12-2


「たっだいまー」

「しーちゃんおかえり。ご飯できてるからね」

みつるさんは?」

「帰ってまぁすよぉー」

「背後から突然出てくるのはやめて下され、義兄上」

「隙を見せたお主が悪いのじゃあ!」

「ぐぬう不覚! 拙者は修行不足であったかッ」

「ふざけてないで、早くお夕飯にしましょ」


 姉の小波さざなみの言葉に、弟の鎮鬼と夫の充は黙り込んだ。

 日本語を思う存分使うことができる環境というのは滅多になく、それ故に自宅へ帰ってくるとどうしてもテンションが上がってしまう。ふざけた性格という点でよく似ている鎮鬼と充は尚更である。職場や大学に日本人はいるものの、かと言って日本語でことさら会話するわけでもないからだ。



 塩野鎮鬼がカリフォルニアの大学に通い始めて、もう三年。すでに米国在住であった姉夫婦の家に転がり込んで三年。

 心理学に興味を持ったのはいつ頃だったろうか。切っ掛けは思い出せないが、かなり早い段階から心理学方面へ進路を定めていたのは事実だ。


 通っている大学の一部に「特別講座」があることを知ったのも早かったと思う。義兄から聞いた話だったはずだ。

 義兄は証券会社に勤めていた。彼の仕事関連で聞いた話だ。



 解体屋、という存在がいる。解体と言っても機械や建築の解体業ではない。デプログラマーと呼称されるものだ。

 何を解体するのか。それは洗脳だ。人間の脳に仕掛けられた「洗脳」というプログラムを外すのが「解体」である。


 洗脳というものは世間一般が考えているよりも広く、そして根強くはびこっている。分かりやすいところで行けば宗教団体。他にも企業、政治団体、公的組織など、洗脳という手段を必要とし、そして行使している場は多い。また、個人レベルでも行われることもある。それはたびたび、洗脳という自覚を伴わない。

 洗脳は商売足り得るものだ。故に、洗脳屋、もしくはウォッシャーと呼ばれる人間がその肩書を背負って闊歩するようになった。

 企業間の優秀な人材の引き抜き合戦。宗教団体の規模拡大。裏切らない忠実な兵士の育成。詐欺商法の顧客確保。政治のロビー活動の補助。いくらでも需要はある。


 それに対し、洗脳を外すという需要も生まれてきた。引き抜いた人材を、前の会社から完全に引き剥がすために。新興宗教に没入してしまった家族を、元の生活に戻すために。

 洗脳の需要の数だけ、解体の需要もあるということだ。


 このために生まれたのが解体屋である。


 初期の頃の解体は監禁や暴力を伴い、人格もろとも破壊する大雑把なものであった。次第にそれらは洗練され、洗脳された部分だけを引きずり出し、教義を打ち消し、忠誠心を漂白するようになってきた。

 故に、故にである。人格の破壊という需要も、そこには生まれてきたのだ。


 洗脳と教育は同義語である。人間の自我は教育によって培われる。洗脳を解体するということは、人格も粉々に解体できるということだ。

 たった一言で人は狂ってしまうこともある。それを偶然ではなく必然的に、意図的に行う。

 何のために? それは人の欲望のために。その人間を、殺すために。



 元・解体屋の教授が大学にいると義兄から聞いた。取引先の企業で解体屋として雇われていた、とも。彼の雇用如何で株の値段が上下するほど影響力があるのだそうだ。

 興味が湧いた。翌日、その教授を捕まえて話を聞いた。最初のうちはまるで相手にされなかったが、禅寺の入門よろしく食い下がり続けたのが功を奏して、特別講座の門を叩くことに成功する。


 特別講座には、ありとあらゆる層の人間がいた。老若男女、白人黒人黄色人種、流行りに流された風体の者から時代錯誤の格好まで。

 その場にいる彼ら全員が、その「外部刺激によって得られる情報」を全て己の道具として扱っていた。見た目、年齢、印象、声、何もかもをだ。


 教授は言った。


「見た目に流されるな。だが、見た目で判断しろ」


 それを、その「見た目」を選んだのは彼ら自身である。その状況に追い込まれたのか、それとも好んで選んでいるのか、それを手段として選択したのか。

 判断しろ。分析をかけろ。外部から与えられる刺激こそが判断材料となる。何一つ見逃すな。主観で捉えるな。客観性に徹しろ。そして主観というふるいにかけろ。

 情報を全て粉々にし、分析をかけ、タグを付けろ。たとえ相手が神であってもだ。親にあっては親を殺せ。仏にあっては仏を殺せ。



 一つ年上の、日本人の男性がこの特別講座にいた。講座に参加しているのは全てここの大学生であったが、その中でも日本人は珍しかった。

 穏やかに笑う顔が印象的な男だったが、そんな彼は解体だけを得意とする人物だった。洗脳も、人格解体後の再構築もやろうと思えばできるのに、彼はそんなものに興味はないと言い切った。

 初めて講座で会った時の、穏やかな笑みの下に隠れる不穏当な第一印象は正しかったのだと後になって思う。直感というやつも、結局は脳が弾き出したひとつの結論であるのだと。


 だが、自分も人のことを言えるような立場ではなかった。

 人の心を知りたい、あわよくば意のままに操りたい。そんな下衆な欲望に駆られていたのだと思う。


 知識欲が拍車をかけて、砂が水を吸い込むように解体の知識を学んだ。一年もしないうちに、プロ顔負けの技術を身に着けた。

 天賦の才とやらがあったわけではない。素質という点だけを上げるのならば、高帆應尚たかほまさひさというこの先輩の方が遥かに上であった。

 しかし、講座を受けている生徒達は口を揃えてこう言った。


「塩野の後を、高帆が追いかけている」


 何が違ったのか。それは分からない。ただひとつ言えることは、当時の塩野は高帆のことなどまるで気にも留めていなかったということだ。妬み混じりの視線が飛んできたのは知っているが、そんなものに構っている暇は無かった。一分一秒が惜しかった。一つでも技術を身に着けたかった。一つでも知識を得たかった。


 学び始めて二年も経つと、いつ解体屋として働き始めてもおかしくないとまで言われるようになった。

 今から思えば、これが驕りと隙を生み出したのかもしれない。推測論に過ぎないが。



 美しい思い出。美しい美しい、大切な思い出。

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