第5話 強欲の豚
奴隷市場の支配人が
四人の男女はその部屋に集まり、革張りの椅子に深々と座りながら、アギラ商会の屈強の護衛五人によって三十三個の木の箱が運び込まれるのをうんざりした顔で眺めていた。一つの箱に一千万ジェン分の紙幣が入っていた。これから四人がかりでこれをすべて数えなければならない。しかも十万ジェン紙幣は子供の背中ほどの大きさがある上に分厚くて重かった。ジェンの現在流通している紙幣は十万ジェン札だけだから、三千三百枚の紙幣を数えなければならない。
この国の商慣習では、現金で決済をする際、売買双方から同じ人数の証人を出し全員が紙幣の数をお互いの目の前で数え、枚数に間違いがないかを確認し、契約書に全員の署名を書いて契約が成立となる。買い手側からは、隻腕のトマスとその部下の勘定係、市場側からは先ほどの
「まことに、この国の紙幣の価値が落ちること、石が坂道を転げ落ちるが如しでございますわね。私がこの市場で働きだした頃には十万ジェン札と申しましたら、それはもう紙で出来た黄金のような扱いで、手で触る時などはきれいな真水でしっかりと手を洗ったものでございますよ」
「ところが今となっては十万ジェン札を触ってからしっかり手を洗うような次第でございまして、まことに時の移ろうこと、駿馬の駆けるごとしでございますよ」
彼女は自分で言って自分で笑った。そしてまた、トマスの左袖を一瞥した。
トマスはその視線にうんざりしながら仕返しをするように言った。
「それはいったい何年前の話なんだね?」
彼女も言い返した。
「ほほ、十年も前のことでございましょうか。イヤでございますよ。女をうまく扱おうと思ったら、年の話なんかさせるものじゃございません。上は女王陛下から下はワクワクの女奴隷までみな同じでございます。そのような意地悪を仰るようでは女奴隷の扱いも苦手でいらっしゃるのではございませんか」
トマスは弾けるようにに笑った。
「はは! 言うねえ。気に入ったよ。あれだけの競売を仕切ってるんだ。大したものだよ。この仕事は長いのかい?」
彼女は少し胸を張って言った。
「十八の年にここで働き始めて下働きを五年、競売の仕切りを始めて七年目でございますわ」
「ほう。もう名手じゃないか。でもあの調子でしゃべり通しじゃ喉も枯れるだろう。今度いい喉の薬を届けさせよう。その良い声をこれからも聞かせておくれ」
「まあ、だから私は言ったでしょ。こちらの仲買人さんは一流の紳士だって。紳士かどうかってのは女の扱いでわかるんだよ。あたしはこの人を一目見た時からパッとそれがわかったんだから」
彼女は両の手で両の頬を擦りながら言った。
「それよりも、ここの支配人はどうしたのかね。紙幣の勘定ほど大事な仕事はなかろうに、支配人が出てこないなんておかしな話じゃないか」
トマスが尋ねると、今まで静かに座っていた市場の計理官が口を開いた。
「ジェン紙幣を数えると聞いたとたん逃げ出してしまいたしたよ。もうご高齢でいらっしゃいますのでね。今ではここの実務は私とこの
そして計理官の男は競売の女の全身を足先から頭までじっとりと眺めた。トマスは二人の椅子の不自然な距離の近さに気付いた。
「まあ、私は契約が法的に有効ならなんでもいい。それよりも早く数えてしまおうか」
トマスは自分の部下の勘定係に言った。その男は「もう少しです」と部屋の中央にどっしりと置かれた大きな机の上に、細い縄で十字に縛られたジェン紙幣をドサドサと積み上げた。まるで茶色の煉瓦が机の上に放り投げられているようだった。勘定係は慣れない重労働に息は切らせながら独り事を言った。
「この紙幣が、価値を持つのはいつまでやら」
トマスは答えた。
「そのうち、金として使うより煉瓦として使うほうがましな時代がやってくるかもしれないぞ。なんせここ一年で三割も価値が下がっているんだからな。まさに紙屑の煉瓦だ」
そこにいた四人はクスクスと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます