絡を取ることも不可能だ。どちらかの集団にラファエルがいるはずがない。


「見ろと言ってるんだ。ラファエルの面をおれは知らないんだぜ」

 焦れたようにロジャーが繰り返す。

 ディエゴは恐る恐る、谷間を覗き込んだ。馬に乗った集団はハッキリとは見えない。覆面をした男たちも顔はわからない。

「あいつらが何者だとして、ここにラファエルが……」

 いるはずない――言いかけたディエゴの目に、見覚えのある姿が見えた。

 崖の向こう側に、血塗れのフロックコートを着た男がいる。山高帽はしておらず、顔の下半分は隠していた。

 だが、あの顔は見間違えようがない

「……いた。ラファエルだ」


 ロジャーが頷いた。

 頷いて、動こうとしない。この位置からロジャーがライフルで狙撃すれば、当てられるはずだ。ロジャーは動かない。ライフルを両手で構えたまま、ラファエルを狙おうとしない。

「ロジャー。いたぞ、アイツがラファエルだ。この位置なら、アンタの腕なら撃てるだろ」

「ダメだ」

 一言だけ、ロジャーはそう言った。

「ダメだ? 何がダメなんだ。撃つなら今しかない。今ならアイツを殺せる!」

 ロジャーは答えない。

 ディエゴとロジャーの見つめる中、崖の上に陣取るラファエルは無造作に拳銃を引き抜いた。

 装飾の刻まれた、長銃身のコルト。

 谷間を走る集団に銃口を向ける。炎と硝煙が上がる。

 覆面でラファエルの顔は隠されているが――殺人の感触に愉悦の笑みを浮かべているのが、ハッキリとわかった。

「ロジャー!」

 焦れたディエゴが叫ぶ。ロジャーは黙って首を振った。

「ここでは撃つな」

「怖気づいたのかよ! ここで殺さなきゃ、またラファエルを逃がすだけだ!」

 悪態を吐いたところで、ロジャーはライフルの引き金を引こうとしない。


「ロジャーがやらないなら、おれがやつを殺す!」

 ディエゴは自分のリボルバー・ライフルを構えた。

 銃身を岩に押し付けて、固定する。

 照星を目標に対してまっすぐに。ライフルの基本を思い出しながら、銃口の向きを調整した。

「やめろ、ディエゴ」

 右手に力が入らず、銃口が落ち着かない。銃身が何度も滑り、ラファエルの方向をしっかりと狙えなかった。

 距離は100ヤード以上。西からの風が強く。舞い上がる砂塵で視界も悪い。

(当ててやる……!)

 ラファエルを殺せるかどうか、賭けだ。

 命中すれば、すべてが終わる。

 復讐の銃弾をやつに叩き込めば。

「銃を降ろせ、ディエゴ! 死にたいのか!」

 ロジャーの叫びを無視して、ディエゴは引き金を引いた。


 ライフルの弾は――どこに当たったのかもわからない。

 ラファエルをかすめもしなかった。

 銃声と硝煙でディエゴたちの存在を教えただけだった。

 それまで上方を警戒していなかった覆面の集団が、ディエゴとロジャーに気付いた。銃口が一斉に、ディエゴに向く。

 ライフルのすぐ真横で岩の表面が砕けて、甲高い音を立てた。

 ロジャーに襟首をつかまれ、崖際から引きずり戻される。

「退け!」

 ロジャーが叫び、馬を止めていた場所へ向かって崖を駆け下りる。

 ディエゴも慌てて馬へ駆け戻った。銃声に怯える馬の手綱を引き、走る。


 すぐに追っ手がやって来た。後方から銃弾がかすめて飛んでいく。

 ロジャーは撃ちかえしていたが、ディエゴにその余裕はなかった。

 馬を全力で走らせ続ける。

 何マイルほど後戻りしただろうか。気付くと、敵の姿は見えなくなっていた。

 それでもロジャーは警戒を解かなかった。右手にライフル、左手に拳銃を握っている。


「馬鹿な真似をしやがったな」

 吐き捨てるようにロジャーが言う。

「チャンスだった。ラファエルを殺せるはずだった。右手が使えさえすれば……」

 狙いさえしっかりと付けられたなら、当たらない距離ではなかった。

「ロジャーこそ、どうして撃たなかった! ラファエルを殺すにはそれしかなかった!」

 ロジャーはライフルの柄でディエゴを殴りつけた。

 額を殴られ、ディエゴは落馬し掛ける。馬の首に抱き付いてバランスを取り戻す。

「何を――」

「何をされたかわからないか? なら何発でも殴ってやる。お前を助けたのは失敗だったな。一緒に居たら命がいくつあっても足りない」

「ラファエルに追いついたんだ! アンタの腕なら、あそこから撃てたはずだ!」

「この腕じゃもう無理さ」

 言われて初めて、ディエゴは気が付いた。

 ロジャーの右腕、コートの袖にじわりと血が滲んでいる。


「……撃たれたのか」

「あれだけ武器を持った男がいて、撃たれないと思う方がどうかしてる。もしお前がラファエルの狙撃に成功していたら、連中はおれたちを見逃がしちゃくれなかっただろうよ」

 何も言い返せなかった。ロジャーは右手を動かして、怪我の具合を確かめている。幸い弾丸は抜けているらしく、傷は深くないように見える。

 ロジャーはコートを脱いで、水筒の水を傷口にかけた。馬鞍から包帯を取り出すと、手馴れた様子で自分の右腕に巻きつける。

「あの白い覆面がラファエルの強盗団だな。まるでクー・クラックス・クランだ」

「……ラファエルに他の仲間はいない。強盗団は壊滅した、はずだ」

「自分で見たものをもう忘れたのか? あの場にはラファエルがいて、ラファエルと行動を共にする武装集団がいたんだ。ラファエルには仲間がまだいるってことだ。いいか、あらゆる可能性を考えろ。やつの首にどうして大金が掛かるかわからないのか?」

「悪党だからだろ」

「悪党なら大勢いる。二万ドルの賞金は伊達じゃない。ラファエルが特別なのは、アイツが死なないからだ」

 冗談を言っているのかと思ったが、ロジャーの表情は真剣だった。 

「ラファエルを殺そうと躍起になってるのが一人や二人だと思うか? 二万ドルなら寝首を掻く価値もある。アイツの部下だって金目当てに殺そうとするだろう。それでもラファエルは生き延びている」

「死なない人間なんて、いるはずがない」

「ところがラファエルは死なないのさ。アイツは腕が立つ。それに臆病だ。自分が生き延びるための道を一つや二つではなく、いくつも常に用意している」

「……まるでラファエルを知っているみたいに言うじゃないか」

「知ってるさ。二万ドルの噂は嫌でも耳に入る。義賊、大悪党、そして女を殺す」

「そうだ。隠れ家の女たちはみんな、あの男に殺された」

「いいか、ディエゴ。復讐を遂げるつもりなら、ヤツを殺せればそれで良いなんて考えは止めろ。命を賭けるってのは、賭けに勝った時には自分の命も無事じゃなけりゃならない。ラファエルを確実に殺して、自分は生き残れ。勝つってのはそういうことだ」

 ロジャーは一方的に言って馬を走らせた。ディエゴも後を追うしかなかった。


 荒野を駆ける風の音だけが唸っている ロジャーは馬上から、じっと遠くの崖を見つめている。ついさっきまで激しい銃撃戦が繰り広げられていた谷間の道。

 銃声はもう聞こえない。

「生き残りがいたら全力で走れよ」

 ディエゴは大人しく頷いた。ロジャーがゆっくりと馬を走らせる。

 影の落ちる谷間に、無数の死体が転がっている。覆面をした死体もあったが、岩山から落ちた時に損傷したのか頭は割れて、潰れていた。

 重なる死体から流れ出す赤い血の河。ディエゴは吐き気を覚えた。死体を踏まないように避けながら馬を走らせる。


 先を行くロジャーが手を上げ、ディエゴを静止する。 

 歩いている者がいた。ふらふらと頭を左右に振って、引きずる足が血の跡を残している。

 まるで死体が歩いているようだ。二人が走らせる馬の足音すら聞こえないのか、振り向きもせずに歩いている。

 ディエゴは拳銃を抜くと、男を追い抜いた。 

 男の顔に、ディエゴは見覚えがあった。

 すぐにわからなかったのは、あまりにも男が憔悴していたからだ。

「……ライリー」

 大きな傷跡のうねる顔が、血で真っ赤に染まっている。 

 目の焦点は合っておらず、すでに意識もないように見える。ただ亡霊のようにゆらりゆらりと揺れながら、どこかを目指して谷間を歩いている。


 ロジャーがディエゴを見た。

「こいつは?」

「……ラファエルの部下だ。ラファエルの他に生き残ったのは、こいつだと思う」

「殺すのか?」

「殺すって……」

「ラファエルの部下だろ。お前にとっては敵だ。違うのか」

「だからって、殺せるかよ。今のライリーは抵抗もできない。撃たれたことにだって気づきもしない」

「だから殺せるんだろ」

 当然のようにロジャーが言う。

「……確かめてからだ。こいつが、ここで何をしてたのか」

 ディエゴは馬を降りた。

 背後からライリーの肩に手をかける。

 ライリーが振り向いた。傷顔(スカーフェイス)に鬼気迫る眼光。思わずディエゴは後ずさる。

 死に掛けとは思えない素早さでライリーが拳銃を――抜こうとしたのはわかった。

 ホルスターに銃口が引っかかったのか、ただ力が入らなかったのか。

 グリップを握る以上のことはできなかった。

 拳銃を握ろうとした姿勢のまま、ライリーは地面に倒れ込んだ。


「お、おい……死んだのか?」

 倒れたままのライリーを揺さぶろうとして、手を伸ばした。

 その手首を、思い切り握られた。咄嗟にディエゴは退こうとしたが、ライリーは締め付けるような力で手首を握って来る。

「ラファエルを止めろ」

 擦れるような声で、ライリーは言った。

 その目の焦点はあっていない。うわ言のように、ライリーは繰り返す。

「ラファエルを止めろ……あいつはこの国を、滅ぼす」

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