第113話 情報収集

 三人は歩いて商会に帰った。もう夕暮れ時だった。エル・デルタの街には、市参事会の見回り人たちが松明を持って歩き始めていた。街に建つ煉瓦造れんがづくりや木造りの建物の鎧戸からは、夕餉の明りが漏れ始めていた。


 通りを歩きながら、ヨハネは涙をこぼした。


 この街とはお別れだった。年季奉公を途中で破る者が街に戻れるはずがなかった。三人は商会裏から、奉公人用出入り口を通り、一階の台所に入った。すでに他の奉公人たちが大きな声で雑談をしながら食事をしていた。大きな鍋がぐつぐつと煮え、その横にはヨハネがこの商会に来た時と同じように、一人の老婆が座っていた。

 初夏にもかかわらず、薄茶色の分厚い外套で体を隠し、縞模様しまもようの布を頭に巻き付けていた。その姿は五年間変わらない。ただ、ヨハネの提案で食事の質は格段に良くなっていた。今日は芋のスープに、豚肉の団子だった。三人は散らばって席に着くと、食事を採りながらメグとマリアの話を他の奉公人たちに聞いた。


 ヨハネは自分の左右の席に着いている男奉公人に尋ねた。


「さあねえ、奴隷の売り先なんて俺みたいな下っ端が知るこっちゃねえが、居場所は女用の奴隷小屋だろう。他に置くとこなんかないしな」

 ヨハネの右隣で食事をしていた前歯のない男はそう言った。


「あの二人なら奴隷小屋でしょうな。日に二回、鍋の婆が食いもんを持って行きますから。それがどうかしたんですかい」

 左隣の席に座っている、顔にアザのある男は聞き返してきた。


「いや、工房の準備は私がしたから気になってたんだ」

 そう言ってヨハネは誤魔化した。

「あの娘っ子たちならよい値が付きますよ。あの金髪はよだれが出るほどいい女だったから、上級品扱いでも売れそうだし、浅黒いのはいい体してたしね。それとも頭、あのどちらかにご執心でしたかい?」

 その男は下卑た笑い顔を見せながらヨハネに言った。


 ヨハネは唇を震わせながら無理に笑顔を作り、怒りを抑えてその場を取り繕った。


 夕食が終わり、他の奉公人たちがいなくなっても、ヨハネは、しばらく食堂の椅子に座ったまま両手を合わせて祈るような姿で考え続けた。その姿は、彼の周囲を澄んだ青い空間に変えてしまっていた。その異様な様子は、彼が何事かをなそうとしていると雄弁に語っていた。


 その様子を鍋の横の老婆はじっと見ていた。そしてゆっくりと立ち上がると、薄茶色の外套を引きずり、背後に炉の光を浴ながら、ヨハネの元へ歩いてきた。ヨハネは座ったまま、泣くような目で老婆を見上げた。


「あんた。何か大きな決心をしたね。若者が目も体も動かさず、ジッとものを考えている時はたいていそうさね。この婆は、ここのまかないをして何十年、年頃の奉公人を何百人も見てきた。分かってくることもあるさね」


 そう言うと老婆は外套の中から一足の靴を出した。それは女物の短い革靴だった。ヨハネはそれを以前に見た事があった。


「あの二人の娘が身ぐるみ剥がれたとき、この婆は火事場泥棒みたいにこの靴を頂戴したのさ。自分で履けるわけでもないのにね。人は必要のない物でも欲しがっちまうもんさね。でもね、あんたが悩んでる顔を見たときに、この婆はその顔が本当に美しいと思ったんだわ。人間の思い詰めた顔は本当に美しんだわ。そのとき思ったんだわ。人が人生の最後にやらなきゃならないことをね」

 鍋の婆はそう言った。


「何の言ってるんですか。私は明日の人足仕事について考えていただけですよ」

 そう言いながらヨハネの心臓は早鐘はやがねのように鳴った。婆は、ひゃっ、ひゃっ、と笑うと、からかうように言った。

「それでいい。そのくらいじゃなきゃうまくゆかないよ」

 老婆は口をもごもごと動かしながら、台所すみの寝床のほうへ行ってしまった。ヨハネはその靴の両方を靴ひもで結びつけると、腰にくくりつけた。

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