第114話 救出劇

 夕飯が終わった後、三人は裏通りに集まって情報の交換をした。

 もう暗いのにまだシガーラが鳴いていた。


「他の奉公人の話でも奴隷小屋の中だという話だ。奴隷小屋に入れられるのを見た気がする、という者もいた」

 ペテロは言った。

「私も二人が奴隷小屋に入れられたという話を聞きました。間違いないと思います」

 パウロも言った。

「分かった。私は今夜、救出を行う」

 ヨハネは言い切った。

「無茶だ。早すぎる」

「もうですか。少し様子を見てもいいのでないですか」

 二人は叫ぶように言った。


「カピタンは何をするにしても迅速確実の人物だ。明日の朝、売られてしまってもおかしくない。今夜、決行する。『女奴隷の売り先が決まった』と見張りの奉公人に告げて馬車で連れて行く。そのまま私はここへは帰らない。そのまま二人を連れて悪所のイゴールの館へ行く。二人ともこの計画に関しては何一つ知らないふりをしてくれ」

 パウロは必死にすがりついた。

「イゴールの館まで僕も行きますよ」


「だめだ。しくじったらお前も捕まってしまう」

 ヨハネはねつけて、続けた。

「これはペテロとパウロの身を守るための手でもあるんだ。二人とも今まで世話になったな。特にペテロ。お前とは十年近い付き合いだ。名残惜しい」

 ヨハネとペテロは、しばらくお互いの顔を見ていたが、ペテロは目を下に落とした。

「ヨハネ。せめてイゴールの館までは手伝わせてくれ。金も必要だろう」

 ペテロは言った。

「いいから、二人とも自分の部屋に帰ってくれ。明日の朝には、私はもういない。もし私が捕まったら、二人は今まで通り暮らしてくれ」

 そう言うと、ヨハネは笑った。

 その笑顔をペテロとパウロは沈痛な面持ちで見ていた。笑い終えると、二人を裏通りに置いたまま、ヨハネは暗がりの中に走り去った。



 ヨハネは旧工房の近くにあるピーノの森でシガーラの鳴き声に包まれながら考えた。この作戦は夜が遅くなればなるほどやりにくくなる、今ならまだ人目と夕日があり、通りには馬車も走っている、それに紛れ込めば脱出はうまくいくだろう、暗闇の中での脱出はかえってうまくいかないだろう、そう考えた。


 ヨハネは馬車小屋に走ると、後ろに観音扉かんのんとびらの付いている縦長の箱馬車に馬を繋いだ。いつものような老馬ではなく、力の強い若い馬だ。その様子を近くの奉公人たちは見ていたが、何の疑問も持たずに通り過ぎて行った。ヨハネは御者台に上り、馬に鞭打つと女奴隷の小屋の前まで走らせた。小屋の扉の前では二人の奉公人が見張りに立っていた。二人とも小さな松明を持っていた。


「頭! 何事でしょう」

 御者台ぎょしゃだいの上のヨハネを見上げながら尋ねた。ここが勝負所だった。権高けんだかに、当然のように振舞わなければならない。

「カピタンのご命令だ。例の女奴隷を今から引き渡しに行く。代金はもう受領済みだ」

 二人の見張りは目を左右に動かしていたが、小屋のかんぬきを抜き、重い扉を外側に開けた。

「いま連れて参ります」

 一人がそう言って中に入ろうとした。

「馬鹿! 松明を持ったまま、寝藁ねわらの敷いてある小屋に入るやつがあるか。もういい。私が連れて来る」


 ヨハネはそう言うと小屋の中に入った。中は寝藁ねわらが隅へ寄せられていたが、奥は薄暗くて何も見えなかった。ヨハネは押し殺した声で「メグ、マリア」と声をかけた。寝藁ねわらの中に何か白いものが見えた。ヨハネはそこに駆け寄った。それは人の足だった。

「おい」

 ヨハネはわざと乱暴な言葉でその人間に声をかけた。暗闇の中でそれは体を起こした。髪を振り乱してヨハネをにらみ付けたのは、涙の跡を両目の下に付けたメグだった。メグはいつもの女中服を着ていなかった。奴隷用の貫頭衣かんとういを着ていた。ヨハネはメグの片腕を取った。

「いやっ、離して。娼館しょうかんなんかに行かないわよ。絶対に行かない」

 メグは叫んだ。

「メグ、私だ。ヨハネだ。助けに来た。そのまま嫌がるふりを続けてくれ。マリアはどこにいるんだ」

 ヨハネはメグの耳元に口を近づけて囁いた。


 メグは息を飲んだ。

「マリアは、あの娘は売られて行っちゃった……」

 そう言ってすすり泣きを始めた。

「メグ、しっかりしてくれ。細かい事情は後で話してくれ。いま、私は君を売りに行くふりをして君を助けようとしている。その芝居に君も付き合ってくれ」

 ヨハネはそう言うとわざと乱暴にメグの腕を引っ張った。

「さあ来い。夜に出る船に乗るんだ」

 そう言ってヨハネはメグを引きずった。

「いや、離して」

 メグは大声叫んだ。

 外から見張りの奉公人二人が覗き込んで言った。

「頭、お手伝いしましょうか。女の奴隷なんてに一発で大人しくなりますよ」

「大丈夫だ。何より急ぎだ。夜の船に間に合わせなければならない」

 そう言うとヨハネは馬車後ろの扉を開け、メグを中に投げ込んだ。そして外から扉を閉めて鍵を掛けた。そして鍵に付いている鎖を首に架け、自分は御者台に飛び乗った。

「後片付けをしておいてくれ。それから火の始末には気を付けろよ」

 ヨハネは高圧的に言った。

 見張りの二人は不審そうにお互いを見ていたが、「お気を付けて」と言うと小屋の扉を閉め、閂を通した。


 ヨハネは馬車を操り、大通りまで出た。まだまばらに人通りがあり、馬車も走っていた。この中で、周りから不審に思われないよう、自然に馬車を走らせなければならない。すでに市参事会しさんじかいの見回り人たちが松明を持って歩き始めていた。彼らも馬車を止められ、中を調べられるような事態は避けなければならなかった。

 ヨハネは脇の下に汗をかいた。


 彼はすでに重罪人だった。馬車と馬を無断で持ち出し乗り回している、これは窃盗だった。メグも今は財産扱いされる奴隷だったから、これを馬車の乗せているのも、窃盗だった。そして何より、彼は奉公契約期間中でありながら、商会を抜けた。これはヨハネが奴隷になった事を意味していた。

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