03 日常と現実
03-1
まさか、自分が二日前にやったことをそのままやり返されるとは。
網屋は寝ぼけ眼でそう思った。しみじみ思った。
玄関のチャイムがそれはもう激しく鳴らされている。凄まじい連打である。やっている人間など、見当付かない訳が無い。
ベッドからゆっくりと這い出し、だらだらと下に降りて、ちんたら鍵を開ける。ドアは勝手に開いた。
「おはよう! ござい! ます!」
笑顔の相田がそこにいた。
「……うちはペット禁止なんで、犬はいらないです」
ドアノブを引く。全力で阻止する相田。
「ちょ、ちょっと、待って閉めないで」
「うるせえなあ、俺はお前みたいな学生と違って平日もダラダラ寝てられるんだよ! だから寝かせろよ! 今何時だと思ってんだテメエ!」
「六時ちょっと過ぎた位ですよ、どうってこと無い時間ですよ! 朝だよ! 起きようよ!」
「貴様ッ何を企んでおるのじゃあッ」
「イイ話でゲスよヒェヘッヘッヘッヘ」
「おまわりさーん! この人でーす!」
一通り玄関で馬鹿をやる。ぜえぜえ言いながらドアの引き合いは終了する。
「まあとりあえず、中に入れて下さいよ。そしてメシを食わせて下さい」
「何じゃそりゃああテンメェェエ」
仕方無しに中へ招き入れると、相田は平気な顔をして椅子に座る。それはもう当たり前のように。
「ごっはーん! ごっはーん!」
「ホントお前何しに来たの」
網屋の言葉は、台拭きを固く絞って相田の顔面にぶつけてからの台詞である。
「痛い! そして汚い!」
「汚かねぇや新品じゃい!」
「チガウ! ココロ! ココロキタナイ! ヤサシサタリナイ!」
片言で叫びつつテーブルを拭く。いい加減に本題を話さないと時間ばかり食ってしまうので、相田は真面目な顔を無理矢理作った。
「ええとですね、車の件なんですよ」
「ん? 車?」
しゃもじで炊飯器の中身をわしわしと混ぜながら、網屋は生返事を返す。このタイミングで米が炊けていると言う事は、前日のうちに米を研いでいたのだなあ偉いなあ、などと思いつつ相田も続ける。
「こないだ、先輩の車に傷付けちゃったじゃないですか。つうか傷どころの話じゃないっすよね」
いつぞやのカーチェイス。追跡対象が車体ごとぶつかってきたおかげで、網屋の車は傷やらへこみやらが盛り沢山状態であった。それをそのままにする訳には行かない。
「その修理、俺のいる大学のサークルでやりますよ」
「んあ? どーいうこっちゃい」
台所から首だけを捻じ曲げて網屋が反応する。きっと営業職なら手ごたえを感じるところだ。
「モータースポーツ同好会っつーサークルなんですけど、廃車を安く買ってリペアしたり、自前の車をちょいといじったりしてるんですわ。ですんで、素人仕事ですけど修理とかできますよ。あそこまでの傷だと、リサイクル品でドアごと交換って形になっちゃいますが。費用は実費のみで大丈夫です」
「……でも奥様、お高いんでしょう? ってボケを差し挟めなかった」
「今ならやたら臭い車内アロマ芳香剤もつけてこのお値段」
「いらねぇーどう考えてもいらねぇー」
じゅう、と何かがフライパンで焼ける音。沸き立つ鍋にわかめと豆腐を放り込む姿も見て取れる。自炊のプロやね、と言おうとして、相田は自分で自分に突っ込む。自炊のプロて何だ。プロて。金取るんか。プロだけに。
思考が盛大に逸れ始めたので、意識を台所に向けないように努める。
「代車もありますよ。軽だけど」
「すごいな。もう商売できんじゃねぇか? つうか大学のサークルってそんな感じなの? もっとこう、ヤング! フレッシュ! 出会い! みたいなさぁ」
フライ返しを指揮棒のように振りながらの熱弁。
「出会いですよ出会い! 大学! キャンパス! 可愛いあの子と素敵な出会い!」
「ねぇなー……少なくとも、俺の周辺にはまるでねぇなー」
「若さに任せて合コンし放題! とかさー」
「ねぇなー……合コン行かないしなー……つーか呼ばれないし」
相田が首を捻っている合間に、網屋は次々とテーブルの上に皿を置き始めた。漬物、味海苔、卵に納豆、目玉焼きと味噌汁と、炊きたてご飯。
「とりあえず、今はこれが限界。あと十五分待てるなら高野豆腐もあるぞ」
「いや、十分です! ありがてえありがてえ! おこめおいしい!」
神仏を拝むが如く手を合わせて頭を下げる相田。何のかんの言っておきながら結局は甘やかしてくれる網屋に、とにかく頭が上がらない。
上がらないついでに甘えられるだけ甘えておく。何故なら、腹が減っているからだ。「いただきます」と手を合わせてから、光の速さで攻略を始めた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、車の件お世話になります。本当に実費だけでいいのか?」
網屋の言葉に黙って頷く。口の中に白米と豆腐とわかめが入っているからだ。
「落ち着いて食え。おかわりあるから」
「………………あい」
「よく噛んで食えよ」
「あい」
「おおきくなれよー」
「ぁあーい!」
これ以上大きくなっても仕方ないのだが、大きくなれと言われたら元気に返事をするのが男の子のお約束である。
身長は大きい方だ、と、思う。相田も網屋もだ。鴨居に頭をぶつけて涙目になったりもする。
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