第6話 一欠片の情

 朝になって昇ってきた、恒星ミュリツァグロリアの光が空を明るくしていく。

 アジャール国の王都、その中央に建てられている王宮の傍らにある庭園。

 ルドルフは、そこに植えられている木に登り、枝に腰かけて緑の葉が茂る様子を眺めていた。

 前世で慣れ親しんだ、クスノキの木に非常に良く似たこの木の元にいるときだけは、久太郎くたろうという一人の武士に戻り、殿の治める故郷に帰って来れたような気がする。

 この星に転生して十年。異世界に適応することに必死だったルドルフにとって、一番に安らげる場所だ。

「あにうえ~、あにうえ~」

 幼い呼び声にルドルフが下を向くと、金髪に白い肌の少年が見上げていた。

 ルドルフの弟、アジャール国第二王子アレクセイだ。

「なんだ、アレクセイ」

「朝ごはん、きてなかったでしょう?ちゃんと食べないとですよ」

 そう言って、アレクセイはパンの入った籠をルドルフの方へ差し出す。

「そうか、お前こっちに来ちゃったのか」

 ぼそりと呟くと、ルドルフは木の下へと降り、アレクセイの手から籠を受け取った。

「持ってきてくれたんだな、ありがとう」

 ルドルフはアレクセイの頭をぽんぽんと軽く叩いて礼を言う。

 アレクセイがルドルフを見て笑い声をあげる。

「ねえ、自分で髪切ったの?ふふっ、長さバラバラだ」

「ああ、急に切りたくなったからな」

「ちゃんと人に切り直してもらったほうがいいよ、じゃあね」

 手を振って王宮へ帰ろうとするアレクセイを、ルドルフが引き止める。

「おい、もう戻るのか?稽古始まるまで時間あるだろ、ちょっと座って行けよ。一人で食うの、さみしいだろうが」

「自分が朝ごはん来なかったくせに。いいよ」

 木の根元に生える草の上に腰を下ろしたルドルフは、パンを齧りながら王宮の方をちらりと見た。

 朝日が出てしばらくたつというのに、何も起こっている様子はない・・・術式が失敗したのか・・・?

 アレクセイが、ルドルフの頭を後ろから眺めている。

「ねえ、これほんと面白いことになってるよ。何使って切ったの?」

「短剣」

「せめて、ハサミで切ろうよ」

 そう言ってアレクセイがルドルフの髪の先をつまみ上げた瞬間。

 けたたましい破裂音が王宮の方面から聞こえた。

 下部が球形、上部が湾曲して尖った、仏の持つ如意宝珠のような形をした王宮の屋根から、炎と煙が上がっている。

 加えて、燃え上がる王宮の中を、バチバチという音と共に、稲妻のような光が駆け抜けていく。

 王宮の惨状を目にしたアレクセイの手足が震え出し、しゃがみこむ。

「わたし、ちがうわ。ちがう・・・やめていたいいたい」

 アレクセイは、はあ、はあと息苦しそうに胸を押さえる。

「おい、気を確かに持て。大丈夫だ。ここはアジャールだ。お前は今、アレクセイだ」

 ルドルフはアレクセイへ気遣いの声をかけるが、アレクセイはぼろぼろと涙を流し出す。呼吸も速まるばかりだ。

 ルドルフは、アレクセイの背中を撫でながら、王宮の方を注視する。想定していたより炎の周りが早そうだ。

 アレクセイを横に抱き、ルドルフは王宮の反対側、庭園を抜けた先に走り出す。

「やめていたいひたい・・・」

 泣きじゃくるアレクセイに、ルドルフは声をかけ続ける。

「安心しろ、安心していいんだ。ここではみんな、お前の味方だ」

 離宮の方へたどり着くと、入口の門のところに、ジョゼフィーヌと侍女たちが集まって王宮の方を眺めていた。

 門の衛兵が、ルドルフに話しかける。

「ルドルフ殿下。王宮で何が」

「反乱がおきた」

 え、また?といったふうに離宮付きの侍女達がざわめく。

「やめて、いたいいたい、ひたいひたいひたい・・・」

 抱きしめるように両手で自らの肩を掴んだアレクセイが、ルドルフの腕の中で丸くなる。

 ジョゼフィーヌがルドルフへたずねる。

「ルドルフ殿下。アレクセイ殿下はどうされたのですか。医者をお呼びしませんと」

「弟は、燃え盛る炎を見るとこうなるのです。怪我はしておりません」

 アレクセイを門の内側の芝生の上へそっとおろすと、ルドルフは、腰に下げていた短剣を離宮の門に突き立てる。

 青い光が唐草のように広がり、魔術防護壁が展開。離宮全体を覆っていく。

「おい、衛兵!ここは守っておいたから、一人も外にだすな。逃れてくる者あれば受け入れてやれ」

 門を守る兵へ叫ぶと、ルドルフはジョゼフィーヌへと向き直った。

「ここから離れないでください。魔術で守られておりますから。アレクセイをお願いいたします」

 そう言い残すと、ルドルフは離宮を出た。

 弟など、自らが王位を継ぐ邪魔になるし爆発に巻き込まれてしまってもいいと思っていたのだが、とっさに死なせたくないと思ってしまった。

 これでは殿のことを甘いなどと責めることはできないな。ルドルフは苦笑すると、燃え盛る王宮へと駆けていった。

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