第5話 悔恨の海

 ルドルフは、自室でジョゼフィーヌの訪れを待っていた。長椅子の上に、手触りのいい”星跳びうさぎ”の白い毛皮を敷き、内綿がふんだんに詰め込まれたふかふかのクッションを二つ、背面に並べた。

 何か飲み物もあったほうがいいかもしれない、と考えたルドルフは、侍女にお湯を持って来させた。もう夜であるし、眠りをさまたげないような、あたたかく煎れた花の茶がいいかもしれない。

 花の種類と、配分に気を配って茶を調合し、ルドルフは準備を完了させた。


 ジョゼフィーヌは時間通りにやってきた。

 二人は長椅子に腰かける。ジョゼフィーヌは、ルドルフが用意した茶を、ゆっくりと飲む。

 身体が内側からあたたまる心地に、ふう、と息をつき、ルドルフに話を切り出す。

久太くたよ、ナタリア正妃の命をとること、待ってはくれんか」

「・・・理由をお聞かせください」

「ナタリア妃は、子を孕んでいるようだ。身重の女は殺したくない」

「そんな甘いことを。子が産まれるまで、父上が虐げられることを黙って見ていろとおっしゃるのです?他国の女に好きなようにされているアジャールの国も?」

「我の妻を、久太くたは覚えているであろう?」

 ルドルフは思い出した。前世で命尽きた時、殿の奥方は身ごもっていた。

 あと半年もしないうちには、はじめての子を持つことができるはずだったのだ。

「腹の子まで殺めたくはないという、お気持ちはわかりますが。優しすぎまする。多少の犠牲は仕方のないことです。我らが散々、やってきたことではありませんか」

「なれど、”わらわ”は、女だからな」

 ルドルフは少しの間黙り込み、ジョゼフィーヌへと顔を寄せる。

 少女の鎖骨をそっと撫でると、首すじに自らの唇を押し当てた。

「ああ、わたくしの知っているあなた様の首と違う。

 こんなに滑らかに、白くなってしまって」

 嘆きの言葉を、ルドルフは吐き続ける。

「あなた様には、女などになり果ててほしくないのです」

「すまない、久太郎くたろうよ」

 ジョゼフィーヌは、そっとルドルフを抱きしめて語りかける。

「思ってしまうのだ。もしわれが、あの時に素直に関白殿にしたがっていたら、世の流れに身を任せていたら。

 きっと我らは、瀬戸の穏やかな海を見下ろして、あたたかい風に吹かれながら、皆で力を合わせて領地を治めて。

 我は、自らの子の顔も見ることができたはずだ。

 久太くたにも嫁を取ってやって、久太くたの子も生まれて。

 子らが一緒に武の稽古をするのも我らで見てやったりする。

 それを代々続けていくのだ。代々、続けてきたのだ・・・それをみんな、死なせてしまった。

 だから今は、この星に生まれ、自らが女であることをただ受け入れさせてほしい」

「あなた様がそう思われるのでしたら、わたくしも従いましょう」

 ルドルフはジョゼフィーヌの腕の熱に包まれながら、かつての主であった魂を持つ少女に、切なげな目を向ける。

 ですが我が殿よ、それは夢なのです。願ったところで、どうにもならぬこと。

 そしてわたくしは、戦うことをやめられないのです。


 ジョゼフィーヌが去った後、一人残されたルドルフは、机の上に置かれた短剣型の魔術具を見つめていた。アジャール国王である父親が、自分に授けてくれたものだ。

 ルドルフは薄闇の中で、しばらくの間考え込んでいたが、決意したように魔短剣を握ると、隠し扉を開けて中へと進んでいった。

 石造りの通路を抜けて、小部屋へと入る。”のぞき見”の額縁から、国王が囚われている部屋の様子をそっとうかがうと、ルドルフは額縁の向こう側へと短剣を突き立てた。

 音もなく、額縁が真ん中から爆ぜ、虹色の光で構成されたゲートが現れた。

 傍らに置かれていた一冊の本を手に取ると、ルドルフは虹の門をくぐる。

 ルドルフの目の前には、全身を縛られている国王がいた。

 人の気配を感じ取った国王の両目が開かれる。

 燃えるように輝く金色のひとみに、縦長の黒い眼晴がんせいが走る。

 蛇のような目に睨まれたルドルフは、反射的に体を強張らせたが、すぐに気を取り直す。

 ルドルフは持ってきた本を開くと、短剣を持って自らの左手の薬指を少し傷つける。

 流れ出る血で、本に記されている魔法陣を国王の足元へと描いていく。

 そしてルドルフは、自らの銀髪を一房取ると、短剣で切って血の文様の中へと落とした。髪を次々に掴み上げ、っては魔法陣の中へと放り込んでいく。

 ルドルフは細々とした作業の連続に嫌気がさしてきたらしく、めんどくさそうな顔に変わっていく。

「あ~。億劫おっくうにすぎる」

 ルドルフは自分の髪をすっかり切り終わると、次は国王の胸の部分の服を切り裂き、右手を王の胸へと当てながら呪文を唱える。

「“ラミアー儀礼”。血の盟約、アジャールにより、我らが母へ捧ぐ」

 魔法陣が、赤い光を放ちだす。息子が執り行う儀式の様子を見ていた国王の目が、静かに閉じられた。

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