第5話

「冨樫さん時間だ」

 虎太郎が立ち上がって言うと、冨樫は時計を眺めて再び優しく微笑んだ。

「本当だ。愛美さん残念な事にお時間が来てしまいました」

「じ……時間って……」

 時計を見ると2時近くになっている。

「そんな……」

「この続きは今度にしましょう。その時じっくりと、貴女の疑問に答えられる事を楽しみにしていますよ」

「えっ?どういう意味ですか?」

「駄目だ時間だ。出よう」

 虎太郎は愛美を急かせる様に促した。

「えっ?どうして?」

「お母さんとの、約束の時間を過ぎてしまいます」

 冨樫も愛美をドアの方へと促した。

「お母さんとの時間だなんて、だってこんなに遅くなって……」

 愛美がドアの近くまで虎太郎に引っ張られる様に行くと

「じゃあ冨樫君行って来るよ」

 店に居たもう一人の男も立ち上がって、店の奥に居る冨樫に手を振った。




 愛美は、虎太郎ともう一人の店の男に挟まれる形で通りを歩いた。

「私は水原と申します」

「み……水原さんですか?」

「はい……。虎太郎君と一緒に、ずっと貴女を送る役目を果たしているのです」

「私を送る……って?役目って何ですか?」

 愛美は急にぞわぞわと、鳥肌が立つような寒気を覚えて、二人を交互に見つめた。

「何回も何回も私は役目を果たせず、ずっとあの子の所に行かれないでいるんです。今宵こそはどうしてもやり遂げねば……」

「やり遂げるって何をですか?」

「貴女をうちまで送り届ける事ですよ」

「な……何を言っているのか分かりません……」

 愛美は唇が震えて上手く言葉が発せられない。


「水原さん来たぞ!」

 虎太郎が後ろを振り向きざまに声を出した。

「えっ?」

「いいですか愛美さん、兎に角貴女は後ろを振り向かずに、ひたすら只ひたすらお家に向かって走るんです。いいですね。何が聞こえても只真っ直ぐ走り続けてください。そうする事が私達を救う事になるのだとそう自分に言い聞かせて、死にもの狂いで走り続けて家に無事辿り着くんですよ」

「えっ?」

「いいですか?疑問も好奇心も全て捨てて、私の言う事を聞くんです。そうでないと、今貴女が感じている恐怖は続きますよ」

「は……」

 愛美はこの不気味な感覚を指摘されて、水原の言葉に頷いた。


 背後から車が近づいて来たのを察した愛美は、すぐさま走り出そうとして大きな手に掴まれた。

「虎太郎さん?」

 愛美が、振り向きざまに名を呼ぼうとした刹那

「早く走りなさいと言っているだろう!」

 水原の怒声を聞いて愛美は大きな手を振り払おうとしてもがいたが、その手を振り払う事が出来ずに抱え込まれてしまった。

「水原さん走れない……」

「愛美を離せ!」

「なんだこいつ」

 虎太郎の声と、聞いた事の無い男の声が入り混じった。

「いてて……」

 虎太郎が飛びかかってくれたのか、男が声を出した時愛美を抱えた手を緩めた。瞬間愛美は水原の言う通り渾身の力を振り絞って、振り向く事もせずにひたすら走り続けた。


「おい待て!」

 背後で男の声が木霊したように感じたが、その男に虎太郎と水原が襲いかかっているように感じたが、男の最後の断末魔のような声を聞いたように感じたが、愛美は水原の言う通り只ひたすら、自分の持てる力を振り絞って走り続けた。

 あの男の大きな手の感触に、水原の言葉が真実なのだと確信を持って走り続けた。

 


 家が近づいて来た時、母は門の外に立って愛美を待っていた。

「早く……」

 愛美は走り疲れて、倒れ込むように母に抱き抱えられた。

 そのまま二人は転がり込むように家の中に入り、母はすぐさま鍵をかけた。

「大丈夫?」

「う……ん……どうしてママ?」

「さっきの冨樫さんって人が、愛美が狙われているから、男二人で送って行くけど、もしも乱闘になったら、あなただけ逃すから門の外で待ってて、すぐ家の中に入るようにって……。追って来てた?」

「たぶん大丈夫だと思うけど、わかんない」

「そうよね……わかんないわよね」

 母はそう言うと普段決して見せないが、気丈にもトイレや風呂場や台所の小窓から外の様子を伺き見た。

「大丈夫みたいね……」

 不思議と落ち着いた様子で言った。


 リビングの時計に目をやると、1時に近い時間になっていた。


 ……さっきは2時近くだったのになぜ?……


 ……1時間見間違えたのかもしれない……


 そう自分に言い聞かせても、背筋が寒く感じた。

 あれは一体何だったのだろう……。

 車内に引っ張り込まれそうになった?それとも……?

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