14-12

 拘束するそばから中川路が視診、塩野が一人ひとりの顔を覗き込んでは「違う」「こっちも違う」と選別をしてゆく。

 最後の方になってやっと「見つけた」という言葉が出た。相手の上半身を起こして壁に寄りかからせると、目線を合わせるためにしゃがみ込む。


「死ぬのは辛いよ。痛いし怖いし、良いことは無い。だから、死ぬのは良くない」


 効果が薄いことは分かっていながら、それでも塩野は『至上命令(トップコマンド)』を打ち込む。こちらの言葉が、果たしてどこまで物理的に遮断された神経まで届くのか。あの奇妙な薬物。


「舌を噛んで死ぬとかってあるじゃない? あれ無理だよねえ。舌って筋肉の塊だもん。それを噛み切るのは至難の業だし、一瞬で済まないから相当痛いよね」


 ごく僅かだが、瞳の奥に恐怖が宿る。その目の下瞼をめくって、中川路が頷く。


「眼底部に一定の充血を認める。口腔内……微妙だな、だが多分、ビンゴだ。いけそうか」

「やるだけやってみる。さっきみたいなことにはならないよ。目澤っち、いざとなったら頼むね」

「分かった。やれ、塩野」


 一つ頷き、塩野は眼鏡を掛け直した。深く息を吐き出して、二回、己の頬を叩く。


「よし! じゃあ、改めて自己紹介するね。僕の名前はシズキ・シオノ。もしかして知っていたかな?」


 目の動きを確認してから、被っている覆面をはぎ取る。現れたのは二十代後半と思わしき白人男性の顔。


「この方がいいでしょ。お互い、顔が見えた方がお話ししやすいよ。君の名前を教えてくれる?」

「……ヴィート。ヴィート・デル・テスタ」


 素直に答えた。最初に打ち込んだ至上命令が、良い具合に効いているのだろう。意識の流れはこちらに向いている。


「もしかしてイタリアの方かな?」


 相手の出方を待つ。頷くのを見て取ると、塩野はにっこりと笑った。


「ああ良かった。間違っていたらどうしようかと思ったんだ。僕は日本から来たよ」


 普段のやり方に比べ、慎重すぎるくらい慎重に事を運んでいるのが中川路と目澤には分かる。無理に壊せば地雷に引っかかる。かと言ってある程度壊さなければ突破口は開けない。泥が沈殿した水の中を、濁らないようそっと足を踏み入れる。


「飛行機に乗って来たんだよ。君はどうやって来たの?」

「前から住んでた」


 彼は微かな笑みを浮かべる。しかし、塩野としては安心できない。この笑顔に見覚えがあるからだ。先程の頸動脈を自ら切り裂いて死んだ男。その、笑顔だ。

 今までも何度か見ている、この、やけに幸せそうな顔。自らに降りかかるもの全てを受け入れ、そして飲み込んでしまう顔。

 地雷が仕掛けられているのは確かだ。それがどこに仕掛けられているのか。一定の単語か。動作か。それとも解体という行為そのものか。


「お、住んでたのか。どこの州?」

「ミシガン」

「ここから近いねぇ」


 柔らかい世間話。塩野は笑顔を絶やさない。


「隊に同郷の人はいるの?」

「分からない」

「そっかあ。仕事仲間だと分からないこともあるもんね。みんなとは仲良いの?」

「まあまあかな」

「まあまあか。それくらいが一番良いよ、仕事だもん。上司の人は優しい?」

「うん、良い人だ。いつも……」


 言葉はここまでだった。やけに乾いた音が二回、全員の鼓膜を叩いた。自分がをそれを受けたわけでもないのに、血の気が引く感触があった。

 喋っていた彼の頭が、支える力を失ってがくりと傾く。額に一発、喉に一発、計二つの銃創。金属の塊が皮膚と骨を食い破っていた。


 網屋もシグルドも、気付くことができなかった。青褪めて視線を動かすといつの間にいたのか、銀髪の男が一人、離れた向こう側に立っている。歳の頃は五十過ぎであろうか。手には拳銃。銃口から薄く煙。

 そして何より目を引くのは右頬を抉るように残る、古く深い傷跡であった。


「今日はここまでだ、諸君」


 覆面を着けていない顔。その口から発せられる、ひどく挑発的な言葉。顔を見られても、正体が割れても問題ないとでも言うような態度。

 咄嗟に網屋とシグルドが銃口を向ける。が、銀髪の男は既に甲板を駆け抜け、手すりを乗り越えようとしていた。


「次に会える時を楽しみにしている」


 振り向きざまにそう言って、男の姿は海へと消える。

 慌てて手すりに駆け寄り下を覗き込むと、小型のモーターボートが白い波を立てて走り出していた。逃げるボートに向かって撃つが既に遅く、何発かの銃弾が虚しく海を穿つ。


「……クソッ、どこから出てきやがったんだ!」

「あの野郎……!」


 忌々しげに呟く二人。だが、網屋もシグルドも内心分かっていた。どこから来たのか、どのタイミングで撃ってくるのか、仮に分かっていたとしても対応できなかったのではあるまいか、と。

 そう思ってしまう程の「隔たり」が、両者の間にはあるのだ。認めたくはないが。


 そして、驚愕の声を上げる者がもう一人いた。


『ボーグナイン……クリストファー・ボーグナイン!』


 呻くように名を呼ぶ、その声はクラウディア。


『どうしてここにいるの……あの男……』


 歓迎する声色には思えない。


『知ってんのか、クレア』

『……ええ。友人が追っている男よ』


 その後にいくつも続くであろう言葉を、クラウディアが飲み込んだのが分かる。だから誰もその続きは追求しなかった。クラウディア自身もそれを望んでいただろう。すぐに話題を変える。


『残存兵力が撤退を始めているわ。本目的を果たした、ということなのかしら?』

『どうかな。消費する労力と結果との兼ね合いかもしれん』

『これ以上留まっても、得るものは少ないと?』

『そういうこったな』


 佐嶋の最後の物言いには、楽観的な要素は含まれていない。敵の撤退にまで持ち込めたのは良いことだが、かなりの被害者が出たのは事実であるし、靄が晴れない感触が強い。

 それは三人の医師達も同じであった。今回のパーティに参加したのは、仲間内の安否確認のためであったはずだ。それが、結果として仲間を失うこととなった。求めていた情報も得られず、徒労に終わる。


 それでも、まだ自分達は生きている。生きている限り、やるべきこと、向かうべき方向は変わりはしない。

 だから、やれることをしよう。


「あのさ、一つ考えていることがあるんだが」


 中川路の言葉に、塩野も目澤も驚きはしない。やはり、とでも言いたそうな顔だ。


「僕も大体おんなじこと考えてると思う。目澤っちは?」

「多分、被っているだろうな。この状況で考えることなんて、まあ、そんなものじゃないのか」

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