11-3

 時は三年前にさかのぼる。


 まずは、モータースポーツ同好会の成り立ちから話さねばなるまい。


 大学の裏手にある幾つかの小さなガレージ。閑散としたそのエリアの片隅で、たった一人、廃車と格闘している青年がいた。

 当時、大学一年生の豪徳寺米政だ。額を汗で濡らして、ひたすらにオーバーホールに精を出している。

 そこに通り掛かったのは、後の副部長になる佐伯司だ。大学構内を隈なく探索するという崇高な目的で、幾つかのサークルから受けた誘いを全て無視しフラフラしている最中だった。


 豪徳寺の顔には見覚えがあった。同じ学部で同じ講義を受けていたのだ。豪徳寺は目立つ。その大きさと、その威圧感とで。


「何してるの?」

「廃車の、リペアを」


 振り向きもせず、作業に夢中のまま条件反射のように答える豪徳寺。


「大変じゃない?」

「楽しいから、問、題、無い」


 作業の手は止まらない。どこまでも作業がメインであって、返事をするのはオマケのようなものだ。リズミカルに動く手。突き動かされるように。


「俺も混ぜて」


 この言葉にどう返事をして良いか分からず、ようやく豪徳寺は顔を上げる。佐伯と目が合って、自分が誰と喋っていたのか気付く。


「楽しそうだから、俺も混ぜて」



 取っ掛かりはこんな具合だ。バイク部やツーリングサークルの勧誘があまりにしつこく、すっかり辟易していた椿も、チームメイトである佐伯から話を聞くと一も二も無く乗ってきた。


 豪徳寺という青年は、将来の為に経験を積みたいのだと語った。大学を卒業したら、彼は実家が経営する会社に入る。トラクターなど農機具の製作・販売とレンタルを行っている会社だ。

 その会社で将来、乗用車を開発する。そのための経験値を積みたい。あわよくば道連れに社員も確保したい。

 まるで言葉に衣も着せず語る豪徳寺に、佐伯は大笑いしながら「面白い」と告げた。社員になるのは無理だが、そんなに面白そうなことをやろうとしている奴に乗っからないのは損だ、と。

 椿もまるで同じ意見であった。佐伯と椿の二名はすでに就職先が決まっているようなものだ。それがなければ、いっそ豪徳寺のところで就職しても良いと思った程である。


 こうして、たった三人のサークルは構内の隅で地味に活動を始めた。



 ほぼ同時期から、同じ一年生の高橋による相田への勧誘は始まっていたらしい。高橋は、相田が何者であるのか知っていた。最初からだ。

 同じく自動車部の前崎は、相田のことを知らなかった。故に、前崎は高橋がそこまで相田に固執する理由が分からなかった。一年生にして学生レースの選手候補であった前崎からすれば、訳の分からない弱そうな奴に時間を割く必要は無いと考えていたのだろう。実際、前崎は高校生の頃から公道で車を乗り回していたらしい。それが何を意味するか、幾つかの見当はつく。


 相田にまとわりつく高橋。それを睨みつける前崎。目の片隅に入ってくるその光景を、いつしか「いつものこと」と慣れてしまったのは仕方のない事だったのだろうか。



 椿と佐伯は、講義を休むことが度々あった。仕方無い、レースの都合に合わせるとどうしても休みがちになる。

 学生である間は学業に集中する、というのがチームとの約束であったが、かと言って学業のみに専念する訳にも行かない。少なくともレース本番とその前後は手が空かない。だから、椿と佐伯はその現場を目撃することは無かった。後から話を聞いて、青くなったり赤くなったりしたのである。



 六月末だったそうだ。

 その前に行われる「全関東学生ジムカーナ選手権大会」と「全関東学生ダートトライアル選手権大会」で好成績を収めた熊谷産業大学自動車部は、八月に開催されるこれらの全日本大会に向けて調整をしていた。


 欲が出たのだろうと、今になって思う。勝ちたい、であるとか、名誉、であるとか、顕示欲、であるとか。

 もしくは、もっと他の、あまり突っ込んで考えたくはない個人的な、自尊心を満たす何か。




「頼む相田! ジムカーナだけでいいから!」


 目撃したのは豪徳寺だった。いや、その講義に出ていた学生全員と教授、そして廊下にいた他の人間全て。

 廊下に額をこすりつけ、土下座する高橋。それを前に、困惑する相田。


「いや、ちょっと、頭上げて」

「一回だけで! 一回だけでいいから! お願いだから、選手として出場して下さい!」


 視線が否応なしに集まる。その視線に冷や汗をかく相田。なんとか高橋を起こそうと腕を掴むが、当の高橋は微動だにしない。

 遠巻きに見つめる学生達の中に、前崎もいる。気に食わないという態度も露わに一つ舌打ちをして、それでもその場から離れない。


「自動車部を助けると思って、どうか!」

「分かった、分かったから頭上げて!」


 仕方なしに発した言葉であったろうが、高橋がそれを聞き逃すはずもない。頭を上げると逆に相田の腕を掴み返す。


「本当に?」

「うん、分かったからさ、だから頭上げて。ね」


 困り顔の相田とは対照的に、高橋は満面の笑顔へと変化する。

 豪徳寺は思わず「気持ちが悪い」という感想を抱いてしまった。高橋は、相田がそうせざるを得ない状況にまで追い込んだ。彼にとっては当然の結果であったはずだ。それを平然と行える彼の神経が、そして、それに対する喜色満面の笑顔が、「気持ち悪い」という印象を与えるのだ。

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