23-4

 翌日。膨大な資料をデータでもらい、「ごめんね、まだここまでしか調べてないんだ」と手を合わせて謝罪する月子に、中川路はただ苦笑いするしかなかった。

 次に、そのデータの内容に苦笑いを通り越して真顔になった。


「なんだ、これは……」

「すっごいでしょ」


 月子の声色には、単純かつ素直な驚嘆の感情が含まれている。


「クマムシかっつうの、ってくらいの耐久力。つよい」

「一応、刃物で切ることはできるんだよな?」

「一応ね。そこら辺は朗君に聞いた方が早いんじゃないかな」

「そうだなあ、後で捕まえて聞こう……」


 真空から高圧、高温低温、放射線照射、乾燥に湿度、無酸素状態にも耐える。強いて言うなら低温には弱いようで、マイナス二百度付近で動きが鈍くなる。高温にも一時的には組織の壊死が認められるが、これはすぐに新しい組織の生成が始まってしまうのであまり意味はない。

 酸及びアルカリにも強く、組織もほぼ溶けない。だが、これは「ほぼ」溶けない状態に見える、というだけで溶けていないわけではない。これまた新しい組織の生成が早すぎて容易に追い付いてしまうだけだ。


「効かない訳じゃあないんだな。効くか効かないかってだけなら、効いてる。効果のあるものもある。だけど……」

「結果として、全部無効化してる。早すぎるのよね、再生速度が。どうしてこの速さで再生できるのかが分かれば良いのだけれど」

「まあね。だけど、俺はそこんとこにタッチしてる暇なさそう」


 少し首を傾げて、無言のうちに問う月子。そんな彼女に、中川路は律儀に答える。


「行けそうなやつの心当たりは出てきたんだが、如何せん多すぎる。仕方ないから片っ端から試すよ。それが一番『速い』方法だから」




 中川路は本当にやった。やらかした。端からふるいにかけて行ったのだ。耐性の可能性が考えられるものは片っ端から試した。ありとあらゆる環境に晒し、観察し計測し、ひとつひとつ丁寧に選り分ける。勿論、膨大な量だ。だが彼はひとつひとつ丁寧にチェックした。

 この中川路正彦と言う人物は、普段の素行であるとか見た目の印象であるとか、諸々が重なってそうは見えないのだが、実は至極真っ当な研究者であった。クソ真面目と言ってしまっても差し支えないだろう。この気が遠くなりそうな地道かつ地味な研究を、熱意を持って継続できる。ひたすら無味乾燥に続く数値の羅列の中から、ほんの僅かな違和感や差異を発見できる。そんな人間なのだ。


 この研究は丸一年続いた。一年と聞くと長く感じるかもしれないが、実際は相当に短い期間である。この一年を中川路は選別のみに割いた。それ以外には何も考えず、余計な情報も受け付けず、ひたすらに絞り込む作業だけ。

 別のことを考えるのは、食事の時と女性研究員を引っ掛ける時くらい。彼の悪癖はこの島にいる時も健在で、見目麗しい女性を見るやいなや間髪入れずにナンパしていた。

 彼を知る者の間では「奴は日本人じゃなくてイタリア人に違いない。女性に対して声をかけないのは失礼だという文化のもとで育ってきたんだ」という噂が飛び交い、これで実際女性が次々に落ちているのだからあながち否定もできない。


 では、月子はどうなのか。彼女に対しては、中川路は『研究仲間』という態度を崩さなかった。崩さないというよりは、比重が研究寄りになっていたために、意識を割く機会がなかったと表現するべきだ。


 今思えば、とうの昔に惚れていたのだと思う。認めるのが少しだけ、怖かっただけで。




「一周年記念パーティ、ねえ」


 解せぬ、と言った表情で目澤が呟く。


「ぱーちぃだよ! ぱーちぃ! ドレスコードは一応無いって! 行こうよー!」


 目澤と中川路の肩を抱え込んで、塩野が声を張り上げる。


「めくるめくトゥナイトだよ! トゥナイトっつっても開催は来週だけどさ。なんかねえ、美味しいもの出るって聞いたよ!」

「いや、食堂のメシいつも美味いだろ」

「そうじゃなくってええ! んもぅ川路ちゃんったらつまんない事言う〜」


 相変わらず、三人は食堂でクダを巻いていた。塩野が仕入れた「一周年パーティ開催」の情報に、残りの二人はイマイチ乗り気ではない。


「ねえ出ようよ〜! 目澤っちはともかくさあ、なーんで川路ちゃんまで乗ってこないのぉ。おにゃのこハントチャンスなのに」

「そういう気分じゃない時もあるの!」

「……えぇ……?」

「ちょっと、塩野お前、そういうタイミングでドン引きするのやめろよな」


 三人揃っておこわをもしゃもしゃ食べながら、まるで男子高校生か何かのテンション。


「楽団も登場するんだって! ねえすごいでしょ!」

「どうせここの職員で、趣味で楽器やってる奴等を集めたんだろう」

「ウッヒョ図星。ズボッシよ目澤っち。鋭い」

「うちの外科班から二人行くからな、楽団」

「なぁにそれぇー最初から犯人知ってる探偵みたいなのやめてよー」


 へへ、と目澤は笑ってごまかす。そんな目澤の頬を執拗にどすどすと指でつつきながら、塩野はまだ諦めずに参加への説得工作を続けた。


「超エリート楽団の演奏をバックにダンシングオールナイトだよ! 良くない?」

「古い。言い方が古い。それにさ、楽団っつうことは、踊るっつってもえーとあれだ、なんか、ちゃんとしたやつだろ? 俺できねぇよそんなの」


 皿に付いたおこわの粒を箸で丁寧に拾い上げながら、塩野の顔も見ずに中川路は切り捨てる。だが、そんな彼に対し反論を試みたのは塩野ではなかった。


「なら教えるよ! 任せなさい、一週間で社交ダンス踊れるようにしてさしあげよう」

「月子さん、背後から突然話しかけるのやめて! ビビる!」

「ビビらせたんじゃい」


 中川路の肩を勢い良く叩きながら、月子は満面の笑顔。あーこれは自分の得意ジャンルの顔だ、沼に引きずり込もうとする主の顔付きだと塩野は悟るが口にはしない。


「特訓しよ、特訓。社交ダンス部だったこの国岡せんせいの手にかかれば、正彦君もあっという間に社交ダンス習得者よぉ!」

「えっなにそれ、社交ダンス部って初耳なんだけど」

「部だったんだよー。ほら、小さい頃にさ、テレビで社交ダンスのレッスン番組やってたでしょ? 覚えてない?」


 男三人は顔を合わせて「見たような気が」「微妙な時間にやってたような」「なんか水色背景」とかなんとか呟いた。


「それ見て憧れてさ、大学入ったら部があるってんで入ったの」

「んー、まあそれは分かった。でもさ、服持ってないよ」

「衣装着ろなんて言わないよ、スーツで十分。私だってなんか使えそうなワンピースしかないもん」

「うーむ……」

「……ねえ目澤っち、なんかさ、習う前提で話進んでなぁい?」

「進んでいるな。俺達は引っ込んでおこう」

「お前らもじゃあああい!」

「ヒッ」

「うわぁ」



 こうして、強制的に決まってしまった社交ダンス特訓。強制的に午後六時に招集され、強制的に月子からの指導が入り、一週間みっちりと……とは行かないが、まあそこそこに練習した結果、それなりの形になったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る