15-4
「すみません、中川路正彦先生はいらっしゃいますか」
「あれ、市村? 市村じゃないか」
受付で所在を尋ねた途端に、当の本人が現れるという図式。
午後の最後の診療を終えた中川路は、外来室から出てすぐに既知の人物を発見した。
「久しぶりだなぁ市村! どうした、いつも研究所に籠もりっきりだろ」
笑いながら肩を叩くと、市村と呼ばれた男は相好を崩した。
「ああ良かった、いた……いきなり来てしまって申し訳ないね」
「いや、いいっていいって。何だよ、こっちに来るんだったら連絡の一本もくれりゃ良かったのに」
にこやかに笑う中川路、はにかむ市村。
「東京で研究発表会をするんで、ついでにと思って」
「お、ついにそこまで進展したか。話、聞かせてくれよ」
「その前に、こっちを」
市村は手にしたファイルを差し出す。慌てて入れたと思わしき書類がはみ出ていた。
「そいつは」
「例の検査結果」
「……移動しよう。上に休憩所があるから」
中川路の顔が一瞬、ごく一瞬ではあるが緊張感を帯びた。
病院の六階、屋上に相当する部分に小さな休憩スペースがある。昔は屋上に設置された箱状の看板に屋根をつけた程度のみすぼらしいものであったが、昨年の大改修でそこそこ立派な「多目的ホール」になった。今もまだ拡張中であるが十二分に使える空間だ。昼時には職員が弁当を広げたりしているが、午後になるとほとんど利用する人間は居ない。
そのスペースに、中川路は市村を伴って現れた。
「それにしてもどうした、その鼻。擦り剥けてるぞ」
中川路の指摘に、市村は慌てて鼻を手で隠す。
「いや、その……ここの玄関先で人にぶつかってしまって、転んだ」
「おいおい大丈夫か?」
「擦りむいただけだから大丈夫」
「市村はしょっちゅう転ぶからなあ。見ててヒヤヒヤするよ」
市村は恥ずかしそうに笑って、癖毛を掻いた。
端に置いてあるベンチに腰掛け、市村は書類を整頓し始める。数枚を引き抜いて隣に腰掛けた中川路に渡すと、残りの書類を順番通りに並べ替える。
「まず、預かった血液サンプル。全て陽性だった」
渡された紙の一枚目。ずらりと並んだ検査結果数値。その一つ一つを睨むように見つめる中川路。
「少し分かりにくいけど、ここ」
「ああ……変な数字出てるな」
「それを踏まえた上で、例の薬物と思わしきものの検査結果」
今度は、並べ直した書類を全て渡す。
「最初は天然素材系だと思ってたんだけどね、デザイナーズがベースになってる。問題なのは、このベースに混ぜてある物」
市村の指差す部分には「判別不能」という文字が並んでいた。中川路は思わず市村の顔を見る。当の市村は同じように困惑した表情を返すしかできない。
「分からないんだ、全く。該当する物質は今のところ、無い。現在の科学では判明していないと言った方がいいのかな」
「市村がそう言い切るってのは、また、こう……とんでもない事態だな」
「それ以外の物は全て、この物質の効能を保つためだけに構成されてると言っても過言じゃない。恐ろしく脆くて、それだけ抽出するのは無理だった」
「そうか。……擬似薬物、ね。それにしては、副作用が出てなかったが。ひたすら多幸感にまみれてるだけで」
「強いんだ、この物質が。強すぎて、他のものを全て抑えこんでしまう。効能も、副作用も。副作用が出ないのはいいんだけど、ここまで強力だと、服用した人間はどうしたって依存してしまうだろうね」
ここまで中川路が信頼を寄せるこの
今ではすっかり少なくなってしまった元DPSの、さらに貴重な日本人仲間。メンバーの頃から仲が良かったというのもある。そんな市村に依頼していたのは、襲撃者達の血液検査と、とある薬物の分析だった。
彼等を襲撃してくる人間、その一部には一定の共通点が見られる。
最初に気付いたのは塩野だった。脳内に埋め込まれた「地雷」に阻まれ分かりにくかったが、彼等は共通の薬物を使用している可能性がある。それも、麻薬を。解体しようとしても反応が鈍く、物理的なところから何かが遮断されているようなこの反応は麻薬に近い……と、塩野は言っていた。
その疑念が確信に変わったのは二年前。偶然の産物ではあるが、該当する薬物と思わしき物を入手したのだ。蝋引きの薄い紙に包まれた、飴玉にしか見えない物体。それこそが、通称『キャンディ』と呼ばれる希少度の高い麻薬だと調べがついたのはごく最近。
通常の勤務の合間に調べ物をするのは至難の業であるが、それでも中川路は答えを導き出した。目澤のように近接格闘に秀でている訳ではなく、塩野のように深層心理に切り込める訳でもない、そんな自分のできることと言ったらこれくらいしか無いではないか。
中川路は遠慮なく市村を頼った。元DPSメンバーである限り、市村もこの問題から逃れられないからだ。というのは言い訳で、ただの甘えなのだろうと中川路は思う。
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