第3話
「絶対に遅くなっちゃダメよ」
「分かってる」
「お父さんいないんだから……」
「分かってるってば!」
大学の友達と楽しくおしゃべりをして食事をして、気がつけば最終電車に近い時間になっていた。
朝出かける時あれ程釘を刺されていたのに……。
愛美は帰りの電車の中で、母がそれは怖い顔をして小言を長々と言うであろう、その状況を想像してため息を吐いた。
大学を終えてからのアルバイトは、遅くなるのが当たり前だ。
心配性の父は、駅の反対側に有るバイト先まで、遅くなると車で迎えに来る程の人で、それは塾で遅くなっても、友達と遊んで遅くなっても、変わる事なく小言一つ言わずにしてくれていた事だ。
だが今夜は、父は仕事で大阪に行っているので、流石に迎えに来る事ができない。
母は父にとっての掌中の珠である愛美に何かあってはと、朝から念を押す……というよりも、釘をさすように言っていたのに、楽しさに流された愛美は、親の心配など意に介す事すら忘れて、母の心配通り終電近くになってしまった。
駅に着いて愛美は初めて、ずっとLINEや電話を無視し続けていた母へ電話をかけた。
「あんた。何時だと思ってんの?これから迎えに行くから駅で待ってなさい」
「大丈夫だよ。意外と人通りあるから」
「何言ってんの?うちの近くまでそう人は通ってないでしょ?」
「とにかくいいから。ママの運転の方が怖いよ」
「愛美……ま……」
愛美は直ぐにスマホを切って歩き始めた。
母が幾度か連絡を入れて来たが無視をした。
「そうだいいチャンスじゃない?」
愛美は以前からずっと目論んでいた事を、決行に移そうと決めていた。
それとは……。
ずっと気になっていた、あの喫茶店がこの時間でもやっているかを確認する事だ。
父に迎えに来て貰うと、残念ながら〝あそこ〟の前は通らない。
幾度か父にねだって近くを通って帰った事があったが、残念な事にその日は開いているようではなかった。
だが、開いていないという確信もないような……そんな不確かな状況しかわからないままだった。
だから今夜は〝あそこ〟の前を通って帰ろう。
学校に行く時や、帰りに覗き見たように、今夜も店の中を覗くようにして……。
……そうだ、あそこが開いていれば、きっとうちまでの帰り道も怖くない……。
愛美はそう自分にいいきかせた。
駅から住宅街を歩いて帰る人は、思ったより多かった。
朝や夕方の賑わいはなかったが、心細さは感じない。感じない……のは、或る通りまでだった。
一人また一人と脇道に消えて行った。
そして人が減る毎に周りの明るさも消えて行く。
開いているお店が無くなって行って、街灯の明かりと通りを行き交う車の明かりだけになっていく。
「厭だ……この辺って意外と暗いんだ……」
ちょっと心細くなり始めた頃下り坂になって行く。
「………」
愛美はその先に、森林の傍にあって一層暗闇と化した一角に、煌々と照明の明かりを放つあの喫茶店を見つめた。
「やってるんだ……」
街灯が明かりを灯しているといえども、やはり暗く寂しい住宅街にある、深い森林の闇の中に映し出される、その照明の明るさは、光輝くオアシスのように愛美には見えた。
「お嬢さんこんなに遅くご帰宅ですか?」
坂を下って来ると店の前で細身の長身の男性が、喫茶店のボードを抱えて言った。
「あっ?もう閉める時間なんですか?」
「いえまだまだですよ」
男性はにこやかに微笑むと
「よかったら一杯いかがです?美味しいのをお淹れしますよ」
優しく甘い声音で言った。
「え……でも……」
「そう言わずにどうぞ中に……」
愛美は男性の爽やかな笑顔に促されて、中に引き込まれて行った。
「お母さんが心配されているでしょう」
「えっ?」
「お送りしますから心配いらないと、連絡を入れてください」
「そんな……」
「早くお母さんに連絡を……。コタ送って行けるだろ?」
男性が声をかけると店の中に座っていた、がたいの良い男が此方を見た。
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