01-5

 下らない会話を繰り広げているうちに、注文したものが次々と運ばれてきた。この店の特徴はその物量である。メインから小鉢に至るまでこれでもかと言うほどのボリュームで展開する上に、皿数も多い。セットものであるなら主菜に白米、小鉢に刺身に茶碗蒸しに香の物に麺類が付いてとどめのデザートと、小食の人間なら確実に残すであろう顔ぶれだ。

 そんなメニューが大きな盆の上に所狭しと並べられ、盆の大きさ故にテーブルは埋め尽くされる。

 そこでさらに板そば。ここの板そばの売りは「ボリューム満点の一・八人前」である。しかも、天ぷら付きの。


 その「板そば」を、網屋はそっと相田の前に差し出した。


「食べな」

「いいんですか」

「いいよ、食えるだろ」

「余裕です」


 相田の言葉に医師三人は目を剥いたが、彼ががっつくわけでも無く淡々と食べ進み、それでも通常では考えられない短時間で完食するのを目の当たりにしてしまうと、もう何も言えない。

 思わず目澤が「暖かいものも食べなさい」と味噌煮込みうどんを追加注文してしまい、これまた完食する。


「言ったじゃないですか、際限無く食うって」

「凄い……食いっぷりだね……」

「制限時間とかが無ければ、いつまでも食べられます」

「今日はまぁ、抑え気味だな相田にしちゃ」

「そ、そうなんだ……」


 こんな調子であったので、全員の飲み食いが終わるまで話題は全て「相田の食いっぷり」に集中し、本日起こった重要な出来事に触れたのは食後の熱いほうじ茶をすすった後だった。


 熱い茶で酒が抜けた、とのたまう目澤と塩野。網屋は結局、最後まで酒に口を付けなかった。ただ、食後に一度席を外し、外へ煙草を吸いに出た。

 いつの間に網屋は喫煙するようになっていたのだろう、と相田は考える。いつだったか、前に顔を合わせた時に煙草のにおいがして、それを問うたような気もする。よく覚えていないと言うことは、きっと答えをはぐらかされたのだろう。

 ただ、今はぼんやりと分かる。煙草を吸う理由が。


「さぁて、どうするか」


 と、中川路が随分と曖昧な問題提起をする。無言で交わされる三人の視線。軽い頷きの後、塩野が切り出す。


「あのね、相田君」

「はい」

「今日起こったこと、キレイさっぱり忘れることが出来るんだけど、どうしよっか」


 これまた唐突な提案に、相田は黙って首をかしげた。


「別に、変な薬とか使う訳じゃないよ? うーん、何て言うか、夢だったよーって事に出来るの。相田君の記憶の中で、だけど。すぱっと忘れて、経験としては無かったことに出来るんだよね」


 比喩でも冗談でもないのは、その場にいる全員の顔付きを見れば分かった。

 塩野の後に、中川路が言葉をつなぐ。


「相田君は、まあ、なし崩し的に巻き込まれてしまった訳だし、公序良俗的によろしい内容ではないからね。だって友達に言えないでしょう? カーチェイスやって、ドンパチに加担しました……なんて」

「網屋君のことも知らなかったようだしな。二人には、申し訳ないことをした」


 鋭い印象だと思っていた目澤が、随分としおれている。彼らが三人とも、相田を気遣って発言しているのも分かる。それでも、相田の答えはもう決まっていた。


「いや、大丈夫です。首突っ込んだの、俺だし」

「相田」


 網屋の諌める声に一度は頷く。だが、それまでだ。


「昔、先輩に助けてもらったことがあるんです。だから、それの恩返しをしたいってずっと考えてて。ちょうどいい機会だったんで問題無いです。勿論、口外はしません」


 物怖じせず真っ直ぐ返してくる視線に、三人は納得したらしい。それを悟り、網屋は苦虫を噛み潰したような顔のまま深くため息をついた。


「普通はドン引いたりするもんだろうが。分かってんのかお前」

「よく分かってないけど問題無いです」

「ありありだ! この馬鹿!」


 呻き、頭を掻きむしる。内ポケットの煙草に手を出しそうになってから、禁煙席であったことを思い出し、そして網屋はうなだれた。

 小さい声で「この馬鹿」と呟くのが聞こえたが、相田は聞かなかったことにした。




 自宅に戻ってきたのはもう夜中の時間帯で、ただでさえ人気の少ない周辺がますます静まり返っていた。車のドアを閉める音がやけに大きく響いた気がして、相田は少し身をすくめる。

 車の鍵を網屋に返して、ようやく今日が終わったのだと認識した。今日、この日。長いような短いような、奇妙な日。


「相田さ、明日の予定は?」


 街灯が照らす薄暗がりから、網屋の声。


「ああ、何も無いっすね」

「じゃあ、朝飯に引越し蕎麦茹でるから食うか」

「食います」

「あいよ。じゃ、また明日」


 明日がある。網屋との縁は切れてはいない。

 忘れることを拒否したのは、網屋と縁が切れてしまうような気がしたからだ。いつぞやの様に突然いなくなるような気が、したからだ。

 ここで掴まえておかなければならないと、何故だか分からないが、強迫観念にも似た気持ちが湧いたからだ。


 網屋は一度この土地を離れている。その理由を思うと、彼がここへ戻ってきたのは驚きだった。

 自分には想像も付かないような苦しみがあっただろう。それでも戻ってきたのは、苦しみをはるかに凌ぐ理由があるからなのか。それとも、苦しみが消えたからなのか。


 相田には分からない。ぼんやりと空想するしかない。材料は余りにも少なく、網屋は話そうとはしない。


「また、明日」


 半日後の約束を取り付けて、互いに部屋へと戻ってゆく。

 後はただ、泥のように眠るだけだ。

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