15-5
「いつもすまないな。忙しいってのに」
「何だい突然……いいって、そんな気にするようなことじゃないから」
「俺は気になるんだよ。今日だって本当は別の仕事あるんだろ? メールか何かで送ってくれりゃ良かったのに、わざわざ持ってきてもらっちゃって」
中川路は思ったことを素直に言っただけであったが、市村は細い目をこれ以上ない程見開いて黙りこくってしまった。
「ど、どうした市村」
「……メールで送ればよかったんだった!」
「市村、相変わらずだなぁ」
「申し訳ない……」
「紙の方が断然見やすいから大丈夫さ」
「あと、その、あの、何と言うか、久々に茨城から出てきたから、直に顔見ようかと思って」
「おう、ありがとうな」
中川路に背中を叩かれて、市村は力なく笑う。市村は昔からどこか抜けていて心配になる。
目澤や塩野とはまた違う方向で、気楽に接することができる相手が市村であった。それ故になおさら心配になるのだ。もうこれ以上、かつての仲間を失いたくはない。
「なあ市村、そっちは大丈夫なのか。何かあったらすぐに呼べよ。関東圏内だからすぐに行けるし、連絡寄越すだけでもいいんだぞ」
「ありがとう。でも、今のところ問題ないよ。念のため護衛も雇ったから。前に言ってたろ、君が」
「お、よしよし。雇っておいて損はないからな。俺んとこの護衛なんてもう、八面六臂の大活躍だよ。年がら年中助けてもらってるよ」
「大変だな……」
「まあな。でも、あの時に比べりゃマシに思えるさ」
あの時、という言葉に、中川路も市村もどこか遠くを見透かすような視線になった。二人の見つめる先は同じ所だ。過去という、遠いところ。やり直したくとも手の届かない、隔絶された場所。
中川路は頭を振った。何かを振り払うように。そんな事をしても、どうにもならないのは分かってはいたが。
「ああそうだ」
と、無理に話題を変える。
「もう少ししたら塩野も手が空くぞ。目澤は当直明けだからいないけど。会ってくか?」
「塩野かあ。全然顔合わせてなかったからね、久々に……あ」
市村は慌てて自身の袖をまくり、腕時計がないことに気付いた。
「い、今、何時?」
「そろそろ四時かな」
「……うわー!」
青い顔で立ち上がると、市村は泣きそうになりながら中川路を見る。
「し、し、新幹線が、四時半」
「大丈夫だ、まだ間に合う! 熊谷発だろ?」
「う、うん」
「タクシー乗ってけ、表玄関に常駐してるから。ここからなら十分で着く」
「ごめ、ごめんね、みんなによろしく言っといて」
「分かった分かった、いいから急げ」
もう一度背中を叩いてやると、市村は弾かれたように走り出した。なのに慌てて戻ってくる。
「エレベーターどっち?」
「右!」
運動会よろしく走り去ってゆく背中に、中川路は苦笑する。エレベーターが上がってくるのを待っている間に結局追いついてしまい、一緒に一階まで降りる羽目になったのは笑い話だ。
エレベーターの中で、市村が土産と言って手渡ししてきたのはクッキーの包み。コーヒーカップの形に抜かれたクッキーが透明な袋の中に綺麗に収められている。
「寄った喫茶店で売ってた。お土産ね」
「そんな気ィ使わんでもいいって」
「いや、自分がお菓子好きなだけだよ。自分用に買ったついでだからさ」
受け取ると同時に一階へ到着。市村はバタバタと走ってゆく。「転ぶなよ」と声を掛けると、振り向かないまま大きく手を降る姿が見えた。
書類の束とクッキーと、そして残された中川路。ガラス製の自動ドア越しに、市村を乗せたタクシーが出るのを確認すると、軽く息をついた。
「……見ながら食うか」
市村の土産にハズレはない。ありがたく頂くことを決めた中川路であった。
ほぼ同時。
中川路の位置からは見えない駐車場の片隅に、職員のものではない一台の車があった。後部座席に乗っているのは細身の男。
「坂田さん、対象、動きました」
「追え」
運転席の男は対象、すなわち市村を乗せたタクシーを目で追い、少し距離をあけてから車を動かし始めた。
「絶対に逃すな」
坂田、と呼ばれた男は、そんなことはないと分かっていながらも念を押す。運転手は少し怯えたような顔で小さく頷き、ハンドルを切った。
静かに車は走る。ひたひたと迫りながら。
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