2-3 悪魔

 ローンから馬で二時間、近隣の大きな街が強盗団の標的だった。

 ラファエルは銀行に入るなり、ライフルをぶっぱなした。

 拳銃を抜こうとした銀行員を躊躇いもなく撃ち殺す。鉄格子で区切られたカウンターの向こう側に死体が倒れる。真っ赤な血が飛び散り、頭の中身が床に落ちる。

 目玉が転がるのを見て、ディエゴは後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 強盗団の男たちが天井に向かって拳銃を撃つ。

「誰も動くなよ。死にたいのなら話は別だが……ディエゴ」

 ラファエルに呼ばれ、ディエゴはあわてて拳銃を店内の客に向けた。

 ディエゴに与えられた役目は牽制。銀行内の客を脅し、強盗団に立ち向かうような蛮行を止めなければならない。

 ディエゴに銃口を向けられた男は青ざめ、震えている。

「金をバッグに詰めろ。今すぐだ! 妙な真似を見せるんじゃねえぞ!」

 強盗団の男たちが叫ぶ。

「金庫を開けろ! 死にたくなけりゃ大人しくしろ!」

 銀行に保管されたドルと金塊が、バッグの中に詰められていく。

 まだ数分、数十分しか経っていない。それだけの時間で、ディエゴが十五年の人生で得たよりも多くの金が目の前を飛び交っている。

 なのに、少しも興奮を覚えなかった。

 飛び散った血が視界に入るたび、胃の奥から吐き気がこみ上げる。

 ディエゴの前に立つ中年の男は足がもつれ、勝手に尻もちをついている。彼の蒼褪めた顔が、鏡に映った自分自身のように思えた。

 金の詰まったバッグを持って、強盗団の面々が銀行を脱出する。

 ディエゴも拳銃を構えたまま、銀行の扉から出ようとした。

「待て」

 ラファエルに止められる。

「……ちょうど良い機会だ」

 顔の下半分は覆面に覆われていて、ラファエルの表情はわからない。

 だがディエゴには、ラファエルが笑っているように見えた。

 ラファエルが構えた拳銃の、トリガーガードに指をかける。手元でくるりと回転させると、拳銃のグリップをディエゴに向けた。

「貸してやる。わたしのお気に入りだ。コルトの中でもこいつは傑作だぞ」

 10インチを超える長い銃身。鳥の翼をあしらった複雑な装飾エングレイブが全体に刻まれている。

 コルト・シングルアクションアーミー。別名をピースメーカー。

「撃ってみればわかる。誰にも使わせたことはないが、初めての記念だ。ちょうどいい標的もいる」

 ラファエルは中年の男を見た。

 ひと睨みされただけで、男は喉の奥から漏れ出すような悲鳴を上げた。尻もちをついたまま、男が後ずさる。カウンターに頭をぶつけて、男は再び悲鳴を上げた。

 恐怖に震える男を見て、ラファエルは愉快そうに喉を鳴らして笑う。

「や、やめてくれ。頼む……アンタらの邪魔はしない! 金なら全部、持っていけ!」

「見たところ北部の成金のようだが」

 高級さの滲むブラックスーツに、染み一つないテンガロンハット。宝石をあしらった指輪まで付けている。

 金の掛かった服装だ。

 全身で、自分がどれだけ裕福かを強調しているかのように見える。自らの財力を誇示しているのだろうが、こんな場面では目立つ獲物にしかならない。

「この銀行以外にも、金を持っているんだろ?」

「あ、ああ、ある。金ならあるんだ! ニューヨークの銀行に、ここの倍は預けている! だから頼む、金なら全部、くれてやる! だから助けてくれ」

「北部の成金は我々の敵だ。生かしておくわけにいかない」

 ラファエルが男を見下ろして言う。

「やめてくれ! 助けてくれ! こ、子供がいるんだ! 産まれたばかりの娘が、ニュージャージーに……金ならいくらでも払う、だから命だけは!」

「それは、それは……お前が死ねば、家族は悲しむだろうな」

 一瞬、ラファエルは微笑んで見せた。まるで慈悲でも見せるように。

 男の表情も、緩んだ。

 緊張と恐怖で引きつっていた顔が、ラファエルに釣られるようにぎこちない笑みを浮かべる。

「祈っておいてやる。いつか天国で再会できるようにな」

 男の顔に再び恐怖と絶望が浮かぶ。

「た、助けてくれ」

 男はディエゴにすがりついた。 

 グリップが食い込むほどに拳銃を握り締めていることに、ディエゴはしばらく気が付かなかった。力を込めすぎて指が真っ白になっている。

 ディエゴは唾を飲み込んだ。

 悪党になる覚悟はあった。人を撃つ覚悟もしていた。

 飛び交う銃弾の中で狙いを定め、立ちはだかる敵を撃つ。銀行を襲い、金品を奪い、金に惹かれた賞金稼ぎを返り討ちにし、拳銃の力でのし上がっていく。

 ディエゴが考えていたのは、そんなくだらない幻想だ。 

「どうした? 何をためらっている。拳銃を取れ。撃て」

 目の前の男は怯えて、命乞いをしている。

 無抵抗の男を無残に撃ち殺す。ディエゴは今、試されている。悪党に堕ちるのかどうか。

 決断しなければならない。

(決断って、何を――)

 考えて、ディエゴは愕然とした。

 もはや選択肢はない。殺すしかない。男を殺さなければ、ラファエルがディエゴを殺すだろう。ここまで来てしまった時点で退路などなかった。

 撃てない。

 撃てるはずがない。

 こんなことは間違っている。目の前にいるのは敵ではない。戦う意志もなく、無抵抗に命乞いをしている。

 殺す必要なんてどこにもない。撃てるはずがない。

 だが撃たなければ撃たれるのは――銃声が響く。

 男が、吹き飛んだ。ディエゴにはそう見えた。

 床に倒れた男の胸に、真っ赤な血の染みが広がっていく。

「撃鉄を起こす。引き金を引く。たったそれだけのことを、何を躊躇うんだ?」

 ラファエルが再び、ピースメーカーで男を撃った。男は悲鳴も上げなかった。

「きちんと急所を狙えば、一発で仕留められる。だが万全を期すのなら、三発だな」

 もはや動かない動かない男に向かって、ラファエルは銃弾を叩き込んでいく。男の身体が痙攣する。四発目の銃弾が頭を半ば吹き飛ばし、返り血がディエゴの顔に舞った。

「おっと、余計な弾を使ったか。まあここまでやれば確実だ。頭を吹き飛ばされた相手はもう銃を撃ち返して来ない。一発では死にかけても反撃されるかも知れないからな」

 むせかえるような血の臭い。胃の中身がせり上がる。

「逃げるぞ。来い」

 ラファエルが鋭く、冷たい目でディエゴを見た。

 背筋が凍り付く。本能的な恐怖を感じた。

 逃げ出さなければならなかった。動き出したラファエルたちと共にいなければ、はぐれてしまえば終わりだ。保安官はディエゴを撃ち殺す時に躊躇しないだろう。


 砂埃を巻き上げて強盗団の馬は走る。西日に向かって走り続けて、目が酷く痛む。ディエゴはステットソン帽子を深くかぶり直した。

 太陽が地平線の向こうに沈み、月が輝き始めた頃になってようやく強盗団は止まった。

「今日はここで野営をするぞ。馬を休ませておけ。追っ手はいないが、警戒は忘れるな」

 ラファエルが部下たちに指示を飛ばす。

 馬を潅木に結びつけて、火を起こす。男たちは火を囲み、奪った金の多さに頬を緩めている。

「お前は見張りだ、坊や」

 大男のカルロスがディエゴに向かって言った。

「そのくらいはできるだろ。誰かが近付いて来たら大声で泣き叫びゃいいのさ。夜泣きの赤ん坊みたいにな」

 あざけられても腹も立たなかった。

 役に立たないコルト・ドラグーンを握り締めて、ディエゴは男たちの輪から離れた。

 ひとりで荒野の果てを眺める。見上げた夜空には月が光り、装飾のように散りばめられた星が輝いていた。

 男の悲鳴が、頭から離れない。

 撃ち殺されたその姿が、父の姿と重なった。

 胸を撃たれ、頭を吹き飛ばされ、血を撒き散らして死んだ男。

 男たちのいびきが聞こえて来た頃、ラファエルがディエゴの横に座った。

「青い顔をしているな」

 ディエゴは少なからず緊張を覚えて、ドラグーンのグリップを握り直した。

 ラファエルはウィスキーの瓶を差し出して来た。ディエゴは瓶を受け取ると、コルク栓を抜いて一気に喉に流し込む。喉が焼け付き、カッと頭が熱くなった。

「わたしの仲間になったことを後悔しているか?」

 気遣うようなその口調、唇に浮かぶ微笑が不気味だった。

 ディエゴは首を横に振った。

「人を殺すのが恐ろしいか? お前ならやれるさ、ディエゴ。誰だって最初は怖いんだ」

 パチ、と火が爆ぜて音を立てた。ラファエルの目が炎に照らされる。

 黒い目だ。何を考えているかわからない、真っ黒い目。

「もうフロンティアの時代でもない。人はわたしを無法者などと呼ぶが、わたしが愛するのは秩序だ。わかるか、ディエゴ。これからは法と秩序の時代だ。では、その秩序は誰が決める?」

 答えられず、ディエゴは黙り込んだ。ラファエルが続ける。

「強者だ。強者だけが秩序を、法を決められる。わたしの目指すのはそれだ。だから我々ファミリーは強くなければいけない。秩序の正当性を支えるのは力だからだ」

 ディエゴは目を伏せた。

 怯えて震え、命乞いをする者を殺害するのが、秩序だと言うのか。

 ふざけるな。間違っている。そんなものは力ではない……。

 何かを言おうと思った。強盗団と袂を分かつべきだった。

 だが……炎に照らされたラファエルの右手に、拳銃が握られていた。

 いつの間に抜いたのか、まるで見えなかった。

 撃鉄もすでに起こされている。あとは引き金さえ引けば、銃口から弾丸が飛び出していく。

 何の為に? ラファエルに撃つ相手がいるとしたら、それは自分しかいない。

 何の為に? ディエゴの背中に冷たい汗が流れた。

 意味なんてない。狂ったような理論で無抵抗な人間を殺す男だ。抵抗する者も無抵抗な者も、容赦なく殺す。息をするように人を殺す、残忍で冷酷な狂人。

 悪名高きラファエル・バレンズエラ。

 この男は悪党なんかじゃない。

 この男は、悪魔だ。

 もしディエゴが逃げ出せば、ラファエルは容赦なくディエゴを殺すだろう。そうして役に立たなかった子供のことなんて、記憶の片隅にも残さない。でなければ酒の席で、バカなガキが居たと話のネタにでもするのか。

「お前はもう、ファミリーのひとりなんだ。失望させないでくれよ、ディエゴ」

 撃鉄が戻されるまで、ディエゴは生きた心地がしなかった。

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