アリゾナに雨は降らない

鋼野タケシ

一部:死にぞこないと拳銃使い

1ー1 荒野の拳銃使いたち

 ひゅうひゅうと、音がする。

 呼吸の音だ。乾いた唇から漏れる、自分自身の呼吸の音。

(死ぬのか、こんなところで)

 自分が死にかけているのを、ディエゴはどこか他人事のように感じた。


 ツバを飲み込もうとすると、ひどく喉が痛む。

 手足を縛られ、ディエゴはアリゾナの荒野に倒れていた。

 首には湿った革紐が巻き付けられている。容赦なく照りつける太陽がディエゴの肌を焼き、喉の革紐から水分を奪っていく。革紐は乾くたびに縮み、ディエゴの首を少しずつ絞めていく。

 このまま革紐が乾けば、いずれ呼吸ができなくなって死ぬ。

 アリゾナの荒野にゴミのように横たわり、何も成し遂げられずに殺される。


(二十年も生きたなら……まあ、兄弟の中じゃ長生きした方か) 

 不運はいつだって、ディエゴの家系に付きまとって来た。射殺された二人の兄は、死んだ時に今のディエゴよりも若かった。

(何をやってもうまくいかないんだよ。おれたちの家系は)

 長兄のモーガンが言っていたことを思い出す。


 何をやってもうまくいかない。強者に踏みつけられ、奪われ続ける人生。そんな人生から抜け出し、奪う側に回るために無法の道を選んだ。銃の腕でのし上がるために強盗団の一員になり、結局はこうして死にかけている。


 乾ききった唇がひび割れている。唇から染み出る血の一滴を舌で舐めた。

 隣を見れば、女の死体が転がっている。

 胸を一発で撃ち抜かれ、即死したケイト。

 彼女の死に方をうらやましいとすら思った。

 少なくともこうして長い時間、苦しまずに済む。


「カルロス……」

 ディエゴは自分を監視する大男に声をかけた。

「カルロス……もう、殺せ……」

「ああ? なんだって、聞こえねぇな」

「……どうせ殺すつもりなら……さっさと、殺せ……」

「そういうわけにもいかねえ。日が沈むまでお前を見張ってろってのがボスの命令だ。お前を殺したりしたら、おれが殺されちまうよ。まあ、もっとも――」

 カルロスはこれみよがしに水筒を傾けて、大げさに喉を鳴らして水を飲んだ。

「日没までにお前が勝手に死ぬ分には、おれの知ったことじゃねえけどな」

 追従するように、他の無法者たちも笑った。


 かつてディエゴの仲間だった、三人の無法者。カルロス、ビル、スワロー。三人とも、死にかけるディエゴを見下ろしている。

(エマは、無事だろうか)

 ここにはいない彼女のことを想う。

 強盗団のボス、ラファエルは血も涙もない男だ。裏切って逃げたエマを許しはしないだろう。ディエゴも彼の怒りを買い、こうして拷問の末に殺されかけている。

 エマがどれだけ酷い目に遭わされているのか、想像したくもない。

(それでも生きているのなら……)

 ラファエルは何をするかわからない。怒りを収めるのに一発の銃弾を必要としたなら、エマは死ぬ。

 彼女と生きると約束した。足を洗い、銃を捨て、今度こそ真っ当に生きると。

 不運はいつだって彼の家系にまとわりついて来た。死神の手は最初に祖父の命を、次に母を、父と二人の兄を奪った。とうとうその手がディエゴにまで追い付いた。

 ディエゴはここで死ぬ。

 せめて、エマに幸運が訪れることを祈った。


「何だ、てめえ」

 朦朧とする意識の中、カルロスの声が聞こえた。

 馬の足音が近づいて来る。

 ダスターコートを羽織ったガンマンが、三人に向かって近付いていた。

 三人の無法者たちに、緊張が走る。


「失せやがれ。痛い目みたくなけりゃな」

 カルロスが威圧するように言った。

 男はくわえたタバコをぷっと吐き出す。

「言われなくても、勝手に消えるさ」

 男は身の丈6フィート(約183センチ)を超えている。古ぼけたダスターコートと、砂塵に塗れたステットソン帽子。

 ダスターコートの拳銃使いは、無精ひげに覆われた顎を左手で撫でた。

「どこで立ち止まって、いつ歩き出そうがおれの自由だ……しかし、どうも気になってね。お前らの顔、どこかで見覚えがある」

「気にならねえようにしてやろうか。てめえの脳みそをぶっ飛ばしてよ」

 カルロスがこれみよがしに、腰のホルスターに手を伸ばす。


 ダスターコートの男は肩をすくめた。

「やめようぜ。そっちが三人じゃあ勝負にならない。おれはあんまり拳銃に自信がないんだよ」

「だったら消えろ、臆病者。戦う度胸もないクセに首を突っ込むんじゃねえ」

 カルロスが地面にツバを吐いた。

 ダスターコートの男は唇をゆがめて笑う。

「勘違いするなよ……三人も相手にするなら、殺さないように手加減する自信がないってことだ」


 男の挑発で、彼らを取り巻く空気が変わった。

 カルロス、ビル、スワローが動いた。男を囲むように扇状に広がる。

 強盗団のメンバーは、誰もが名うての無法者だ。中でもカルロス、ビル、スワローの三人組は銃の腕前も残酷さも、首に掛かった賞金の額もケタが違う。

「逃げろ」と、言ったつもりだった。

 ディエゴの喉は革紐に締め付けられ、もう言葉も出なかった。

「地獄で後悔しな」

 カルロスが吐き捨てた。

 それが合図になった。 


 銃声が響いた。


 消えかけたディエゴの意識が、轟音で引き戻された。

 銃声は――ディエゴの耳には、一発しか聞こえなかった。

 ゆらりと、無法者の身体が揺れる。

 強盗団きっての大悪党、泣く子も黙る荒くれ者、血も涙もない三人組が……悲鳴すら上げず、倒れた。


 夢を見ているのか。それとも、幻だろうか。

 強盗団の腕利き三人が、倒れて動かない。

 全員、死んでいる。

「手加減はできないって、忠告したよな……おっと、もう聞こえちゃいないか」


 生き残った男は涼しい顔をして、くるくると指先で拳銃を回転させる。

 何事もなかったように、腰のホルスターに拳銃を差した。

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