14-13
しばらく時間が経ち、現場もある程度は落ち着いてきた。ならば後処理は警察に任せて、とりあえず大ホールへ戻ろうとした網屋とシグルドであったが。
「ごめん、ちょっといいかな。網屋君、だっけ」
中川路に呼び止められ、網屋は緩慢とした動きで振り向いた。頬に飛んだ血は拭いきれていない。
「はい、何でしょう」
「君さ、時間外手当を出すならいくらでも付き合う、って言ったよね?」
「……言いましたね」
「良かったら、それ実行してみないか」
と言うと? と口には出さずに、相手の顔を見返すに留める。中川路はバツの悪そうな笑顔を浮かべて、おずおずと切り出す。
「その、我々の警護をしてもらいたいんだ。できれば、長期に渡って」
「長期ですか」
「可能なら、日本に来てもらいたい。考えてもらえないかな」
唐突な要請に網屋は首を少し傾げ、素直に聞く。
「どうして俺なんでしょ。採用に至った理由は?」
中川路は残りの二人と交互に顔を合わせ、全員同時にこう言い切った。
「度胸の良さ」
あまりにきっぱりと言い切られ、網屋も、側にいたシグルドも思わず目を丸くする。
「良い腕してるなと思ったし、しかも日本語がしっかり分かる人なら、こちらとの齟齬も生まれにくいでしょう。それに、思い立ったら吉日って言うからね」
「今、この瞬間に捕まえておかなきゃーって思ったの、僕ら」
「日本国内でこういうことを依頼できる人間を探すのは、至難の業だしな」
荒事に慣れている、だとか、その辺りの問題ではなく、元からこの人達はそういう人物像であったのではあるまいか。網屋は笑うしか無く、現実的な質問を重ねることにした。
「日本国内、ねえ。日本のどこですか」
「埼玉県の熊谷市って知ってる? 夏が馬鹿みたいに暑い所」
聞いた瞬間、網屋は自分がどんな顔になったか想像もつかなかった。ただ、シグルドは弾かれたように顔を上げて網屋を見たし、塩野は一瞬鋭い視線になった。
だが、網屋は「踏み出すことのできる自分」を認識もしていた。自分にとってのそれは、もう終えたことなのだ。全て潰し、跡形もなく燃やし尽くした。一切の例外もなく。
良い機会かもしれない。そんな風に思える自分がいる。それが良いことなのか、悪いことなのか、全く分からないが。
「熊谷市は地元ですよ。そこ出身です」
「え? 本当? 世の中狭いね!」
あの時駄目にしてしまったプッシュダガーを、新しく作ってもらうのも良いだろう。たまに会って遊んでいた相田に、きちんと連絡を取るのも良いだろう。それができる、それを考えることができる自分が確かにいる。随分と進歩したものではないか……
いや、違う。と、自分が言う。
強制的な機会がない限り、いつまでもあの場所に向き合うことはないのではないか。
家屋は既に取り壊してある。だが、更地になった土地は買い手がつくまいと放置したままだ。時折、相田が手入れをしてくれているらしいが、任せきりにするわけにも行かない。あの土地は売ってしまおう。いっそ畑にでもしてしまえばいいのだ。
良い、機会だ。確認するように、今度は口の中だけで呟いた。
「詳しく話を聞かせて下さい。報酬とか、皆さんの事情とか、正体とか」
網屋の返答に対して三人が浮かべた笑顔は、とてもじゃないが善人には見えない。
いいじゃないか。血と硝煙にまみれて仕切り直し、今の自分には相応しい状況だ。
「いくらでも受け付けますよ、時間外手当」
自分だって相当の悪い顔だろうと思いつつ、それでも網屋は、笑った。
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