第6話社長の苦悩

 『アマテラス』までの航海は、非常に快適であった。最後まで快晴であったし、嵐や時化に会うこともなかったからだ。昼は進みつつそれぞれの仕事をこなし、夜は見張りを立ててぐっすりと眠る。そんな日々が約二週間続いた。

 その間、優は色々なことに自分から挑戦していた。肉体労働だけでなく、料理や掃除、洗濯などの雑用も積極的に行っていたのである。最初はどれも上手く出来なかった優だったが、少しずつだが着実に出来るようになっていく。一週間経った頃には、雇用するかはともかくとして、和真達が彼女への監視を打ち切るまでに皆の信用を勝ち取る事に成功していた。そして『アマテラス』まであと一日となった時、優をどうするのか和真は選択を強いられる事になるのだった。



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 「《あまてらす、ですか?》」


 朝食の後、優は食堂で和真から初めて彼らの目的地であり、本拠地の名を聞くことになった。あくせく働くことに集中し過ぎて重要なことを聞きそびれた形である。


 「《ええ。この海域で唯一、万単位の人間が住む大型船舶『国船』です。世界に数隻しかない船の一つですよ。私の商会の事務所もそこにあります。》」

 「《ふえぇ…。そんなに大きな船なんて想像もできないです。》」

 「《優さんの生まれた時代の都市に比べれば極々小さな規模だと思いますよ。》」

 「《そう、なんでしょうか?記憶にないので…。》」


 何気ない和真の言葉だったのだが、彼は思わぬところで優の地雷を踏んでしまったらしい。二人の間に微妙な空気が流れる。それを払拭すべく、和真は話題を切り替えた。


 「《そういえば、アマテラスとは大昔の神様の名前だそうですね。どのような神であったのかは失伝しているのですが…何かご存じですか?》」

 「《ええと、もしかして天照大御神の事でしょうか?》」

 「《し、知っているのですね。お教え願えますか?》」


 嫌な空気を換えるための苦しい話題だったのだが、思わぬ収穫である。現代にも宗教というものは存在する。宗教を熱心に信仰している者の数は少ないし、和真達も特に信じる宗派は無いのだが、この時代でも宗教というものは一定以上の力を持っていた。大きな会社や政府高官にも信者は存在し、彼らの意向を無視できないことは少なくないのである。

 信者の数が多いのは、主に三つの宗教である。一つ目は空の神と海の神を崇め、大空を羽ばたく鳥類と大型の魚類を神の使いとする『青海教』。二つ目は陸地と本来はそこにしか生えない樹木を神聖視し、特にこの海域で最も広い陸地を聖地とする『富士教』。そして海に生きる者たちの営みを支え、守る『国船』そのものに感謝する『天船道』だ。『国船』である『アマテラス』において、最も信者が多いのは『天船道』だ。次点に『青海教』が続き、『富士教』が最も少ない。より身近なモノの方が好まれるのだろう。それ故に、陸地に行けば信者の割合は真逆になる。それどころか陸地に住む者で『天船教』を信じている者は皆無に近い。彼らは『国船』の恩恵を得ていないのだから当然である。

 大昔には仏教やキリスト教などの宗教が存在した記録は『光の書』に残っている。しかし、現存する宗教についての文献に、『アマテラス』という神の名はない。言い伝えによれば、この名前が日本人固有の宗教の神であったらしく、それが転じて『国船』の名前となったという。それ故に、特に『天船道』を信じる者たちはそれについてのヒントを躍起になって探しているのは有名な話であった。


 「《最低限の事だけですけど、いいですか?》」

 「《構いません。》」

 「《えっと、天照大神は日本固有の宗教である神道の主神です。太陽の神様でもあったと思います。国を統べた王、のような家系の祖先とも言われていました。》」

 「《そうなのですか。面白いですね。他にも聞かせていただけますか?》」


 和真は高等教育を受けているだけでなく、『浚い屋』となるために古代語と考古学を専攻していた。なので歴史も人並み以上に学んでいる。しかしながら世界が水浸しになる以前の歴史は資料不足によってほとんど知らない。彼女の言う神を祖とする王家の存在など聞いたこともなかった。それからしばらくの間、和真は優から『神道』という宗教について簡単に教わった。そして聞けば聞くほど彼女の事を知れば、是が非でも手元に置いておきたいと思う者が少なくとも宗教関係には確実に現れると確信するに至った。

 この二週間で優の性格は大体理解できているので、彼女が嘘をついていないと和真は解っている。ならば彼女から聞かされた知識は、過分に主観が混ざっているとしても真実に近いのだろう。だとすれば、優は古代文明に関する文字通りの生き字引といえよう。優が他のどんな分野にどの程度習熟しているのかはわからないが、古代人としての彼女とその知識を利用しようという者は必ず現れるに決まっているのだ。


 「…どうすっかね。先生に預けるのも心配だぞ、こりゃあ。」

 「《どうかされましたか?》」

 「《いえ、何でもないです。》」


 和真の苦悩を知らない優は、可愛らしく首を傾げている。優は和真の知る女性の中でも一、二を争う美女であるであり、そんな何気ない仕草だけでもかなりの破壊力があった。和真は思わずドキリとしてしまったことを隠し、ポーカーフェイスを装うのに必死である。


 「《それよりも思った以上に話し込んでしまいました。お互い、仕事に行きましょうか。》」

 「《そうですね!頑張ります!》」


 しかし、優のやる気に満ち溢れた笑顔は、和真のポーカーフェイスを容易く崩してしまうのだった。



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 和真は普段通り、双子と共に海に糸を垂らしていた。しかし、彼からは普段の覇気というものが感じられないことに二人は気づいていた。


 「お頭、悩み事ですかい?まあ、想像はつきやすがね。」

 「そうっすね。お嬢のことっすよね?」

 「…まあな。」


 和真は別段否定するでもなく二人の想像通りだと認めた。双子達も既に彼女を疑うつもりはない。わざと監視の無い時間を作って見せても、優は妙な素振りを一切見せなかったからだ。むしろ、監視すればするほど彼女の一生懸命さが伝わって来るくらいだった。


 「んで、どうするんですかい?予定通りでやすか?」

 「確か信頼出来るお人に預けるんすよね?」

 「そのつもりだったんだがな、ちょいと難しいな。」

 「何か問題ですかい?」

 「教えて欲しいっす!」

 「ああ。あの子は思っていた以上に価値がある。さっき話をしたんだがな、それを聞いて震えたぞ?なんたって、手に入れるためには手段を選ばんだろう連中の数が一気に増えたからな。」


 和真は先ほどの優との会話をかいつまんで二人に説明する。二人には学が無い上に宗教に興味が無いのでよくわからないが、彼女の素性は何があっても隠さねばならないということだけは理解した。


 「そいつは厄介でやすね。」

 「その先生は信頼できるんすよね?ダメなんすか?」

 「先生はいい人だし、素性を言いふらさないことは信頼も出来る。古代語学の権威だから色んな所に顔が利くし、家の防犯もかなりのものだ。だからもしバレたとしてもあの子を守れる、と思ってたんだがな。」


 和真は一度話を区切ると、ハァ、と深いため息をついた。


 「宗教が絡むとまた別だ。狂信者って連中は今も昔も変わらんからな。お前らも見た事あるだろ?あの胡散臭いジジイが喚き散らすのをよ。」

 「あー…覚えてやすぜ。確か、『富士教』のお偉いさんが『青海教』の坊さんにイチャモン付けた時でやすね?」

 「ありゃあ酷かったっすね。坊さんが全部正論で返して顔真っ赤にして最後は殴りかかってたっす。一発も殴り返さなかった坊さんは格好良かったっすけどね。」

 「…話を戻すぞ。あの子の頭には色んな知識が詰まっていやがる。今のところ『青海教』や『富士教』に狙われる理由は見当たらんが、連中の事はほとんど知らねぇ。何が原因になるかはわからねぇが、そんな連中にも目を付けられることになるかもしれん。そういう手合いは理屈で動かねぇからな。先生の家に殴りこんできてもおかしくねぇよ。」


 和真の予想通りならば、優の素性が発覚することは何としても避けねばならない。しかし、これまで安全だと思われていた場所も当てにならなくなった。そうなれば、優の安息の地などこの世には無いと言うことになってしまう。それではあまりにも彼女が哀れである。故に、ヒロとアキは珍しく不安げな顔で和真を見た。


 「お頭、それじゃあどうするんで?」

 「流石に可哀想っすよ。」

 「だから悩んでるんだろ?…っと、掛かったか?」


 ここで和真の流すテグスに手ごたえがあった。魚が掛かったかと思われたが、直ぐに重さが無くなってしまう。苦い顔でテグスを引き上げると、案の定、針から釣り餌だけをかすめ取られていた。


 「ちっ、盗られたかよ。ほいっと!」


 和真は針に次の餌を付けて海に放る。美しい放物線を描いて投げられた釣り餌は、ポチャンという小気味よい音と共に海に沈んでいった。


 「あの子を守れる場所は実はある。素性を隠せる集団がいるのさ。そいつらは口が堅いし、結束力もある。」

 「そいつらは何者でやすか?」

 「教えて欲しいっす。」

 「簡単な話だ。その集団ってのは、俺たちの事なんだからな。」


 ヒロとアキは顔を見合わせる。二人の顔からは困惑と疑問がありありと伝わって来た。


 「だってそうだろ?お前らは口が固いから、あの子のことは絶対に他言しない。俺たちが新入りとして雇えばいいのさ。あの子は…そうだな。産まれてすぐに親に捨てられて下層で生きてきた戸籍すらない女、とでも言えばいい。そんな女は『アマテラス』にゃあごまんといるからな。それに俺たちはみんなの出身だ。そういう境遇だが、地頭がいいと見抜いて大抜擢したことにすりゃあいい。」


 和真の言う船内とは、文字通り『アマテラス』の内部のことである。巨大な船舶である『アマテラス』では、甲板に都市が存在しており、そこで生活できる者はごく少数だ。逆に言えば『アマテラス』の民の大多数は船内で暮らしている。和真たち海城商会の面々は、皆船内の出身者だ。しかし、船内にも格と言うものが存在する。具体的に言えば船内でも甲板により近い場所と港湾地区は地価が高く、そこから離れるほどに低くなっていくのだ。

 和真は『浚い屋』では稼ぎ頭と言える存在なので、彼らの事務所と住居は船内の最上層にある。今でこそ、そこまで成り上がった訳だが、彼の父親の代は違った。嵐によってせっかくの積み荷を落としてしまったり、海賊の攻撃によって船が破損したりと不幸が続いたせいで、一時期は倒産寸前にまで追い込まれていた。

 そんな極貧生活を送っていた和真だが、それでも住んでいたのは船内のであった。そこも所謂スラム街や貧民街と呼ばれる場所なのだが、さらに下ってくとそこはある意味異世界と言ってもいい空間が広がっている。特に船底と呼ばれる深度の場所は、ヤクザやマフィアと呼ばれる集団が牛耳る場所なのだ。百歩歩けば喧嘩を売られ、千歩歩けば刺されかけるとまで言われる無法地帯なのである。常に海中にあり、甲板から最も遠い船底だが、そこには『アマテラス』最大の歓楽街が広がっている。政府の目が全く届かない船底は、様々な人間の欲望が渦巻く魔境と化している。船乗りは荒くれ者揃いだが、そこは外道の巣窟なのだ。

 和真が優の設定に用いようとしている下層とは、中層よりは貧しいが船底のような無法地帯ではない場所のことだ。ここでも日常的に暴力沙汰が起こり、孤児がゴミを漁る光景が至る所で見受けられる。中層で身を持ち崩した者が降りてきたり、船底のヤクザなどから逃げてきた者が昇ってきたりするので、人の出入りに関しては船底以上である。そこの出身者だと言えば誰もが納得してしまう吹き溜まりのような場所なのだ。


 「そいつぁ名案ですぜ。でも、今のお嬢は及第点に達しちゃあいねぇ。ちょいと納得しねぇ奴がいるんじゃあねぇですかい?」

 「そうっすねぇ。なんたってお嬢はトーシロっすからね。雑用やら何やらは普通にこなせるようになったっつっても、残留組の二人が首を縦に振るたぁ思えねぇっすよねぇ。」

 「そこなんだよなぁ…。」


 海城商会の従業員は七名。そのうちの二人は今も『アマテラス』にいた。両名とも女性であるが、社長とその両腕、そして先代からのベテランが居なくなっても会社を回せる有能な者たちである。しかしながら彼女らはそれぞれが別のベクトルで非常に気難しく、片方は一定以上の能力か他の人には真似できない特技が無ければ新入りを迎え入れることを許容してくれない厳しい女性なのだ。それは和真の社長としての権限を以てしても断固拒否する恐ろしい女なのである。

 もちろん彼女らも船内出身者であり、仲間意識も非常に強いので一度優を認めてくれれば必ず味方になってくれるだろう。だからこそ、優は己を守るためにも努力してもらわねばならない。男三人は同時にため息をつくことしか出来なかった。

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