3-3 臆病者の復讐

「おれが、エマを撃ったんだ……」

 ディエゴは力なく、繰り返す。

 ロジャーは少女の遺体から目を背けた。

 血の上に続く足跡は窓辺に向かっている。窓からははしごが降りていた。

 ラファエルはどこかへ逃げたのだろう。夜の闇に人の姿は見えない。


 しばらくの間、ロジャーは月が照らす夜の荒野を見つめていた。

「おい。いつまでそうしてるつもりだ?」

 女の遺体を抱えて呆然とするディエゴに、ロジャーが言う。

「さっさと立てよ。ラファエルの顔をおれは知らないんだ。お前が来ないと話にならない」

 ディエゴはまだ動かない。彼を置いて、ロジャーは通路から続く部屋に入った。人の姿はない。部屋の隅にロープやスコップ、農具が乱雑に置かれている。ロジャーはスコップを掴むと引き返し、座り込んだままのディエゴに向かってスコップを放った。

「お前には選択肢が二つある」

 ディエゴが問うようにロジャーを見た。

「その女に食らわせたのと同じ弾丸をラファエルに叩き込んでやるか、すべてを忘れて逃げ出すかだな……まあ、お前の好きにしろ」

 ロジャーは再びエマの死体に目をやった。

 裸に近い格好で、全身に痣と血の跡が見て取れる。

 胸に弾痕がある。まぶたを開いたままで、もう何も映さない青色の瞳が覗いていた。

 動かない彼女の身体に、脱いだコートをかけてやった。

「埋葬するぞ。それとも彼女をここで腐らせるつもりか?」

 返答はなかったが。

 ディエゴはようやく立ち上がった。


 時々汗を拭う以外には、ロジャーは手を止めずに土を掘り返した。

 ディエゴは左手一本で、スコップを土に突き刺すのすら難儀していた。

 傷だらけだった遺体の血を拭って、服を着せてやって、遺体を埋めた。

 石を並べただけの墓標。墓標は七つある。

 ラファエルに殺された五人の女。ケイト。そして、ディエゴが撃ったエマ。

 眠る故人の名前も墓碑銘もない。知らなければここが墓だとも思わないだろう。ロジャーたちが立ち去れば、訪れる者もいなくなる。花が手向けられることも、祈りの言葉が捧げられることもない。

「五年も一緒にいたのに、彼女のことをほとんど知らないんだ」

 エマの墓を見て、ディエゴが言った。


「名前と……ピアノを弾けることくらいしか。故郷でもわかれば、遺品を持って行くんだけど」

「いつかお前も死ぬんだ。あの世で教えてやれば良い。ラファエルの野郎はきっちり地獄に送ったってな」

「彼女を撃ったのはラファエルじゃない。おれが狙いを外して、彼女を撃った。おれが……おれがあの時、しっかりと狙っていれば」

「泣き言は止めろ。自分を憐れむのもな。今はラファエルを殺すことだけ考えろ。泣き喚くのはそれからでいい」

「力を貸してくれるのか?」

「おれは我慢強い方だが、生まれたての子豚みたいにやかましく泣かれたらライフルを向けるぜ。おれの言うことに従え。そうすれば賞金首の殺し方くらい教えてやる」

 ディエゴは黙って頷いた。


「よし。隠れ家に戻るぞ。こんな僻地でずいぶん良い暮らしをしてるみたいじゃないか。ウィスキーを一杯やってベッドで眠れ。朝起きたら食えるだけ飯を腹に詰め込むんだ」

「すぐに追うんじゃないのか」

「お前みたいな死にかけを連れて行けるかよ。朝まで休んでからだ」

「でも、ラファエルはその間も逃げるんだ。すぐに追って途中で休んだ方が良い。長旅にも野宿にも慣れてるし、おれなら大丈夫だ」

「次はお前の墓穴をおれに掘らせるつもりか?」

「でも――」

「議論はなしだ。おれの言うことに従えと言ったばかりだぜ」

 ロジャーが砦に向かって歩き出すと(大きな溜息は聞こえたが)ディエゴは大人しく従った。

「出発は夜明けだ。寝坊するようなら置いて行くぜ」


 強盗団の男たちが使っていたベッドに、ロジャーは横たわる。

 久々のベッドで横たわり、ロジャーは目をつむった。

「エマ……エマ、か」

 少女の名前を、何度もロジャーは繰り返す。

 彼女の死に顔が頭の中に何度も蘇る。

 深く溜息を吐いた。

 今は眠らなければならない。

(ラファエルには、必ず報いを受けさせてやる)

 眠りはほどなくして訪れた。太陽が昇るまで眠った。夢は見なかった。


 ――――――――


 朝日が昇り始める頃、ロジャーとディエゴは起き出した。

 ロジャーの指示で隠れ家の備蓄を持ち出し、小屋に残っていたラバを引っ張って来る。

 ラバが残されていたのは幸運だった。ラバは馬よりも頑丈で、少ない水と食料だけで長距離を走ることができる。少ない水と食料で活動できるため、荷物を運ぶ駄馬に適していた。

 乗せられるだけの物品をラバに積む。

 塩漬け豚と桃の缶詰、燻製のベーコン、ビスケット種、油、コーヒーに水、包帯、ウィスキーに葉巻。ショットガンとライフルが一丁ずつ。ブリキの箱に『45コルト センターファイア 五十発』と書かれた未開封の弾薬。

「荷物が多すぎないか? 急がなくちゃラファエルに追いつけない。アイツは身軽で、きっと今頃遠くに逃げてる」

「どんなに馬を早く走らせたって一時間に10マイルが限界だ。それに、これは狩りだぜ。二本の角に一万ドルずつ金塊をぶら下げた鹿を追うんだ。じっくり追い詰めてやればいいのさ」

 ロジャーは砦で見つけた回転弾倉式リボルビングライフルをディエゴに渡した。ディエゴは受け取ったライフル――コルトM1855を、馬鞍のホルスターに差し込んだ。

「ドラグーンを使っていたんだろ。そいつはパーカッション式のリボルバーだ。感覚も似ている。ライフルを撃ったことはあるか?」

「ある。だけど……この右手じゃライフルは構えられない」

 ディエゴは包帯を巻いた右手を見せた。

「構える必要はない。持ってるだけで威嚇になる。それに、狙ったって当たるとは限らないだろ?」

「次は外さない」

「次はない。ラファエルが逃げてくれて命拾いしたな。外した時は死ぬ時だと思え。死にたくなけりゃ外すな。いいか、百分の一秒で全弾撃ち尽くせる男より、一秒掛かって一発当てる男の方が強いんだ。どんなに早く撃てたって、当たらなければ意味はない」

「アンタは早撃ちだったじゃないか」

「おれは早いし、外さない」

「そうかよ」

 ディエゴは肩をすくめて見せた。

「それで、ロジャー。どうやってラファエルを追うつもりなんだ」

「とりあえず足跡でも追うか」

「昨日から何度も、馬が出入りしてる。これだけあったら新しい足跡の区別なんてつかないだろ?」

 ディエゴの言葉を無視して、ロジャーは砂の上にじっと目を凝らす。

「おれは南下して国境を超えるべきだと思う。山脈を経由して東に迎えばトゥームストーンがあるけど、あの辺りでは強盗を働いたばかりだ。いくらラファエルでも一人じゃ近づかない。あいつはメキシコ人だし、いざとなれば故郷に逃げるんじゃないか?」

「メキシコは今荒れに荒れてる。二年前から内戦状態だ。ラファエルが少しでも頭の働く男なら、近付かないだろう」 

 ロジャーはしゃがみ、馬の足跡を示した。

「見ろよ。ラファエルの走らせた馬は向こうに向かってる」


 真っ直ぐ北に続く足跡を、ロジャーが指さす。ディエゴもしゃがみこみ、目を凝らして足跡を見た。

「……おれには、どの足跡も同じに見えるけど」

「良く見ろ。こいつは馬蹄の形が崩れてる。足跡の横を踏んだから、ドロの形が崩れてるんだ。で、かなり急がせて走ったと仮定して、歩幅を考えれば次の足跡はこれだ」

 無数に続く足跡から、ロジャーは一本のラインを示した。

「……本当かよ」

「いずれにせよ追いかけて行けばわかるさ。ラバの手綱はお前が握れ。遅れるなよ」

 ロジャーは遠く、荒野の果てを見つめた。


「さあ、復讐の始まりだ」

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