第12話 すすり泣き

 ヨハネはその貧民街のある山を右手に見ながら馬車と並んで走った。


 ヨハネが走っている大通りからは貧民街のある山が見えるだけで、そのものは山影になって見えなかった。あそこにはエル・デルタからはじき出された者たちがたくさん暮らしているはずだった。

 あそこにはワクワクがたくさん住んでいるのだろうか、とヨハネは走りながら思った。彼はワクワクの奴隷が詰め込まれた馬車に左手を置きながら、中の様子を感じ取ろうとした。馬車の空気口からは詰め込まれた女奴隷たちのすすり泣き声やうめき声が聞こえてくるような気がした。あの手ぬぐいをやった娘はどうしているだろうか、こんな所に押し込められたら息ができなくなってしまうのではないか、そんな心配をしながらヨハネは走り続けた。やがてアギラ商会の建物が見えてきた。馬車隊は商会の玄関前を通り過ぎると、右折して裏通りに入った。そしてもう一度右折してさらに狭い道に入ると左手に見えてくるのが奴隷小屋だった。奴隷小屋は女奴隷用と男奴隷用に分かれていた。後は女奴隷たちを女用の奴隷小屋に移す作業が残っているだけだった。


 ヨハネはあの奴隷女とまた話したいと思った。顔も見たいと思った。女奴隷たちを馬車から降ろして奴隷小屋まで移す作業を手伝えば、またあの娘と口をきけるかもしれない、そう思ったヨハネは奴隷小屋の扉を開ける作業を手伝おうとした。


 奉公人頭がと顎をしゃくってヨハネを呼んだ。

「おい。ヨハネ。こっち来い」

 ヨハネは内心で悪態をつきながら奉公人頭の前まで走ると神妙に返事をした。

「頭。御用でしょうか」

 奉公人頭は片頬で笑いながら命じた。

「お前、これから市参事会の街道清掃と下水清掃に行ってこい」

 ヨハネは慌てて言った。

「しかし、僕は奴隷の積み下ろしを手伝おうと思います」

「『でも」やら『しかし』やら言うんじゃねえ。お前は自分の立場ってものがわかってねえな。頭に言われたら奉公人の分際は『はい承知しました』と答えりゃいいんだ。口答えするんじゃねえ。おめえ、まだわかってねえのか! また拳骨一発喰らわすぞ。そうしなきゃ分かんねえっていうんならよう」

 奉公人頭はガラガラ声で怒鳴り散らした。

「今日はうちの商会から人足を一人出す約束になってんだ。早く行きやがれ。さもないと今度はお前の顎に一発喰らわすぞ。」

 奉公人頭は右手を握りしめて拳骨を飛ばす仕草をした。ヨハネは目を大きく見開いたまま、ジッと奉公人頭の目をしばらく見ていた。

「なんだ。なんか文句あるのか。お前は奉公人の分際だろうが!」

 奉公人頭は動揺したように言った。


 しばらく二人はにらみあっていたが、ヨハネは「承りました」と答えて大通りに向かって走り出した。商会から市参事会の事務所は遠かった。彼は急がねばならなかった。ヨハネが走りながら振り返ると真っ黒な奴隷用馬車からワクワクの女奴隷たちが奴隷小屋に移されているのが見えたが、その中にあの娘を見つけられなかった。

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