第9話 かかる虹

 ルドルフが離宮へと戻ると、門の前に、ジョゼフィーヌが待っていた。

 他の者にきこえないように、ルドルフが小さな声をかける。

「ただ今戻りました」

 ジョゼフィーヌがそっと呟き返す。

「大儀である」

「いや、しかし疲れました。子供の身体に槍さばきはつらい」

 そう言って、ルドルフは門にもたれかかり、しゃがみこむ。

 ジョゼフィーヌは、ドレスの裾を抱えてルドルフの隣へと座る。

「アレクセイ殿下は、落ち着いて今は部屋で眠っておられます」

「感謝します」

 二人は並んで、燃え盛る宮殿を眺めていた。半球型の屋根が、轟音をたてて崩落していく。

「なあ、久太くたよ。我に魔術をおしえてはくれまいか。此度こたびで思った。いくら女人といえど、自分の身は自分で守れるぐらいの力はほしい」

「殿のためなら、喜んで」

 ジョゼフィーヌは疲労から頭を伏せたルドルフの首を見た。

 髪が短くなって剥き出しになったうなじへ、ジョゼフィーヌは指をツーっと這わせる。

「うひゃ、あ、何をなさるのです」

「なぜか、さわりたくなった」

「戯れがすぎます」

 首の裏を撫で、笑い声を漏らしながら、ルドルフは前を向く。

 ようやく駆け付けた魔術師部隊によって、王宮への放水が始まったようだ。

 大量に振る水滴に、恒星ミュリツァグロリアの光が差す。たちまち浮かび上がる虹に、二人はしばし見とれていた。

 ルドルフが、ふと思い出す。

「あ、しまった。ナタリア妃を忘れてました。手当てしとかないと」


     ※


 日が沈み、アジャール国の王宮の延焼を食い止める作業の指揮を終えた若き宰相、ロクセンシェルナが自らの館へ戻る。

 ロクセンシェルナは纏っていた青いコートと被っていた銀色の宰相の冠を迎えの侍女へ渡すと、ぺったりと整えられていた浅葱色の髪をがしがしと乱れさせ、溜息をつく。

 両腕をぐっと頭上に伸ばし、一日張りつめさせた身体を緩めさせる。

 そして寝室に入り休もうとした。

 しかし、褐色肌に銀髪を垂らした、自分と同じ年頃の若い男がソファーに座って待っていたことに気付いた。

「国王陛下ともあろう方が不法侵入ですか?いただけませんね。

 それはそれとして。一年間のおつとめお疲れ様でした」

「生産したそばから搾り取られる、下々の民の気持ちがよくわかった」

「思ったよりお元気そうでなによりです」

「ロクセンシェルナ。の不在の間、国を支えていてくれたことに礼を言うぞ・・・まあ、潰しといてくれてもよかったが」

「はあ・・・。陛下、王宮は燃やさないでいただきたかったですね。再建もタダではないのですから」

「むしろ、王宮しか燃やさなかったことを褒めたたえよ!なにしろ、“二人”の妃と一人のちっこいのに同時に背かれたのだ。余はかなしい。世界滅びろ、人類みんな死ね」

「その結果、自分の服まで燃やしてしまって今、私の服をかわりに着ていると」

「この服、なかなか着心地がよい。くれ」

「あげません」

 ロクセンシェルナは眉根をひそめる。そして、溜息をついて続けた。

「・・・陛下のおられない間、ミュリツァ国の勢力がかなり入り込みましてね。それの排除を急いでいただきたいです」

「余はいそがしい」

「メアリ妃殿下とお戯れになる時間はあるのにでございますか」

「お前も覗きか?このむっつりスケベめ」

「“も”ってなんですか?どなたに?ともかく、お頼みいたしましたよ。詳しくはまた明日に」

 そう言うと、ロクセンシェルナはそそくさと夜着に着替えだした。

「おいおい、もう寝てしまうのか」

「ええ、どこかの国王が仕事を沢山作ってくださるのでね。私は早く休みたいのです」

「冷たいぞ。人がみな、お前のように冷たかったら世界が凍り付いてしまう」

「人がみな、陛下のように短気であれば世界は燃え尽きてしまいますな」

 そう言い残すと、たちまち寝息を立て始めたロクセンシェルナを見て、シャマール王は立ち上がる。

「仕方ない奴だな。では余も寝るとするか」

 シャマール王は窓を開くと、夜の闇へと飛び去って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る