25-2

 午後十時十分。カクテルバー・キャラコキャット。


 カウンターに客が二人。ラフな格好、と言うより動くことを前提に考えられた出で立ち。酒を傾けながら、溜息が多めの会話。


「もう始まってんのかな」

「だろうな。結構経ってるしさ……もう十時か、早いなあ」


 時間を確認して、また溜息。これで何度目だろう、カウンターの中にいる藤田はその数を覚えるのをやめた。

 ここは中川路の情報源である藤田が勤務するバーである。いつも来る時間より早く、そしていつもとは少し違うメンツがカウンター席に腰掛けていた。酒の進みは遅い。酒を飲みに来たと言うより、休みに来たというような。

 顔を覆って大きく息をつくと、片方が吐き出すように呟いた。


「流石に引くよな、殺してもいいってさあ」


 もう片方も同じように溜息をついてうなずく。


「みんなホイホイ乗ってたからなー……なんかさあ、俺ら乗れなかったじゃん?」

「まあね。いや、無理っしょ。なんつうか、その……話がさ、デカイっていうか」

「うん。違うんだよなー……そりゃさ、俺らのやってることって良くはないんだろうけど」

「普通の人が見たら、ただの喧嘩だもんねえ。喧嘩? 乱闘?」

「乱闘だよね。おまわりさん呼ばれちゃうよね」

「そのおまわりさんが来てんだから滅茶苦茶だよ」

「それ。何アレ? 警察なの? ホントに?」

「わっかんねえ。怪しいよね」


 藤田はいつも通りに仕事をこなしながら、いつも通りに彼らの話へと耳を傾ける。近くの公園で行われているストリートファイトの参加者であることは間違いない。そこに大きな動きがあったということも分かる。


「なんかさあ、アレに乗れなかった時点でもう駄目なのかな。そろそろ引退時なのかな」

「かもね……来週も今までとおんなじ顔で参加できるとは思えないし」

「うん。分かる。どんな顔してあそこ行きゃいいの」


 泣き笑いのような声。積み重なる溜息。決裂、なのだろうか。グラスが傾いて酒が喉へと流し込まれる。アルコールは果たして、彼等を救うのだろうか。

 溜息を通り越して呻き声。ああ、とか、うう、とか。頭を抱えて突っ伏すような体勢になっていた片方が勢いよく顔を上げる。


「いくら相手が強いって言ってもさあ、普通のお医者さんだろ?」

「うん」

「俺さあ、あの先生に診てもらったことあるんだよね」

「え、ヤバくね」

「変わった名字だから覚えてたんだよ。目澤先生優しかったから、余計にはっきり覚えてて……」


 藤田の全身が総毛立った。目澤、という名字。医師。知っている。もらった名刺はカードケースではなく財布の方に入れてあるはずだ、中川路の名刺と一緒に。顔を合わせたのは夏、確か七月の頭、まだ半年は経っていない。中川路より背が高く、筋肉質の男性。昔からつるんでいる仲間で、近接格闘担当だと紹介された。

 合致する。ほぼ間違いはないと思われる。迷っている暇はない。

 手洗いに行く、と店長に告げる。個室トイレに駆け込みドアを閉めると、藤田はスマートフォンを手にした。





 午後十時十八分。線路付近。


 誘導されている。そう、目澤は感じた。少しづつではあるが公園に向かって移動している。いや、誘導されているのではなく近付いているだけなのかもしれない。どうしてなのかは分からない。考える暇がない。絶え間なく誰かがやってきては攻撃を仕掛けてくる。


 ただ、目澤にも分かってきたことがいくつかある。まずは、襲いかかってくる連中の「能力」が均一ではないということ。簡単にいなせる相手から少し手こずる相手まで様々だ。もっと正確に言うなら、少しづつ強さが上がってきている。最初の相手よりも、今戦っている相手の方が強い。場馴れしている、いや、戦い慣れている。

 人間相手に暴力を振るうというのには段階がある。まずは相手に力を振るうという良心の呵責。次に、無手で攻撃を加えた際にフィードバックされる己の痛みへの予測。更には、反撃の恐怖。様々な条件が積み重なってついに「攻撃を加える」という行動に出ることができるのだが、それはようやく第一歩を踏み出したに過ぎない。法律に抵触する恐れやその他諸々の意識を引っ張る要因を何もかも振り払ってから次に進むことができるのだが、そこに至るまでには訓練や稽古や積み重ね、もしくは個人の人格における倫理観の消失などが必要だ。よほど追い詰められている状況でもない限り、一般市民が暴力を行使することは珍しい。

 襲いかかってくる彼等はそのためらいがない。明らかにこの状況に慣れている。暴力を振るうことも、反撃をくらうことも。まるで試合に臨む選手のようだ。だが、試合レベルでの暴力でもない。確実にこちらを仕留めに来ている。どこをどうすれば相手が倒れるのかを知っている。この場にルールなどというものがないことをよく分かった動きだ。

 その割には、動き自体は洗練されていない。警察や自衛隊などの機関で訓練を受けた形跡も見られない。チンピラにしてはよく動く。だがプロではない。

 プロではないと言っても油断はできない。ありとあらゆる状況に置いて乱闘は一発逆転が有り得る。お間違いで簡単に人は死ぬ。今まで武器を持った奴がいなかったからと言って、これからも全員が無手であるとは限らない。それに、徐々にではあるが美しい動きをする者も現れている。道場なりなんなりで手ほどきを受けている可能性が高い。

 順番でも決まっているのだろうか。襲ってくる、順番が。


 頭の片隅でそんなことをとりとめもなく考えながら、目澤の体は条件反射のように動く。

 かなりの速度でこちらに突っ込んでくる人影。ギリギリまで引き付けて、突如かがみ込む。即座に相手の両足を掴み、股の間に頭を突っ込んでそのまま逆さに背負うように立ち上がった。相手の頭部は勢いよくアスファルトに激突する。気絶したのを確認する時間は与えてくれない。次の相手がもう接近している。

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