第7話社長の決断
その日の夜、和真は見張りとして甲板に立っていた。今は冬では無いが、夜の海はとても寒い。しかしながら、唯一の救いは満天の星空を満喫出来ることではなかろうか。夜でも明るい『アマテラス』の甲板にでは味わえない美しい星の煌めきは、見ているだけで和真の心が洗われるような気にさせてくれる。寂しい見張りの夜の無聊を慰める数少ない娯楽と言えるのかもしれない。
「《何か用ですか?》」
見張り用の折り畳み式椅子に腰掛けてボーっと星空を眺めていた和真だったが、背後から近づいてくる者に気が付かないほど気を緩めてはいない。そしてそれが誰なのかも、彼はわかっていた。
「《夜更かしは女性の敵でしょう?優さん。》」
「《…本当に解るんですね。びっくりです。》」
優が『揺り籠』から出て来た時、和真が甲板にいたにもかかわらず彼女の足音を聞きつけて船底にまで降りて来たのだ。その聴覚について聞き及んでいたものの、実際に見るでもなく個人を特定されたのだから驚くのも仕方があるまい。
彼女は無言で甲板に置いてあったもう一つの椅子を立てると、和真の隣において腰を下ろす。そして彼の顔をじっと見ながら口を開いた。
「《聞かなくてもわかるんじゃないですか?私が来た理由が。》」
「《貴方の処遇について、でしょうか?》」
和真の返答に、彼女は頷いた。その瞳からはどんなことを言われても動じない強い決意が見て取れたが、身体が小刻みに震えてしまうのを抑えることは出来ていない。彼の一言で自分の未来が決まるのだから、彼女の反応は正常である。しかし、雇うべきだが簡単には雇えない和真にとって、この質問は一番避けて欲しいものであった。
「《結論から言いますが、今の貴方では残念ながら我が商会の雇用基準を満たしておりません。》」
「《そうですか…そうですよね…。》」
和真の無慈悲な宣告に、優はうなだれる。何とか耐えているが、彼女の眼には限界まで涙が溜まっていた。それでも声を上げて泣いたりしないのは、間違いなく彼女の良い部分であり、損な性格の現れであろう。
「《ですが、それで放り出すようなことはしません。》」
「《えっ?》」
見ていていたたまれなくなった和真は、独断で助け船を出してしまった。『アマテラス』の二人が情に流されたと知ったら怒り狂うかもしれないが、もう吐いた唾は飲めない。漢に二言は無い、というのは和真の信条であるからだ。
「《私には優さんを起こしてしまった責任があります。それに、貴方はとても勤勉な方だ。私たちはこの二週間で貴方を信用に足る人物だと確信しています。仕事の質は後から上げていけばいいのですしね。なので、正社員ではなく非正規労働者として貴方を迎え入れようと思います。世紀雇用に比べて給料は少し、少な目になりますけど。》」
「《い、いいんですか?私、力も弱いですし、料理もまだまだで…とても皆さんのお役に立てるとは思えません…。》」
雇って貰えると言われても、彼女の顔は晴れなかった。なぜなら、彼女はこの二週間で必死に働いたが、自分の貢献度など微々たるものだと自覚しているからだ。だがそれは些か間違った認識である。
「《素人があれだけ働ければ大したものです。それも力仕事ばかりでも根を上げなかったのは称賛に値しますよ。なによりも、貴方は船酔いになりませんでした。それだけでも我々船乗りからすれば高評価ですよ。》」
「《そうなんですか。あれ?でも和真さん達の住んでいる『アマテラス』は大きな船なんですよね?じゃあ船酔いする人なんていないんじゃないですか?》」
優の疑問に和真は苦笑いしながら首を振る。『浚い屋』として陸に住む者との取引もある和真は、彼らからこの質問をされることがあったのだ。
「《そうでもないんですよ。実は『国船』には船の揺れを抑える仕組みがあるのです。残念ながら『国船』に関する情報は最高機密扱いで正確な仕組みは私も知りませんがね。それによって海が大荒れでも『国船』はほとんど揺れません。なので、海に住む民であっても船酔いは普通に起こる現象なのですよ。》」
「《そんな技術があったなんて、知りませんでした。》」
「《知らない…ということは優さんが『揺り籠』に入った後に出来た技術なのかもしれませんね。》」
そこで和真はもしかしたら優は『アマテラス』よりも年上なのかもしれない、と思ったが流石に口にすることはなかった。流石に女性の年齢に関する何かを言うほど、和真は命知らずではないのだ。
「《話が逸れました。とにかく、優さん。貴方のことは私が責任を持って必ず護らせていただきます。》」
「《ふぇっ!?》」
「《そのくらいの甲斐性は持ち合わせているもりですよ。》」
「《ありがとう、ございます。》」
和真の見せた優しさに、優は思わず涙を流した。それは先ほど泣きそうになった時とは逆の感情が齎した、温かい涙であった。
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それからしばらくの間、和真は泣き止んだ優と共に夜空の星を眺めていた。和真は寒いし時間も遅いので寝た方がいいと説得したのだが、優の方がどうしても見ていたいと言ったのだ。
「《こんな綺麗な空、知識でしか知りませんでした。》」
「《確か、大戦前の都会は夜でも常に明るかったそうですね。》」
「《はい。都会ではほとんど星なんて見えなかったようです。こんなに綺麗なのに、見えなくするなんてもったいないですね。》」
「《ははっ。『アマテラス』の甲板もそうなんですよ。時代が変わっても、都会の姿は変わらないということでしょうか。》」
「《ふふっ。そうかもしれませんね。…くちゅん!》」
夜空に輝く星々に目を輝かせてうっとりとして魅入っていた優だが、やはりこの寒さは堪えるらしい。和真は無言で外套を脱ぐと彼女に渡した。
「《だから言ったではありませんか。中に入った方がいいと。》」
「《ごめんなさい。でも、どうしても見たかったんです。理由は、特にないんですけど。》」
「《そうですか。はい、どうぞ。温まりますよ。》」
そう言って和真が差し出したのは、魔法瓶に入った温かいお茶だった。魔法瓶は数少ない再現に成功した古代の遺産であり、今では一般人でも買えるくらいに安く流通している。また『アマテラス』では陸から入った茶葉の栽培も成功しており、少々お高いが一般人でもどうにか手が出せる嗜好品となっていた。和真はその香りが好きで毎日少しづつ飲むのが日課である。
「《ふあぁ。ほっとしますね。美味しいです。》」
「《お口に合ってよかったです。》」
「《あの、和真さんは星座ってご存知ですか?》」
「《せいざ、ですか?寡聞にして知りませんね。どんなものなのでしょうか。》」
「《簡単に言えば星と星を線で繋いで出来た図形です。神話に出てくる動物や人物に似た図形を作るんですよ。》」
「《それは興味深い。日本発祥なのですか?》」
「《違いますよ。もっと西にあった国々の人々が作ったと言われています。外国から入って来た文化ですね。》」
優の最後の一言は、和真にある種のカルチャーショックを与えていた。彼の中に外国から流入したもの、という概念は無かったからだ。遺跡から発掘された遺産によって科学技術が一歩ずつ前に進むことはあっても、生きている他の文明と交流することなど無い。しかし、彼女の生きていた時代はそれこそ海の向こうの国と途方もない技術で生み出された兵器を用いて戦争を繰り広げていたはずなのだ。ならばそれ以前の平和な時代に文化や技術の交流などあって然るべきだろう。彼女といれば、彼の好奇心を満たすことが出来る。和真は優を手元に置くという決断は間違ってはいなかったと確信するのだった。
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並んで星空を見ている二人を見ている者達がいた。もちろん、和真はその正体に気付いていたし、それが嫌で彼女を船室に返そうと説得したのだ。しかしながら、説得に失敗した時点で、和真は覗き見されることを甘んじて受け入れていた。流石にこの状況で周囲に人がいることを言うのは野暮だということは彼にもわかる。そしてそれが解ると解っている四人は、よほど質が悪いだろう。和真が見られていると知っていて和真が見逃すと知っていて覗きを続けるのだから。
『おい、なんだありゃ。』
『なんなんすかね。』
『なんだろうねぇ。』
『青春ですねぇ。しかし、優殿はどうやら無事に同僚となるようですね。これは吉報です。』
それが、二人の様子を物陰から隠れて見ていた船員四人の反応だった。彼らは和真に声を聴かれることを避け、梅子の部屋から引っ張り出した板状の『光の箱』で筆談していた。古代語を使えるのは和真と梅子、そして優だけだが、板状の『光の箱』に指でなぞることで絵を描くことが出来る機能がある。そこに文字を書くことで筆談が可能となり、そうすれば如何に鋭い五感を持つ和真と言えども会話の内容を知ることはできないのだ。
彼らは和真と優は日本語で話しているので梅子以外には何を言っているのかさっぱりわからないし、唯一聞き取れる梅子も距離がある上に二人ほど習熟していないので内容はほとんど理解できなかった。しかし、断片的に聞き取れた情報ところころと変わる優の表情を合わせて見れば会話の内容は大体の察しがつく。恐らくは、和真が優の面倒を見る決断を下したのだろう。それは明らかに彼の独断なのだが、ここにいる者の中でそれを否定する者はいなかった。それよりも問題なのは、『アマテラス』残留組の二人に対して優をどうやって認めさせるのかだ。しかし、四人にはそれが少々難しいことだと知っていた。
『無事に済むって本気で言ってやすか?あのツンデレ巨乳とむっつり無口が認めるワケないですぜ。』
『絶対に無理っすね。特にツンデレは怒り狂うんじゃないっすか?』
『あの娘たちは色々とうるさいからねぇ。』
実は和真がモテないもう一つの理由が残留組の女性陣にある。二人ともヒロとアキと同じく和真の幼馴染なのだが、片方は女性として、もう片方は敬愛する兄的存在として彼を慕っている。その上二人とも身内以外の男性を毛嫌いしていて入社を断固拒否する上に、和真に悪い虫が付かないようにと女性の社員も認めない。特に女性に関しては社員になろうという者以外も完璧にブロックする徹底ぶりだ。しかしながら、二人で『アマテラス』における仕事をこなせるせいで誰も強く出られないのだ。
そんな二人が今の和真と優を見れば、間違いなく迎え入れることに反対するだろう。美女と野獣と言う組み合わせだが、何故か二人が並んで夜空を眺める姿はしっくりくるものがある。ぽっと出の女に出し抜かれることを、あの二人が許容できるとは思えなかった。余談ではあるが、彼らが普通に使ったツンデレという言葉が残っているのは、彼らが日本人の末裔であるなによりの証拠かもしれない。
『三角関係ですね。年甲斐もなくワクワクしますよ。』
『笑いごとじゃあないですぜ、十三サン。』
『そうっすよ。このままじゃあお嬢が路頭に迷うかもしれないんすよ?』
船員の中では割とまともな十三だが、泥沼の愛憎劇というものが好きというどうしようもない性癖がある。昼ドラ好きを拗らせたのような男なのだ。それを窘める双子達だったが、十三はむしろ意味深な笑みを浮かべた。
『おやおや?お二人も優さんが気になるのですか?これは…五角関係、いや、七角ぐふぅっ!?』
『馬鹿言ってんじゃないよ、このスットコドッコイ。』
頬を紅潮させながら妄言を吐き続ける夫を黙らせるべく、梅子は拳を鳩尾に叩き込んだ。声を上げることも出来ずに蹲る夫に、梅子はゴミを見る眼を向けた。
『全く!幾つになっても趣味の悪さは変わんないね。』
『そうですぜ、十三サン。俺たちにゃあ大事な恋女房が待っていやすからね。』
『そうっすよ。俺たちは浮気なんてありえないっす。』
若者二人も同質の眼を向ける。意外、と言うと失礼だがヒロとアキの二人は既婚者である。奥方たちはタイプは違うがなかなかの美人だ。まだ子宝には恵まれていないが、双方とも仲睦まじい夫婦である。だからこそ七角関係という群像劇のような相関図を十三が思い描いたわけだが。
「む、無念…。」
『それにしても、どう転んでも面白いことになりそうだねぇ。』
『梅婆、アンタも人の事言えないですぜ。』
『ひょっとして、あの二人が嫌いなんすか?』
『そんなわけないってわかってんだろ?ただねぇ、あの二人にとって優はきっといい刺激になるとアタシは思うよ。』
『『はぁ?』』
梅子の言っている意味が理解できなかった双子は同時に頸を傾げる。梅子は真顔になって真意を述べた。
『あの娘達は優秀だし、いい娘だ。だからカズ坊もあんまり強く言わないし、大抵のことは許すよ。そこに問題があるのさ。片方は勝手に彼女面、もう片方はいなくなることを怖がってカズ坊の周囲から自然と女を遠ざけてる。なのに自分からカズ坊の気を惹こうと動くことはほとんどない。妙なプライドが邪魔してるんだろうけど、見ててイライラすんのさ。』
『あ~、わかりますぜ、その気持ち。』
『煮え切らない感じがいら立たせて来るんすよね。』
『だろ?自分たちがカズ坊の傍にいることが当然で、その立場が揺るぐことは無いって思い込んでるからより質が悪いね。だから今回の優の件は都合がいいのさ。あの子を…多分義務感からだろうけど身請けするってカズ坊が言い出したとして、あの二人はどう思うだろうね。長く時間を共有してきただけの女と、短くも濃い時間を共有した女。さて、カズ坊の心はどっちに傾くのかねぇ。』
そう言って梅子は愉快気に笑う。そうなった未来を予想した双子は、思わず蒼白になった。
『勘弁して下せぇ。』
『荒れるの確定じゃないっすか!』
『荒すんだよ!約束した以上、カズ坊は優をどんな形であれ商会で雇うね。そうなればこのまま手を拱いてちゃあいけないってようやくあのおバカ達も気づくだろ。』
和真をめぐる女達の戦いにわざと外野から一石を投じようとする梅子の方が、十三よりもよほど趣味が悪いのではないか、と双子は思うのだった。
SALVAGER 松竹梅 @syoutikubai
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