02-7

「とまあ、こんな感じで、銃社会に足を踏み入れることになった訳ですよ」


 空になった丼の上に箸を置いて、網屋はごちそうさまと手を合わせた。


「ってオイ、なんでお前が泣いてんだよ」


 相田の目から涙がこぼれている。言われて初めて、相田は涙に気付いた。


「あれ、なんだろ、先輩大変だったんだなって思ったら、こう……うーわ、俺、気持ち悪ぃっすね」


 へらへら笑いながらパーカーの裾で乱暴に顔を拭うと、丼に残ったつゆを一気飲みする。


「めんつゆおかわり」

「何杯目だオイ。腹ガボガボになってんじゃねえのか」


 と言いつつ、網屋はめんつゆを目一杯注いでくれる。


「それにしても、すごいですねその人。佐嶋さん? でしたっけ。何者なんすか」

「表向きは、楽器の修理やってる人。俺を拾った時も、そっちの仕事で出かけた帰りだったんだってさ」

「へえぇー」

「実際は元傭兵のヒットマンでな。アメリカの方で賞金首狩ったりもしてた」

「すげえ、もうよく分かんない世界だ」

「いや、いい仕事だよ賞金稼ぎ。締め切り守るのと、殺すのNGってのきっちり守れば安定したお仕事です」


 まるでその辺のアルバイトを語るように物騒なことを言う。実際、網屋にとっては「日常の延長上にある仕事の話」なのだ。


「ま、その佐嶋さんとこで修行して、独り立ちしたのが十九だったっけかな二十だったっけかな、そのへん。後は色んなとこウロウロして、先生方に雇われて今に至る」

「……端折りましたね」

「網屋さん、修行するの巻はまた今度な。気が向いたら話してやるよ」


 言えない部分と言うやつもあるのだろう。根掘り葉掘り聞き出したい衝動もあったが、ぐっと堪える。それより今は、訳も分からず流れ出そうとする涙を何とかする方が先だ。

 ごまかす為に、相田はとりあえず喋ることにした。


「ああそうだ、昔、家に電話掛けてもらったじゃないですか。それって東京にいる頃?」

「そうなるな。俺がえっと、高三の時か。お前高二で」

「そうそう。あれねえ、ビックリしました。突然で」

「仕方ねぇだろ、自宅の電話番号しか分からなかったんだし。それに俺、行方不明ってことになってたしなあ」

「まあ、そりゃそうですけどー」


 大丈夫だ。もう笑って話せる。未だに癒え切らぬ傷が疼くが、それでも。


「あん時かなり煮詰まってましたからね、俺。ホント、助けてもらって感謝してます」

「おうおう感謝しろ崇めろ奉れ……ってあれ?」


 網屋は顎に手を当ててしばらく考えると、首をひねりながら相田に問うた。


「昨日さ、先生方に、助けられた云々って言ってたよな」

「言いましたね」

「それってもしかして」


 言葉がそこで切れてしまったので、相田は親切に続きを言ってやることにする。


「それが、さっきの電話の話っすよ」

「ええ? あれ? あれってそーいうカウントになる?」

「なりますよー超なりますよぉー。だって俺、あの電話あったから……引退、できたワケだし」


 うまいこと軽く話せたはずだったのに、網屋は突然黙って頭をなでてくる。しかも、かなり乱暴に。髪の毛をぐしゃぐしゃにされるのを甘んじて受ける自分がいて、相田は黙り込んだ。


 傷の上にそっと絆創膏を貼って、それでも止まらない血を眺めながら、触ることも出来ない。

 なのに、時折自分でその絆創膏を剥がしてしまうのだ。

 引っぺがして乾かせば、流れる血も止まるのか。傷口は癒えて、新しい肉が出来るのか。


「話、変わるんですけど」


 鼻の奥が痛くなるのを堪えて、無理に言葉を繰り出す。


「先輩はその、仇討ち、するんですか」

「ああ、それならもう終わった」


 ぎょっとして顔を見る。網屋の視線は空の丼にばかり向いていて、声はその中へと落ちてゆく。


「終わった、って」

「本当にしょぼい窃盗団だったよ。とりあえず押し入って物盗ればいいって考えてるような奴らだった」


 テーブルの端に置いてあった煙草を取ると、網屋は「いいか?」と小さく尋ねてきた。相田は黙って頷き、網屋は黙って一本取り出す。


「庭がデカかったから、金持ちの家だと思ったんだとさ。実際入ってみたらそうでもなくて、逆切れ起こしてあのザマだ」


 ちりちりと燃え、微かに赤熱する。


「全員ふんじばって、死ぬまで銃弾ぶち込んでやった」


 揺れながら昇ってゆき、空気に溶けて消える。


「それで、終わりだ。終わったんで、こっちに戻ってきたってわけだ」


 煙を全て吐き出してしまうと、網屋はその行方を見つめる。そうして、さほど吸ってはいない煙草を灰皿代わりの小さな小さな鍋へ捻じ込んだ。


「さて! 片付けるぞ」


 オカンの如く食器を流しに下げ、オカンの如く洗い物を始める網屋。その背中を見ながら、相田はどうしてもあの葬式の日を思い出してしまうのだ。



 網屋家の葬儀の日、相田は祖父と共に葬儀場にいた。自治会の班が網屋家と一緒だった相田家は、隣組として葬儀の手伝いに来ていたのであった。

 留守にしがちな両親に代わり、祖父と自分が自治会の用事をこなすのはいつものことだった。だがそれよりも、網屋が心配で顔を出したのが実情だ。

 事件直後はずっと警察の方へ出向していて顔を合わせる事はなかったし、網屋家も封鎖されて足を踏み入れる訳には行かなかった。そもそも、事件現場である敷地内へ入り込む勇気は無かったが。

 だから、せめて何か一声掛けようと考えていた。しかし、その考えがあまりにも浅はかであったことを、彼の姿を一目見ただけで思い知らされる結果となる。


 虚ろだった。何も見ず、何も聞かず、ただ網屋はそこに立っているだけだった。辛うじて生きているだけの存在として、陽炎のように佇んでいるだけだった。


 まだ十五歳だった相田は、言葉を全て失った。顔を見るまではあれこれと話しかける言葉が浮かんでいたのに、何もかもが真っ白に塗り潰されて消えた。


 ただ、網屋がそのままどこかへ消えてしまわぬよう、必死になって肩を掴んだ。遊びに行くと笑って迎えてくれるおじさんやおばさんや、一緒にゲームに付き合ってくれる要さんや、やたらちょっかいかけてくる環、彼らが突然消えてしまったように、彼もまた消えてしまうのではないか、と。



 一度、彼は姿を消し、再び現れた。掴んだ肩に、自分の熱は伝わったのか。


「先輩。また突然、いなくならないで下さいよ」

「……あいよ」


 一瞬、網屋の笑う顔が見えたような、そんな気がした。

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