23-3


「……捕食される恐怖?」


 疑問と疑念にまみれた声を隠そうともしない。精神科チーム全員の視線を受けて、それでも塩野は言い切った。


「そう。食われる、っていう恐怖。それが強いだけなんじゃないのかなあ」

「そうは言っても、他にもいるだろう捕食されかけた人間なら。だが正気を保ったまま。それはどう説明する?」

「そこなんだよねぇー。その差がさあ、今ひとつハッキリしないんだよね。でも、アレは捕食される側の恐怖だよ。これは間違いない」


 言い切る、という行為自体がこのチームにおいてどのような意味を示すのか。全員がそれをよく分かっていた。そのようなチームであるから。


「なら、対処法としては記憶の切除だけでいけるってこと?」

「そうだね。きれいに取り除いてやれば、日常生活に戻れるでしょ。違和感のない再構築もできるだろうし」


 発狂した被害者と、それ以外の接触者全員のカルテを机いっぱいに広げて、精神科チームは一つの結論を得ようとしていた。

 全部署の中で最も早く結果を出したのがB班精神科チームである。彼らの目指すゴールが、他部署とは少し違うというのも理由だ。まず彼らが目指したのは精神の破綻を回復させることだった。その過程で判明するものは多いだろう、そんな期待も込めて。


「じゃあ、何がその差を産んだのか……」

「わっかんないんだよねぇーこれが。何よ、何があったのよ。んー、だいじょぶだった人達にも手ぇ、出してみるしか無いような気がする」


 腕を組み、椅子に座ってグルグルと回りながら、塩野は虚空を睨み付けて呟く。


「僕達の仕事じゃない、なんて言ってる場合じゃないよね。生物学的な領域にまで僕達から踏み込んでいかなきゃいけない」


 それは、ここに来る直前に塩野自身が抱いていた想いでもあった。あらゆる所からアプローチしなければならない。その、必然性。半ばその想いから逃れるようにここへ来たのに、結局は同じところに戻ってくる。

 まるで出来の悪い推理モノのようだ。きっと事実はそこかしこに転がっているのだろうに、こちらからは見えない。いや、見ていない、聞いていないだけなのだ。もっと引いて、全体像を見なければどうにもならない。


「他んとこにも、顔出してみるかなぁー」




 B班外科チームの奮闘は続いていた。既に彼等の現場にはW班の人間まで詰めるようになり、外科手術や解体作業というより戦闘とでも称した方が良いような状態だ。


「クソッ、今度は翼か!」


 銃弾が偽りの翼を貫き、肉が形作っただけの羽根が飛び散る。縮尺比がおかしいサイズの耳が、形を保ちきれずにどろりと崩れてゆく。

 ミミックの作り出すパーツは統一性がない。人間の腕である時もあれば、足、爪を持った哺乳類のような指のときもある。問題はそれらが全て攻撃に転じるという部分だ。全く攻撃に使えないような部位ならまだマシだ。これが攻撃に適した形状であった場合の惨状たるや、「最も危険性が高い部署」の名に恥じぬ死傷率である。

 何度もこんなこの世のものとは思えない光景を目にしていた外科チームは、そんな中でも冷静に事象を捉えていた。


「やはり、水鳥の羽か」


 ぐずぐずと崩れてゆく羽根の付け根を見つめ、誰かが言った。現れるミミックの部位はその全てが「何かを模したもの」であり、大半が「生物の形状」であった。無機物の形状を模すことはごく稀であり、出来たとしても取り込んだ物を一時的に模倣するだけだ。

 それに対し、生物の形状はある程度の時間で崩れはするものの、何度でも再生が可能だ。この「何度でも」という部分が、外科チームの頭にこびりついていた。


 外科チームはB班の別部署に依頼し、この諸島に生息していた生物を全てリストアップした。そして、予測は的中した。


「この島に居た鳥だ」


 ミミックが作り出す生物のパーツ。それは全て、ミミックが捕食した生物の一部であったのだ。捕食したものでなければ作り出すのは不可能であるらしく、また、作り出す数も捕食した量をそのまま反映しているようだ。この島に多く居た鳥、そして、人間。

 上下の大きさが違う歪な唇から、鳥の鳴き声が響き渡る。まるで悲鳴のように。





「あぁー……」


 着々と各部署が研究を進める中、どこから手を付けて良いのか分からずにただ呻くだけの男がいた。中川路だ。


「分からん。全く分からん……」


 食堂で一人、パエリアをつつく手を止めて、孤独に天井を仰ぐ。いつもつるんでいる塩野も目澤も、こんな愚痴をこぼしたい時に限ってこの場に居ない。


「どーしたの、なんか悲しい声出しちゃってー」


 仰いだ、というよりひっくり返った状態の顔を上から覗き込む人物。月子だ。


「うぅわ! 脅かさないでくれよぉ」

「イッヒヒ、驚いたのかぁーイッヒヒヒ」


 変な笑い声を上げながら中川路の正面に陣取る。貴重な日本人仲間ということで、いつも食堂でつるんでいるうちにすっかり仲良くなってしまった。


「あれ、いつものメンツは?」

「忙しいみたいだよ。塩野も目澤も市村も」

「うーん残念」

「月子さんは?」

「抜け出してきた。腹が減っては戦はできぬ」


 言いながら指差すカツ丼。月子は女性の割にはよく食べる人だった。


「で、どーしたの? 声が悲痛だったよ」

「悲痛にもなるさ……何をどうすればいいのか、さっぱり分からん」

「ふむ、この国岡せんせいに話してごらん」

「おっ、よいこのなやみそうだんコーナーだな?」


 軽いノリに自ら乗って、中川路は素直に吐露した。試しにこれだという菌を検体に付着させてみたものの、全てが吸収されて終わってしまったということ。せめて、外科チームの目澤から聞いた『吸収したものの再現』が発生するのではないかと期待したが、それすら無かったこと。


「兵器クラスも全滅。なんなんだありゃ。びくともしないどころか、何もない。どうすればいいのやらさっぱりだ」

「何もないってのは悲しいねえ。なんでだろ?」

「多分、小さすぎるんだ。ある程度の大きさがないと再現できないんじゃないかな。仮説だけどね」

「ふーむ……思ったより器用じゃないんだねえ」

「ま、誰にだって得手不得手はあるさ。ミミックもそうだったってことさ」


 諦めにも近い感情で言葉を吐き出して、中川路はうつむいた。正直に言えば焦っている。何も結果を出していないどころか、何もできていないのだ。何をどうすればいいのかも分からない。見当がつかない。せめて取っ掛かりだけでも掴みたいが……


「そっかぁ。そうだよねえ。慣れてない場所で慣れないことするのは辛いもんねえ。ミミックが慣れてる場所なんて分かんないけどさー」


 月子が何気なく発した「慣れ」という言葉が、やけに頭の中で響いた。前後がすっぱり抜けて、そこだけが妙に残った。


「……慣れ……」

「んー? どした?」


 頭の中で何かが嵌りそうな感触。


「そうか……慣れ……適応だよ……適応」

「適応?」

「そう、適応。適応させなきゃ話になんないよな。適応って言うか、匹敵?」

「匹敵?」


 火花が散るかのように、中川路の頭の中で思考が合致してゆく。彼の頭の中だけで計算は成され、構築され、幾つかの思考の過程を飛ばして結論へと真っ直ぐに突き進む。


「月子さん、今やってんのってミミックの耐久度調査だよな?」

「うん」

「そのデータ全部教えてくれないか」

「全部って、結構な量あるよ?」

「構わん。とにかく、全部くれ。それに匹敵するやつを作らなきゃならないから」

「え……匹敵って、もしかして……」

「ミミックとほぼ同じ耐久度を持つ細菌を作る。まずはそこから始める。近付けるだけ近付けるんだ。もうこの際、何でもいいから始めないと俺が耐えられないってだけなんだけどさ」



 切っ掛けはこんな些細なものだったのだ。適当な思い付きと言っても差し支えはない。己の中の焦りをごまかすための、誤魔化し程度のもの。


 だが、これが正解への糸口だったのだ。

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