第4話

 喫茶店の中は、朝や夕方とは全く違う感じが漂っていた。


 照明が少しくらいのだろうか?


 いや、そんなはずはない。


 深夜の暗闇の中で、あんなにも煌々と輝いていたのに……。

 

 ならば何だろう?

 

 人の活気がないからだろうか?


 朝や夕方だって、客でいっぱい……という日ばかりではない。

 今夜のように二、三人しか居ない時だってある。

 

 だけど何故だろう?今夜はとても暗く感じるし、がらんと寂しさを感じる。

 


 愛美はとにかく男性に言われた通り、母に喫茶店にいる事と送ってくれると言っている事を伝えた。


「何言ってんの?其処の人だって信用できないでしょ?其処に居なさい、これから迎えに行くから……」

 母が凄い剣幕で捲し立てている。

「お母さん怒っておられますね?」

 男性は和らかい物言いで愛美に聞いた、するとスマホを取り上げるようにして

「もしもし、僕坂下の喫茶店のオーナーの冨樫と申しますが、時間も大変遅くなりましたので、僕が責任を持ってお嬢さんをお宅まで送らせて頂きますので、どうかご協力をお願いします」

 心地よい程の優しい声で母に伝えた。


「えっ?」


 冨樫の甘い声音に酔いしれていると、愛美は冨樫の笑顔と共にスマホを手に握らされて、ハッと我に返った。

「お母さん分かってくれましたよ」

「………」

「一杯珈琲を飲んだら、そこの虎太郎に送らせますので」

 

 虎太郎と呼ばれたがたいの良い男は、じっと愛美を凝視したので、愛美はたじろぐように目を逸らした。


「冨樫さんはこの喫茶店のオーナーさんですか?」

 昼間飲み慣れた珈琲を口に運びながら、以前から気になって仕方のなかった事を質問する。

「ええ……」

「ここって昔からやってますよね?」

「愛美さんは何時から記憶にありますか?」

「いつからって……」

 そう言いながら考える素振りを作ったが、実は気持ちは別の所に飛んだ。

 先ほどまで〝お嬢さん〟と呼んでいた冨樫が、今し方は〝愛美さん〟と名を呼んだからだ。


 ……どうして冨樫は愛美の名を知っているのか?……


 愛美はその違和感に気持ちが固まってしまったのだ。


「僕がどうして名前を知っているかと、怪訝に思っていますね」


 冨樫の甘い声は、愛美の疑心暗鬼に囚われた耳を通り抜けて、心地よい声音となって脳裏に入り込んで来た。


「今お母さんが言っていました」

「えっ?」

「愛美を宜しく……と」

「あっ……」

 愛美は少しはにかんだように言って目線を伏せた。


 今夜のこの店の雰囲気と、この細身で長身の男の醸し出す不思議な雰囲気が、愛美の警戒心を大きくさせている。

 それは冨樫に対してではなくて、今此処にいる客に対してでもなくて……。

 でも、それら全てと今宵とこの店と……そう今存在している全てものに対して、愛美は不気味さと普通で無い何かに対して、警戒心を増幅させているのだ。


「…………」


 珈琲は今迄にない程に美味しかった。


「僕の淹れる珈琲は格別な味がするでしょう?」

「ええ……今迄に飲んだ事もない程に美味しいです」

「これは、この森林の中に微かに湧く水を使っているんです」

「森林の中に湧き水があるんですか?」

「ええ……でも誰もそれを見つける事はできないんですよ。僕だけが探し得られるお水なんで……」

 冨樫はそう意味ありげに言うと、ちらりと時計に目を向けた。

「もう少し……ほんの少しお話しをしましょうか?そうそう、愛美さんの記憶に残るこの店は、何時からですか?」

「ああ……中学生の頃この脇を通っていました……その前はどうだったかしら?」

「中学生?愛美さんは今お幾つでしたっけ?」

「ああ……もう少ししたら十九歳になります」

「十九歳?ということは、七年程前ですか?」

「ああ……たぶん……」

「そうですか?じゃあその頃かもしれませんね?この店の記憶は人によって違うんです。ずっと以前から代々営まれていると勘違いされている方もいるし、つい二、三年前だという方もいる」

「本当は何時からなんですか?」

「それってそんなに必要な事でしょうか?」

「えっ?凄く気になってて……」

「店が何時からあるかという事ですか?それともこの珈琲が何時から美味しいという事?それとも……」

「それとも?」

 愛美が冨樫に食い入るように目を向けた時、冨樫はほくそ笑んで愛美を見つめていた。

「僕が此処に居る事ですか?」

 その瞳はとても優しいが、不気味に光って感じた。

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