2-4 殺人者の目
それからの五年は、悪夢だった。
強盗団は南部中を移動し、列車や銀行を襲う。大金をせしめては各地で豪遊し、隠れ家にしている岩山の洞窟に戻る。
目立つ派手な行動を繰り返しながら、決して危険な真似はしない。確実を期すために下調べを徹底し、逃げる時は風のように立ち去る。それがバレンズエラ強盗団のやり方だった。
人を撃てないディエゴの臆病な性質は男たちから軽蔑され、まるで奴隷のように扱われた。拳銃の整備から隠れ家の保全、それから食料や酒の調達。ただし、一人で行動することは決して許されなかった。
「万が一、敵に襲われた時のため」とラファエルは言うが、隙を見て逃げ出さないための監視だろう。
気付けば五年もの間、強盗団の面々が殺人と強盗を繰り返すのを目の当たりにし続け、ディエゴは撃つ予定もない拳銃の腕を磨き続けた。
唯一、ひとりきりになれる時間は夕刻。押し付けられた仕事を終えて、日が沈むまでの短い時間。
ディエゴは自分のドラグーンを持って、洞窟の外に出る。空き瓶を岩に並べた。
立ち止まった位置から空き瓶まで、目算で10ヤード(約9メートル)。
ディエゴは小石を拾い上げて、軽く放り投げる。目をつむる――小石の落ちる音がした。瞬間、左手でドラグーンを引き抜く。
銃声を響かせ、並べた酒瓶を撃ち抜いた。
小さく息を吐く。
10ヤードの距離なら、誰にも負けない自信がある。
強盗団の一員になっても、日課の訓練は欠かさなかった。拳銃の射程はおおよそ5ヤードだと言われている。ディエゴは10ヤードなら絶対の自信があったし、調子が良ければ20ヤードでも外さない。
(だけど、相手が人間なら……)
撃てない。
この五年、繰り返し殺人の現場に居合わせた。ラファエルは殺人を楽しんでいる。他の連中にしたって程度の違いはあるが、強盗団が人殺しの集まりであることは変わらない。ディエゴは人を撃てない。撃てなければこの殺人者の集団には決して受け入れられず、他者の食い物にされるしかない。
五年もの間、ディエゴは変われなかった。無法者にもなれず、ただ鬱屈と日々を送っていた。
物思いにふけるディエゴの耳に、拍手の音が聞こえた。
エマだった。隠れ家の入り口、日陰になる位置に立っていた。ディエゴと目が合うと、エマは微笑んでみせた。
「見てたのか?」
「うん。ディエゴが外に出るのが見えたから。腕がいいんだね」
「空き瓶を相手にする時はな」
五年の月日は、エマの顔から少女の面影を取り去っていた。
金色の髪も褐色の肌も、大人びて美しさを増している。彼女を見ていると、ディエゴは自分が恥ずかしくなった。エマは五年で大人になったのに、自分はラファエルに怯えて従った五年前から何も変わっていない。無力で、兄に守られるしかなかった子供の頃の自分と。
「わたしにも撃たせてくれない?」
「拳銃を?」
「駄目かな。前から一度、撃ってみたかったの」
「別に構わないけど」
ディエゴはドラグーンではなく、砦から持ち出したコルト・シングルアクションアーミーをエマに渡した。
「撃つなら、こっちの方が扱いやすい」
「よく見かける銃ね。いろんな男が持ってるの、見たわ」
手渡された拳銃を見て、エマが言う。
「ディエゴの持ってる拳銃は違うのね」
「おれのドラグーンは、古い拳銃だからな。親父の形見なんだ」
ディエゴは腰のホルスターからコルト・ドラグーンを抜いて見せた。
「大切なものなのね」
「まあ……だけど、本気で撃ち合うならシングルアクションアーミーを選ぶよ」
「そう。わたしはどっちでも良いわ。撃ったことないんだもの」
エマは手渡された拳銃をまじまじと見た。
真鍮製フレームのリボルバー。別名がピースメーカーとは、悪質な冗談だ。平和を築く方法が、もっとも多く血を流すことだとは。
空き瓶を並べて、3ヤードの距離にエマを立たせる。
「両手で構えて。反動があるから、慣れてないと危ない」
エマは頷くと、細い両手でコルトを構えた。
彼女の撃った弾丸はどこか見当違いの方向に飛んで行った。
エマは拳銃の反動を抑えきれず何歩か後ずさった。思っていたよりも衝撃があったのか、エマは呆けた顔で首を振った。
「手が痛いわ。この距離なのに、当たらなかったし」
「練習が必要だ。誰にでも扱える武器だけど、銃を撃つのは簡単じゃない」
「銃を撃てることと、人を撃てることは違う?」
「皮肉のつもりか?」
「ううん。気を悪くしないで。昔、ある人が言ってたの。名前も知らないガンマンの、男の人。人を撃つのが仕事だって言ってた……わたしが銃を撃てるようになりたいって言ったら、銃を撃てることと人を撃てることは違うって」
「その男は、今は?」
「知らない。わたしの母親の、お客だった人だから」
「客?」
「娼婦だったのよ。わたしの母親は。お客はたくさんいたけど、その人はわたしに優しかったな。すごく親切で、いつもわたしを気遣ってくれた。わたしの母親がいない時でも、わたしに会いに来てくれたりね。生きていたらまた会いたいけど、あれから十年は経ったから」
昔を懐かしむように、エマは遠い目をした。
「その人とディエゴってどこか似てるわ」
「喜んでいいのかわからないな……おれに似てるならきっと、人を撃てない臆病者だよ」
「そんなことはない。あの人は父親もわからないわたしに、いつも優しくしてくれたし。それに、一度あの人が銃を撃つところを見たの。凄腕だった。今のディエゴみたい」
褒められても、少しも嬉しくはなかった。
「凄腕のガンマンならいくらでもいる。この砦にいる連中はみんな、そうだ」
「そうかもね。でもここにいる連中はみんな、最低の人殺しの目をしてるわ」
「人殺しの目?」
「そう。人を殺すのに躊躇いもしない男の目よ。ラファエルみたいな」
ラファエルは確かに殺人者の目をしている。
悪魔じみたあの両目は銃口の黒とおなじだ。睨まれると恐怖に心臓を鷲掴みにされる。
「でもディエゴは違うわ。あの人、わたしに優しくしてくれたガンマンと同じ。ねえ、どうしてディエゴはラファエルの下にいるの? それだけ銃の腕が立つんだから、わたしがアナタなら、真っ先にラファエルを撃つわ」
「おれが撃つより先に、ラファエルがおれを撃つだろうよ」
「それが怖いから、ラファエルに従ってるの?」
ディエゴは答えなかった。
何のためにラファエルの下にいるのか、今はもうわからない。
降りかかる不運を払いのけるだけの力が欲しかった。そのために無法の、無頼の拳銃使いになるつもりだった。
(撃たれるのが怖いから、従っているのか?)
自問しても、答えは出ない。
何のためにここにいるのか。
いったい、どうすればいいのか。
「……ごめんなさい。偉そうに言ったけど、わたしだってたぶん、無理だわ。ラファエルを撃っても、どこにも行く場所がないんだもの。今さら故郷には帰れないし」
エマが青い目を伏せて言った。
「わたしたちみんな、一生こうなのかな」
一生? 考えたこともなかった。先のことなんて。ただ目の前の出来事に対処していたら、気付けば五年の月日が流れていた。
「一生、か」
このまま一生、ラファエルの手下として、奴隷のように働き続ける。
そんなのは、ゴメンだ。
「ねえ、ディエゴ。あなたのことを教えてよ」
「おれの?」
「うん。なんでもいいわ。あなた、昔のことを何も話してくれないでしょ?」
「話すことなんて、ないからな」
彼女と知り合って五年経つが、過去を語り合うことはなかった。
振り返るほど昔の出来事でもない。振り返りたいとも思わない。家族を喪い、兄と決別し、強くなろうとした結果がこのざまだ。
「それに、おれだってエマのことを何も知らない」
「わたしは、前に話さなかった? 母親に売られたのよ。最低の母親だった……混血児で珍しいからって、ラファエルは喜んでわたしを買ったわ。何を考えてるのか知らないけど、わたしを妻にするって言ってる。ラファエルが家庭を持てると思う? 想像しただけでおぞましいわ」
エマは大げさにぷるぷると震えて見せた。
隠れ家には七人の女が暮らしている。家政婦の女が三人と、夜の相手をさせられる娼婦が三人いる。エマだけはどちらでもない。彼女はラファエルのお気に入りで、愛玩の人形だ。誰も彼女に手を触れることさえ許されない。
酔った勢いでエマを襲おうとした男がいたが、ラファエルに手足を撃ち抜かれ、荒野に置き去りにされた。以来、強盗団の男でエマに近付こうとする者はいない。
「ピアノが弾けるの」と、エマは言った。
「昔ね、近所に住んでた人に教えてもらった。その人は酒場≪サルーン≫で演奏の仕事をしてわ。もしここから逃げ出して自由になれたら、ニューヨークにでも行こうかな。それでピアノを弾いて生計を立てるの」
「ニューヨークか。どんな場所か想像もつかないな」
「去年、ここに連れて来られたケイトっているでしょ? 彼女が教えてくれたの。すごい人が多くて、高い建物もたくさんあって、最近じゃ自動車も走ってるんだって」
「自動車?」
「自動で動く、馬車のことよ。たぶん、石炭か何かで動かすんじゃない? 列車みたいに」
「おれの知ってるアメリカとは別世界だな」
「最近ね、ケイトとよく話すの。自由になれたら、一緒にニューヨークで暮らそうって。ディエゴも一緒にどう? あなたが悪事から足を洗って、強盗団と縁を切るって約束してくれるなら」
「……そうだな。それも面白いかも知れない」
くだらない夢物語に過ぎなかった。一度バレンズエラ強盗団の一員になった者は、決して自由にはなれない。隠れ家の場所を知る人間を、ラファエルは生きたまま解放しない。
ラファエルは手下の男や、金で集めた女たちをファミリーだと呼ぶ。まるで結託した仲間のように言う。実態はラファエルを頂点する王国だ。
裏切れば……逃げ出そうとすれば、残酷な拷問の末に殺される。
「ねえ、また拳銃を撃たせてもらってもいい?」
「別に構わない。まあ、日の高いうちは全員の武器の手入れとか、雑用ばっかりやらされてるから無理だけど」
悪夢のような日々の中で、エマだけがディエゴの心を慰めてくれた。彼女はまるで、荒野に咲く花だ。ラファエルという凶暴な太陽に焼かれてうつむくディエゴの、足元に咲いた花。
そのエマが隠れ家から逃げ出したのは、それから二週間が過ぎた頃だった。
――――――――
女たちの部屋はもぬけの殻で、下女や娼婦も含めて七人いたはずの女が誰ひとり、いなかった。
最初に気付いたのは、大男のカルロスだった。馬小屋から馬を盗んで逃げ出そうとする女たちを追い、五人を捕えた。逃げ切ったのはエマともうひとり、ケイトだけだった。
隠れ家の広間に仲間を集め、ラファエルは言った。
「たった二人とはいえ、逃亡者を放っておくわけにもいかない。この場所を誰かに漏らされでもしたら、ファミリーの危機だからな。カルロスはビルとスワローを連れて、エマとケイトを追え。新入りのケイトは殺しても構わないが、エマには手を出すなよ。それから、ディエゴ。お前にはひとつ、頼みたいことがある」
指名され、ディエゴはびくりと身体を震わせた。
「地下を見て来い」
「……地下を?」
洞窟の地下には弾薬や食料が保存されている。
ラファエルは壁にかけてあったスコップを、ディエゴに投げ渡した。ディエゴはあわててスコップを掴む。
「日が沈む前に終わらせてくれればいい」
スコップの取っ手に黒い染みがついている。見れば、ラファエルの手に血がこびりついていた。
ラファエルの表情は、不気味に明るかった。
「捕まえた五人が転がってる。彼女たちの墓穴を掘って欲しいんだ」
地下は、むせかえるような血の臭いに満たされていた。
ごみのように転がる、女の死体が五つ。
全員が両手足を縛られ、猿轡≪さるぐつわ≫を噛まされて、ナイフで切り刻まれて死んでいた。
簡単には死なないように、身体中を何度も斬りつけ、刺したあとがある。そうして少しずつ苦痛を与え、順番に殺されていったのだ。
どれほどの恐怖だったろうか、死体はどれも歯を剥き出し目を見開き、
(これが……)
ディエゴは震える手のひらを握りしめた。
(これが、人間のやることか!)
もう限界だった。強盗団の悪事を、ラファエルの残虐なやり方を五年も目の当たりにしてきた。恐怖で縛り付けられていた心が、重圧の強さにはちきれた。
ディエゴはスコップを放り捨てた。地下から続く通路を駆け上がると、隠れ家の外に飛び出そうとする。
「おい坊や、どこへ行くんだ?」
尋ねて来たのは、
洞窟の入り口で、外へ向かおうとするディエゴを睨む。
「女たちを追う。ラファエルの命令だ」
「そうかい。ずいぶん前にカルロスたちが探しに行ったはずだけどな」
「おれも追うように言われたんだ」
「墓穴を掘れって言われてなかったか? スコップはどうした?」
「……ラファエルの気が変わったんだろ」
もしライリーがウソに気付けば、終わりだ。
ディエゴはライリーの顔を見なかった。洞窟の外、太陽の傾きかけた荒野を睨む。ライリーは無表情で、じっとディエゴを見ている。
「そうかい」
やがて、ぽつりとライリーは言った。ディエゴは気付かれないよう、こっそりと安堵の溜息を吐いた。
「西へ向かった方がいいぜ」
外へ出ようとするディエゴに、ライリーが言った。
「西?」
「女たちが逃げたのは西だからな。まあ、カルロスたちは東へ向かったようだが。足跡の偽装の引っかかるなんて、間抜けだとは思わないか?」
「どうして……どうしておれに、そんなことを教えるんだ」
「さあ。どうしてだろうな。カルロスは脳みその代わりに火薬が頭に詰まってるような間抜けだが、馬の扱いは一流だ。偽装に気付いて引き返したとして、果たして女たちは逃げ切れるかな」
ライリーの真意は読めない。またくだらないウソを吐いて、ディエゴを惑わせているのか。
「急げよ」
「……わかった」
ディエゴは頷き、外へ飛び出した。
アリゾナの荒野に夕陽が沈みかけている。
急がなければならない。
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