第45話 エリアールの人々

 ヨハネの小屋にはたくさんの人々が訪れた。

 借り畑の地主、西瓜畑すいかばたけの持ち主、ヨハネを取り上げた産婆、黒いマントを羽織った宣教師、その他、多くのの人々が狭い小屋に満ちた。何人かの女たちがヨハネの母の周りに膝を突いて、体を調べた。


「こんなに腹が膨れてしまって……」

「誰も気付かなかったのかね」

「辛かったろうに」

「この病は治らないよ」

「水腫脹満、陶器のかけら」


 ヨハネの母は白い蕃服ばんぷくを着せられ、両膝を抱えるように体を折り曲げられた。男たちが大きな桶を持ってきて、彼女はその中に入れられた。


「あの子、どうすんの?」

「まだ十才だろ」

「おまえんとこ、面倒見てやれや」

「そんな余裕ありゃしないよ」

 押し殺した囁き声が聞こえる中、ヨハネは小屋の入口の横に背を持たれていた。赤黒い顔で空を凝視ていた。空には嵐で巻き上げられた砂が、朝日に照らされてキラキラと光っていた。

 

 エリアールの人々は彼の小屋を訪れて、ヨハネに優しい言葉と、具体的な助けを与えた。


 地主のおじさんは目に涙をためて言った。

「借り畑はお前さんにやるよ。小作料は払わなくていい。ヨハネ。大変だったね。腹が減った時はうちの台所に来なさい。何か食う物くらいはあるからね」


 ヨハネを取り上げた産婆は、頭が地面に付くほど体を曲げて、涙を流しながら言った。

「まずまず、わたしがあんな、川淵かわっぷちをおまえのおっかさんに教えたのがいけなかったんだ。川神様を怒らしてしまった。この愚かなバアさんを許しておくれ。腹が減ったらうちへおいで。着物がすり減ったらうちにおいで。繕ってやるからなあ」


 黒い服に、黒いマントを羽織った宣教師の男は、首に掛けた木製の十字架を手でいじりながらヨハネを優しい目で見下ろして言った。

「ヨハネよ。安息日の前日には必ず教会に来なさい。私たちがおまえに字と算術を教えよう」


 ヨハネの小屋のすぐ側に西瓜畑すいかばたけを持つ老人は言った。

「ヨハネや。お前さんは俺の畑の西瓜をいくらでも食っていいぞ。いやいや、一日一個にならいくらでも食っていいぞ。夏場はあれがうまいでな」


 ヨハネの服に継当てをしてくれた娘は言った。

「ヨハネちゃん。着物が合わなくなったら私の所においで。あなたの体にピッタリの服を私が縫ったげる」


 ペテロは一番最後にやって来た。彼は下を向いて前髪で顔を隠しながら、右を向いてため息を付いたり、左を向いて鼻をほじくったりしていたが、小さな木の箱をペテロの胸に押し付けた。ヨハネがその箱を開けると、その中には黒く輝く釣り針が五つも入っていた。ヨハネが顔を上げると、ペテロが金髪を振り乱しながら走り去る姿が見えた。


 ヨハネは皆に優しくされても、何の感興も起きなかった。彼は心臓を無くしてしまったかのように無感動で、半分口を開けて空を眺め続けた。

 ヨハネの母は、彼女が鍬を入れ続けた借り畑の端に埋められた。ワクワクの伝統どおり、大きな桶に手足をたたんで入れられた。それには遺品が入れられた。


 彼女が遺したものは、いつも首から下げていた小さなお守り袋だけだった。その中には短い赤毛の束が入っていた。


 そして彼女は頭が下になるよう、大桶の蓋を下にして埋められた。

『土から生まれ、土に還る』というワクワクの言い伝えに習った埋葬法だった。男たちは砂がちの土に苦労して大穴を掘った。その中に大桶を入れて、みなが少しずつ土を掛けた。最後の土はヨハネが掛けた。そしてヨハネが河原から拾ってきた石を墓石として置いた。

 ヨハネはその墓石の前にひざまづくと、声を立てずに、涙と、鼻水と、よだれを垂らして泣いた。

 そこにもエリアールの砂嵐は無常に振りかかった。

 ヨハネが置いた墓石と、彼の母が耕し続けた畑はすでに砂に埋もれ始めていた。

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