1-2 死にぞこないのドラグーン

 銃声は一発だった。

 ディエゴにはそう聞こえた。

 だが倒れたのはカルロスたちで、ダスターコートの男は平然と立っている。

(あの一瞬で……銃声が一発に重なるような速さで、撃ったのか)


 瞬く間に三人を撃ち殺した男は、ディエゴを縛る革紐をナイフで斬った。

 締め上げられていた喉が開き、空気を求めて肺が痙攣した。激しく咳き込む。

 震える体を引きずって、ディエゴは川に頭を突っ込んだ。焼けただれた肌に水が染みて、ヒリヒリと痛む。

 貪るように水を飲み込み、呼吸ができなくなってむせた。

「それだけ元気なら、死にそうにはないな」

「あ、ああ」

 ディエゴが掠れた声で返事をする。

「アンタ……誰だか知らないが、とにかく助かった」

 言いかけたディエゴに、男は笑った。

「どうして助かったと思う?」


 男は再び拳銃を抜くと――速すぎて見えなかった――銃口をディエゴに向けている。

 コルト・シングルアクションアーミーの黒い銃口が、ラドルスネークの目のようにディエゴを睨みつけている。

「その女の死体は? 殺したのは誰だ?」

「ま……待て、待ってくれ」

 ディエゴは両手を挙げて、戦う意志のないことを示した。

「アンタが撃った男だよ。カルロス……そこの大男だ。そいつがケイトを殺した」

 銃口をそらさず、男はダスターコートのポケットから紙束を取り出した。

 破り取った手配書だ。器用に片手で紙束を繰る。殺した三人とディエゴ、それから手配書を何度も見返す。


「やっぱり見間違いじゃなかったな。強盗、殺人、牛泥棒に婦女暴行……そこの三人は賞金首か。銃弾三発の値段にはなる。お前、連中の仲間じゃないんだよな?」

「見ればわかるだろ。おれは殺されるところだった」

「悪党どもの仲間割れって線も捨てきれないんでね。首に賞金は掛かってないだろうな」

 男はくしゃくしゃくになった手配書をめくり、ディエゴがいないか確かめている。

「連中の仲間じゃないなら、証人になってくもらおうか」

 ディエゴの手配書はなかったのか、男は拳銃をホルスターに戻した。

「正当防衛だと判事に証言してくれよ。殺人だなんて難癖つけられて賞金が払われないのも面倒だ」

「あ、ああ……約束する」


 男は馬鞍に近づくと、中から包帯の塊を取り出してディエゴに放ってよこした。

「その右手もこいつらにやられたのか?」

 右の手のひらに、ナイフで刺された大きな傷口がある。傷口は黄色く変色して腫れあがっていた。

 ラファエルに、強盗団のボスにやられた傷。

 あの男はディエゴを痛めつけて、殺そうとした。

 それも撃ち殺すのではなく、少しでも長く苦しみが続くように濡れた革紐で首を絞めるという処刑方法で。

 ナイフで貫かれた右手はまともに動かない。骨に異常がなければそのうち動かせるかも知れないが、このまま腐って落ちるかも知れない。黒ずんだ右手がぼとりと千切れるところを想像して、ディエゴは寒気を覚えた。

 幸いディエゴは左利きだ。まだ拳銃を握れる。自分を殺そうとしたラファエルに、復讐の銃弾を叩き込むことができる。

 自分にその勇気が、あれば。


「……なあ、そのあたりに拳銃は落ちてないか」

 ディエゴが言う。

「お前のか?」

「そうだ。こいつらに捕まった時に、投げ捨てられた。コルト・ドラグーンだ」

「川にでも落ちたんだろ。必要ならそいつらの銃を使えばいい」

 男はあっさりと言う。

「それとも、自分の拳銃じゃなきゃいけない理由でもあるのか?」

「ああ。いや……」

 ディエゴは曖昧にうなずいた。

 コルト・ドラグーンは父の形見だ。

 故郷を捨てた時、自分の過去と決別する覚悟をしていた。それでも形見のドラグーンだけは手放せなかった。

 くだらない感傷だとわかっている。父の形見であり、兄の形見でもある。だが誰かの形見だろうと、拳銃はただの道具だ。撃ち合いの時に死者の祈りが守ってくれるわけでもない。兄はあのドラグーンを抜く暇もなく、無法者に撃たのだから。


 ディエゴはカルロスの死体に近づき、握ったままの指を開かせてコルト・シングルアクションアーミーを奪った。

 銃身7.5インチの騎兵隊キャバルリィモデル。ディエゴの使っていたドラグーンと銃身の長さはほぼ同じだ。ビルとスワローの拳銃はそれよりも銃身が2インチほど短い砲兵アーティラリーモデル。二つのアーティラリーからは銃弾だけを抜き取って、捨てた。

 三人の使っているガンベルトはどれもホルスターが右側にしか付いていない。左利きのディエゴは仕方なく腰のベルトに直接、拳銃を差した。

「おれには向けるなよ。死にたくなけりゃな」

 男が言う。もし冗談でもディエゴが拳銃を向ければ、男は瞬く間に撃つだろう。試す気にもなれなかった。


 拾った拳銃の回転弾倉リボルバーには、どれも銃弾が五発残っている。

 シングルアクションアーミーは六連装。暴発を避ける為に、持ち歩く時には撃針の触れる一発目は弾を抜いておく。弾倉に五発残っているのであれば、カルロスたちは誰一人として引き金を引けなかったことになる。

 銃声は一発だった。撃ったのはダスターコートのガンマンだけだ。

 瞬く間の三連射で、しかも全員を一撃で仕留めている。並みの腕前でできる芸当ではない。ディエゴが出会った数多くのガンマンに、この男ほど腕の立つ者はいなかった。


「……アンタ、賞金稼ぎなんだろ」

 恐る恐る、ディエゴは尋ねた。

「牧師様にでも見えるか?」

 男は旅装に拳銃。馬鞍に直付けされたホルスターにはライフルを差している。どこから見ても一匹狼の拳銃使い、時代遅れのガンマンだ。

 それも、凄腕の。


「殺されかけてたのを助けてやったんだ。死体を運ぶのを手伝えよ」

 男は死んだ三人の馬に近付くと、死体をそれぞれの馬に乗せた。

 街へ連れて行くつもりなのだろう。生死問わずの三人組。保安官事務所へ死体を持って行けばそれなりの懸賞金がもらえる。

「速歩で走らせりゃ、明日中には街に着く。臭う死体を抱えて野宿は嫌だからな」

 男は鐙に左足を掛けると、右足を持ち上げて馬にまたがった。

「お前は女の遺体を運べ。馬に乗れないほど酷い怪我じゃないんだろ?」

 ディエゴは黙ってうなずいた。


 この男と一緒に行けば逃げられる。

 魅力的な選択に思えた。もしラファエルが追っ手が差し向けたとしても、並みの腕前ではこの男には敵わない。

 一緒に行けば、無法者としての人生から逃げられる。

 殺されかけているエマを、見捨てることができれば。

(クソッ)

 ディエゴは内心で悪態を吐いた。

(おれは馬鹿で、臆病者かも知れないが……そこまで落ちぶれちゃいないはずだ)


 震える左手で、コルトのグリップを握る。

 生き延びた。まだ拳銃を握る力がある。

 だったら何としても、エマを助けなくては。


「なあアンタ……良い儲け話があるんだ。乗らないか?」

 ディエゴが言う。

「大物の賞金首がこの辺りにいるんだ。そいつに比べたら、この三人なんて小物に思えるくらいの」

「三人の小物にとっ捕まった奴が言うかよ」

 ダスターコートの男は嘲るように笑った。

「油断したんだ……おれはこの三人と、顔見知りだった。まさか本気でおれを殺そうとするなんて、思わなかった」

「冗談だったのかも知れないぜ。お前が死んだ後にそう打ち明ける気だったのかも知れない」

 男は馬を歩かせた。ディエゴはその後を追う。


「待ってくれよ。アンタにとっても悪い話じゃない。賞金二万ドルの大物だ」

「冗談にしてももう少し考えた方がいいな」

 アメリカ南部で真面目に働いたとして、せいぜい一年で稼げる額は500ドル程度。かつて悪名を馳せたジェームズ=ヤンガー強盗団ですら賞金は一万ドル。

 二万ドルの賞金首だなんて、数えるほどしかいない。

「それに、この三人の首があれば稼ぎには十分だ。無理に賞金首を追う必要は……」

「ラファエルだ」

 ディエゴがその名前を口にすると、男は口をつぐんだ。

「名前くらい知ってるだろ? バレンズエラ強盗団の首領だ。おれはアイツの隠れ家を知ってる」

「ラファエル……ラファエル・バレンズエラか」

 男はディエゴの言葉を繰り返す。


 反応は予想通りとはいかなかった。降って沸いた儲け話を喜ぶでもなく、怪しむわけでもない。何かを考え込んでいるようにも見えた。

「カルロスたちが死んだ今しかチャンスはないんだ。ラファエルは慎重な男だから、手下が三人もやられたとわかったらまた身を潜めるに決まってる。ラファエルが事態に気付く前の、今が絶好のチャンスだ」

「イヤだね」

 と、ダスターコートの男は答えた。

「ど、どうして! 二万ドルだぞ! 金が欲しくて賞金稼ぎをやってるんだろ!」

「金は欲しい。ラファエルの首はほとんど伝説だ。あいつを狙ってる賞金稼ぎは大勢いる。返り討ちにあって死体で見つかった賞金稼ぎの数はそれ以上にいるがな」

「おれはラファエルの強盗団にいたんだ。隠れ家の構造もわかってる。おれの情報とアンタの腕があれば、勝機はある!」

「何が狙いだ?」と、男は単刀直入に言った。


 男は強面ではないし、どちらかと言えば優男といった顔立ちをしている。しかしその眼光は鋭く、奇妙な威圧感がある。

「相手を利用しようとするなら、もっと上手くやることだな、坊や」

「おれを子供扱いするな」

「ガキと変わらんさ。誰かの力に頼ってるうちはな。本当にラファエルを殺りたいなら、自分で動けばいい。勝機はあるんだろ?」

「それは……」

 ラファエルに刺された右手が痛む。あの男の声が、表情が脳裏に浮かぶ。

 吐き気のようにこみ上げる恐怖を、ディエゴは噛み潰した。無意識に腰のホルスターに触れる。ざらりとしたグリップの感触は、慣れ親しんだドラグーンのものではない。

 形見のドラグーンはもうない。


「おれの腕じゃラファエルに勝てない。でも、女が捕まってるんだ。このままじゃ殺される……アンタの腕なら、きっとラファエルにも勝てる。頼む、力を貸してくれ。賞金は全部、アンタのものでいい。隠れ家に溜め込んだ金も全部、何もかもアンタに差し出す。だから力を貸してくれ」

 エマはディエゴを信じているはずだ。信じて待っている。

 もし、まだ生きているのなら。

「女、ねえ。そんなもののために命を張る気にはならないが」

 ダスターコートの男はディエゴから顔を背けて、帽子をかぶりなおす。

「三人の死体を川へ流すぜ。手伝え」

 馬から降りると、男はカルロスたちの死体を引きずり下ろした。

「……なんだって?」

 意味が分からずに聞き返すディエゴに、男は改めて言った。

「ラファエルの死体を積むのに、空いた馬が必要になるだろ?」

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