26-4

 同時刻。監視されているワゴンの方だ。こちらには坂田と、彼の部下五人が乗っていた。この五人というのは最後の生き残りだ。今年の四月からこちら、部下の数は減る一方である。

 人数が減った分、キャンディの分配個数は増えるからいいか。と、一瞬ではあるが坂田はそんな事を考えた。市村から与えられるキャンディの数はいつも同じで、基本的に増減はない。彼が一人で手作りしているのだから仕方がない。坂田はただ、己に配布されるそれを部下達に分け与えて懐柔しているに過ぎない。

 流通させればかなりの金が入手できるのだろうが、生産量からしてそれは無理だ。それに、流通などさせてこれの存在を有象無象に知られたくない。これが本音だ。金が欲しいわけではない。キャンディを確保しておきたいだけなのだから。


 キャンディは各地にいる市村の幹部級部下に配布され、そこからさらに各幹部の子飼いの部下に分配される。幹部自身がそれを売ることはほぼない。北米のボーグナインも、ヨーロッパの楠木も、中東アジアの高帆もそうだった。そうならざるを得ない、のだろう。自分のキャンディを確保するので精一杯。

 いや、高帆は少し違ったな、と思い出す。彼はあまりキャンディの摂取をしなかったらしい。こちらへの分配量が増えるときは、高帆がいらないと言ったときだ。

 分配量が、増える。坂田は今回の量を見て溜息をつく。初期と比べれば随分と増えた。ボーグナインは捕まった。高帆は行方不明、十中八九死んでいるだろう。その分がこちらと楠木に来ている。今回はキャンディ回収に来日した楠木がついでに熊谷まで運んでくれたのだが、連絡の際に「量が多い」とぼやいていた。多いことを単純に喜ぶことはできない。それが何を指し示しているのか、分からない訳ではないからだ。


 人員に関するフォローはあるのかないのか、全く分からない。市村も本業があり、しかも研究が佳境だとかなんだとかで忙しいようだ。それに、幹部級が次々といなくなるなど予想もしていなかっただろう。そう、市村はそういう人物だ。頭はいいが抜けている。詰めが甘いだとか、そんなレベルではない。


「くそっ」


 苛立ちが声に出た。同車している五人がわずかにおののいたのが分かる。それが余計に、坂田の神経を苛立たせた。

 ここ最近は苛立ちが増すばかりだ。始末すべき人物達がなかなか倒せない上に、向こう側の護衛が挑発してきたのだから仕方がない。

 あれは明確な挑発であった。声も指紋もこちらに突きつけてきた。来い、と、言っているのだ。こちらから仕掛けなければ、あちら側が接近してくるだけだろう。時間の問題だ、ただそれだけだ。


 目障りな護衛の名は網屋希。二十三歳。熊谷市出身。七年前に起こった「熊谷市一家強盗殺人事件」ただ一人の生存者。この事件のおかげで、警察庁のデータベースから奴の情報を引っ張り出すことができた。

 更にあちこちほじくり返してみれば、出てきたのは「元ニューヨーク警察管轄の賞金稼ぎ」という事実。こちらに対し容赦なく銃弾を放ってくるのは伊達ではないということ。切った張ったに慣れている。しかも、人間を容赦なく始末することもできるタイプだ。

 いくらこちらが余計な証拠を残さないよう、後処理がきちんとできるよう慎重にことを運んでいるとは言えど、この多勢に対しほぼ単独で対処しきっている。状況の噛み合わせであるとか、それこそ運の要素も絡んでくるのかもしれない。が、これが事実であり現実だ。向こうは対処している。こちらは対処できていない。

 偶然という曖昧なものに責任転嫁することは簡単だ。それはただの現実逃避でしかなく、何の解決にもならない。見据えなければならない。どうすればいいのかを。


「……くそが」


 再び呻いた。見据えたいのは山々だが、それどころではない勢いで障害が増えている。護衛の件で悩んでいる最中に塚越だ。泣きっ面に蜂だ。対策を考えなければ。

 嫌だ、考えたくない。しかし。どうにかしないと。でも。ああ。あああああああああ。嫌だいやだいやだ、面倒なことを考えたくない。頭が痛くなる。胃袋も痛い。嫌だ。どうして。なんで。俺ばかりがこんな目に。目障りだ。あんなのがいるからいけない。イヤだ。


 キャンディをくるむ蝋引き紙の感触が、坂田の意識を呼び戻す。いつもの癖でキャンディを口に放り込む寸前であった。今はいけない、と己を戒める。キャンディは確かに精神的な安寧をもたらすが、同時に思考回路が鈍くなる。坂田はそう感じていた。

 終えたら、摂取すればよい。包み直したキャンディを、密閉袋に放り込んで念入りに閉じる。苛立ちが増した。




「えー、結婚! おめでとうございますー!」

「いやあ、挙式は春なんで、まだ先なんですけどね」

「いやいやいやいや、めでたーい。めちゃくちゃめでたい」


 運転席の塚越が、後ろの立花に向かって祝福の言葉を贈る。

 ワゴンの監視を続けながら、彼らは終始喋りっぱなしだった。坂田に関する情報のすり合わせから世間話、その果てに立花の結婚予定まで。


「相手がさ、白バイのイケメンなんだぞ」

「ヒャアーイケメン」

「和久野さんでしょ、確かにあの人かっこいいもんなあ」

「んヒャアーイケメン」


 基本的には対象のワゴンから目を離さない。時折、視線を外すのは周辺を見ているのだ。コツメカワウソみたいな顔をしておきながら、塚越は一分の隙もない。立花は今日一日でそれを思い知らされている。緊張状態の維持というものは大変に辛い。どこかで途切れてしまうのも仕方がない。が、塚越はそれがない。他の三人に適宜休憩を挟ませながら、彼自身は全く休まないのだ。


「あ、そうだ。塚越はどうなんよ結婚とか」

「グワーッ」

「わあ、お顔しわくちゃになっちまったよ」

「そういう西倉はどうなんだよぉ」

「ヒギイッ」

「お顔しわくちゃー」


 くだらない会話を続けつつ、塚越の手はハンドルから離れない。


「そうだ、笠間はどうな……ああー……」

「しわくちゃ笠間ちゃんになっちゃったね……」

「ピキュ……」




 ドーナツ屋の二階にあるイートインでしこたま食った相田と網屋は、膨れた腹とかさばる荷物を抱えて立体駐車場へと向かっていた。


「すごい……ゴハンセットなんて存在、知らなかった……」

「俺も知らんかった。ほら、あっちにはないじゃん? 駅ビルのさあ」

「あーはいはい駅ビルの中の、フードコートの」

「そうそう。あっちにはまあまあ行くんだけどな」

「隣にスーパーあるから?」

「んだ。あそこ行くとつい、な。寄って買っちゃうんだよなドーナツ」

「おいしいもん、仕方ないっすわ」

「不可抗力だわなあ」


 しっかり持ち帰りのドーナツも買っている。しかも彼らはこの後、自宅で夕飯も食べるつもりなのだ。さて何を食うか、鍋にでもするかなどと話しながら悠長に歩いていたのだが。


「おおーい、駐車場に車停めてる人かい?」


 駐車場の入り口が見えてきたあたりで、守衛の老人が飛び出して話しかけてくるではないか。


「もうね、閉まっちゃうから。時間だから、急いでおくれ」

「え? そんなに早く?」

「デパートが閉まる時間に合わせてんだわ。アンタたちあれか、ドーナツ屋行ってたんか? ドーナツ屋はデパートより閉まるの遅いから」

「マジすか!」

「えっ、デパートとドーナツ屋、別管轄なの? え? どういう?」


 慌てて小走りに駆ける。なにせ、彼らが車を停めたのは一番上の五階だ。流石に屋上はやめておいたが、つい勢いで。車でぐるぐる登りたくなってしまって。つい。


「やっべやっべやっべ」

「急げぇ」

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