11 トラウマとサークル
11-1
土曜日。午後二時前。ここ「グリズリーコーヒー」は、いつも通りのんびりと営業している。
店主の趣味の影響で、このカフェはバイク同好の士が集う場になっていた。
この店の隅にある掲示板には、ツーリングの参加要項であるとかお知らせであるとか、その類のチラシが何枚か貼ってある。
窓際のテーブル席には、次回の店主催によるツーリング参加者が集まりつつあった。
大まかにそろったのを見て、カウンター内の神流親子はコーヒーを淹れ始める。参加者へ振る舞う分だ。この時間帯は、正直言ってツーリング参加者くらいしか客はいない。
が、この日は違った。木のドアを随分遠慮がちに押して、一人の客がやってきたのだ。
「こんにちはー」
高い身長をやけに縮めて、荷物を抱えた黒髪の青年。
「お、網屋さんいらっしゃいませ」
「どうもです。今、お時間大丈夫ですか」
「はい、大丈夫ですよ。どうぞどうぞ」
カウンターへと招く椿。頭を下げながらやってくる網屋。今までと印象が違うような気がするのは、服装の雰囲気が異なるからだ。ジャケットではなく上着代わりの綿シャツと、適当なTシャツ。スラックスではなくカーゴパンツ。
「これ、お借りしたままだったので」
差し出すのは、黒いシートバッグ。椿のタンデムシートに取り付けていたものだ。中には貸したヘルメットが入っている。
「先日は本当に、突然のことで申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる網屋。慌てる椿。
「いえ、そんな、頭上げて下さい!」
「とんでもないです。色々と……あと、これ、つまらない物ですが、よろしければお召し上がり下さい」
メットに次いで差し出されたのは、風呂敷に包まれた一段重。中身は真ん丸な草餅であった。鮮やかなよもぎの緑色がずらりと並ぶ。
「お口に合えばいいんですが。こちらがこし餡で、こちらが粒餡」
「これ、もしかして、ご自分で?」
「作りました。素人の作で申し訳ないんですが」
網屋という男の作る物に関しては、既にその威力を経験済みだ。テーブル席にコーヒーを運んで帰ってきたマスターが一段重を覗き込んで感嘆の声を上げる。大きな手で一個拾い上げると、そのままつまみ食いしてしまった。
「おっ、ウマイ。コーヒーと合いそう」
「ホントだ。いいわこれ」
同じく一個つまんだ椿も、お世辞抜きに賞賛の声を上げる。網屋は心底ホッとした顔で笑った。
「重箱は、相田にでも渡していただければ。じゃ、これで失礼します」
「待ったァ!」
一礼して踵を返そうとした網屋に、それはそれは力強く制止を掛ける椿。あまりの力強さに身を竦める網屋。
「折角来て頂いたんだから、コーヒーでも一杯いかがですか」
「いやぁ……俺みたいな職業の人間が、あんまり長居しちゃ駄目でしょう。ねぇ?」
「それとこれとは関係無い!」
「え、いや、でも、椿さん、こないだ見たでしょ。俺の……」
皆までは言えない。口ごもる網屋に、草餅を食べ終えたマスターが告げる。
「職に貴賎無し」
網屋は繋ぐ言葉を失って、困り顔で二人を交互に見つめるしかできなくなってしまった。神流親子の方はどこ吹く風、知らん顔で会話を続ける。
「顧客になりそうな人を、ここで逃す訳にも行かん! うちの豆いかがでしたか! リクエストが有れば焙煎具合も変えますよ!」
「挽き具合も変更できますよ! そのために試飲一杯いかがですか! 私、今すぐ淹れますよ?」
「そうだ淹れろ淹れてしまえ。ささ、座って座って。さあさあ」
熊のような手で両肩を掴まれ、やんわりとではあるがカウンターの椅子に座らされてしまう。困惑の表情を浮かべるもやはり華麗にスルーのマスター。
「この草餅、あっちに出してもいいかい?」
あっち、とはツーリングの打ち合わせにやって来た客のことである。
「素人の作でも良ければ……」
「椿、小皿」
「あいよ」
渡された人数分の小皿と一段重を抱えて、マスターは奥のテーブル席へ引っ込んでしまう。こうなるともうしばらくは動かないだろう。椿は網屋に淹れるコーヒーの支度を始めた。
「あの、いや、だったらちゃんと注文させて下さい。お願いします」
それはもう平身低頭、拝み倒す勢いで網屋が乞うものだから、椿は堪え切れずに笑い出してしまう。初めて顔を合わせた時もこんな調子ではなかったろうか。
メニューを渡すと真っ先にコーヒーの種類から見つめる網屋。ページを繰ってはしばらく悩み、指さして問うたのはこれだ。
「週末の日替わりタルトって、どんなのですか」
「今日はグレープフルーツのタルトです」
「じゃ、そのタルトセット下さい」
週末にバイトをするみさきが、奥の厨房で作るタルト。一部の常連客からは「何故彼女をもっと表に出さない」と冗談交じりのクレームを受けたりもする。実際にみさき目当てでやってくる人間もいたりするが、口説こうとしようものなら常連客からの総攻撃が始まるので問題は無い。
それが、みさきから男を必要以上に遠ざけている原因のような気もするが。
「甘いもの、お好きですか? ホイップクリームのオプションもありますよ」
「いや、甘いもの好きっていうんじゃなくて……実は、誕生日なんです、今日。なのでセルフ祝いしようかと思って。男一人で寂しいなコレ」
「おめでとうございます! 私らより一つ上でしたっけ」
「そうです。無事、二十三歳になりました」
拍手しつつ、椿が取り出したのは誕生日用のロウソク。
「付けましょうか?」
「いやいやいや、結構です! そこまでは!」
本人が拒否するのなら、残念ながら断念せざるを得ない。奥の厨房に顔だけ出してタルトのカットを指示すると、椿は手際よくコーヒーを淹れ始めた。
網屋はカウンターの隅に置かれたバイク雑誌を手に取る。何となく手に取っただけであったが、その雑誌に載っている特集に視線が釘付けになった。
『チーム特集 ドラグーン・レーシング・ファクトリー』
見開きの写真に大写しになっていたのは、真っ赤なバイクが二台と、それに跨る二人のレーサー。その片方は。
「すげえ、椿さんだ」
思わず口に出してしまう網屋。知識としてはすでに有していたし、否応なしに体感もしていたが、いざ分かりやすく示されると改めて驚きを感じる。
チームの本拠地は網屋も知っているバイクショップであった。大きい店舗であるので覚えていた、というのもあるし、その店舗の隣にあるゲームセンターに入り浸っていた頃があったから分かったというのもある。
ページをめくると、チームメンバーの写真。ピットクルーの中に、見覚えのある顔。
「あ、佐伯さんだ」
モータースポーツ同好会の佐伯司。彼が、ピットクルーの格好で端に写っていた。
「道理で……」
異様に特化した整備能力はこれが原因であったのか。普段から現場で揉まれていればああもなろう。いやしかし、バイクだけでなく車もいじっているというのはどういうことか。
しばし考え、網屋の中で結論が出る。車いじりは多分、趣味だ。
他にも知っている顔がいないかと探してみたが、椿と佐伯の二名にのみ留まった。
ならば記事をちゃんと読もうかと目を落とした時に、注文のタルトセットが差し出される。ふと見上げると、椿と目が合う。
「さぁて」
ニッコリと笑った顔は目が笑っていない。「わあ怖い」と口走りそうになるが何とか堪える網屋。
「先日の話、しっかり聞かせてもらいましょうか」
「ヒッ」
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