第4話古代人の取り扱い
『無頼丸』の船員五名ともう一人は、で最も広い部屋である食堂に集まっていた。船長以下二名の頭には大きなたん瘤が出来ているが、そのことに今更突っ込みを入れる者は誰一人いない。愚行の代償である頭の瘤をさすりながら、船長である和真が口火を切った。
「はぁ~。じゃあ始めるか。ええと、《初めまして。私は海城和真といいます。貴方のお名前は?》」
「《に、日本語!?》」
和真の口から放たれた、驚くほど流暢で丁寧な日本語に、女は驚きを隠せなかった。まさかこんな野蛮な見た目の男が恐らくは古代語となっている日本語を使えるとは思っていなかったのだ。
「《はい。私は仕事のために日本語を学びました。》」
和真は古代語である日本語を猛勉強して日常会話以上に喋ることが出来る。イントネーションが少々怪しい部分もあるが、誤差でしかない。しかし、流石に普段通りの口調は再現出来なかったので、受験英語の日本語訳のように奇妙なほど丁寧な言葉遣いになっているのだ。
「《そ、そうですか。あ、私の名前は山神優と言います。》」
「《山神優さん、ですね。幾つか貴方に質問させて頂いてもよろしいですか?》」
「《は、はい。私に解ることであれば。》」
和真は優の返答で何かしらメモを取った。この問答だけでメモを取るほどの事があったのだろうか。
「警戒心が薄い…と。古代人、特に日本人はお人好しが多かったって学説通りだな。《では、貴方はどこにいましたか?》」
「《私がいたのは『山神生命科学技術研究所』だったと思います。父が運営する私立の研究施設でした。》」
「《ありがとうございます。では、次の質問です。研究所には貴方以外にどの位の人がいましたか?》」
「《…すみません。記憶が曖昧で…思い出せないんです。》」
優は頭に靄がかかったように思い出す事が出来なかった。むしろ自分の年齢や性別、名前を含めた知識記憶以外が全く思い出せないのだ。思い出だけが欠落した状態、と言えば解りやすいだろうか。その事に今更ながら気が付いた彼女は、震える手で自分を抱き締める。急に様子がおかしくなった優に、和真は戸惑いを隠せなかった。
「《どうかされましたか?》」
「《私は…私は誰なんでしょう?何も思い出せない…!》」
「思い出せねぇだぁ?これって何て言うんだっけ?あ、そうそう!《記憶喪失なのですか?》」
和真の質問に、優は首肯する。一人で判断することはできず、和真は皆の意見を聞くことにした。
「お頭、どうですかい?」
「何かわかったっすか?」
「ああ、それがよ…。」
和真は四人に優の言い分をそのまま教える。するとヒロとアキは胡散臭そうな、十三と梅子は難しい顔になった。彼らの気持ちは和真にはよくわかる。記憶喪失など実際に見たことは無いし、そんな症状の存在すら知らないのだ。上級教育を受けている和真だけは知っていたので説明したが、彼自身も余りにも都合のいい優の言い分を信じられないでいる。
「それで、どうすんだい?」
「どうするもこうするもねぇよ。『アマテラス』まで連れて帰るしかねぇだろ?」
「そうだね。海に捨てるわけにも行かないでしょう。」
「そりゃあそうでやすがね、監視は必要ですぜ。」
「兄貴に賛成っす。俺も信用出来ないっすよ。腹の中で何考えてるか解んねぇんすから。」
「だよなぁ。仕方ねぇか。よし。」
全員の意見は同じであった。ここで優を海に捨てることはしないが監視は付けるべきだ、と言っているのだ。和真は優に向き合うと、真面目な顔で告げた。
「《山神さん。》」
「《は、はい!》」
「《我々は貴方を保護します。その上で私達の国までお送りします。》」
「《あ、ありがとうございます!》」
優はパッと顔を明るくしたが、和真は掌で無条件に喜ぶ事を制した。
「《ですが、貴方が我々にとって異質な存在であるのは事実です。これは解りますね?》」
「《…はい。》」
「《ですので、我々の拠点に着くまで監視させて貰います。》」
「《監視、ですか。》」
明るくなっていた優の顔は、見る見るうちに暗くなっていく。おそらく、牢屋か何かに入れられると想像しているのだろう。故に和真は慌てて続きを述べた。
「《安心して下さい。あくまでも監視であって、監禁するつもりはありません。貴方が信用に足る人物だとわかれば、監視を解きます。場合によっては私が雇用して差し上げます。》」
「《雇用…?あの、海城さんは社長さんなのですか?》」
何気ない優の質問に、和真は堂々と答えた。
「《では、改めて自己紹介をば。私は当船『無頼丸』の船長にして『海城商会』の社長、海城和真と申します。以後、お見知り置きを。》」
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とりあえず優の船室を用意することになったのだが、現在の『無頼丸』において開いている部屋は無い。無駄な部屋は様々な機材を詰め込むために全て壁を取り払って大部屋に改造したからだ。よって誰かと相部屋になるか船倉かを選ばねばならない。それを彼女に問うと、彼女は梅子との相部屋を選んだ。
「当然だね。野郎共と同じ部屋に入れられるかい。」
「《あ、あの、よろしくお願いします。》」
「《了承。》」
そう言って梅子にぺこりと下げた優の頭を、梅子は微笑みながら撫でていた。彼女の周囲に優のような素直な娘はいないので、彼女を突然出来た娘のように感じているのかもしれない。
「十三、解ってんな?」
「おまかせ下さい。」
そのことに和真と十三は危機感を抱いた。可能性は低いが、優が自分達に害意を持っている可能性は否めないのだ。すでに絆されつつある梅子だけでは監視の役割を果たせないかもしれない。故に、彼女の夫である十三に頼るしかないのである。
「《では、これで解散しましょう。》」
「《私はどうすれば?》」
「《彼女は梅子。彼女の指示に従って下さい。》」
「《わかりました。》」
「よぉし解散だ。もう明け方だから早いけど出港の準備を始めるぞ。出来る限り早く『アマテラス』に凱旋だ!」
「「「「アイアイサー!」」」」
「《わわっ、えっと、あいあいさー。》」
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和真の命令に従って、五人はテキパキと動いた。和真は航路の最終確認、ヒロとアキは錨を巻き上げるなど出港に際しての肉体労働、十三は船体の調整、そして梅子は動力室など機械類の点検を行う。熟練の船乗りである彼らは己の仕事をものの十分で終えるのだった。
「出航する!」
「「「「アイアイサー!」」」」
和真の号令に応えた声が四つなのには理由がある。なぜなら、優が梅子の部屋で熟睡していたからだ。『揺り籠』の中で眠り続けていたとはいえ、人間の中でも大柄な和真に殺されかけた上に、風呂を覗かれそうになり、さらに自分が微妙な待遇を受けることになって精神的に疲れてしまったのだ。彼女は外から鍵が掛かった部屋で糸が切れたように寝ている。
出航した後、船の細かい進路調整などは十三に任せて和真はヒロとアキを連れて漁を始めていた。普段なら和真は十三と交代しながら舵を握るし、双子も周辺の見張りを行っている。しかし、昨日の甲殻魚との接触事故のせいで食料が全然足りない。このままでは餓死してしまうからこそ、仕方なしに糸を垂らしているのだ。三人は今日も大物狙いである。彼らの持つ中でも最大の釣り針に甲殻魚の肉でも臭いが強すぎて食用に向かない部位を付け、遺跡から発掘した強靭な繊維を束ねたテグスに装着してそのまま海に投げ込む。いわゆる、一本釣りだった。
「あー、やっぱ簡単には掛からねぇか。」
「お頭、短気は損気ですぜ。気長に待ちやしょう。」
「そうっすよ、お頭。そんなだから女にモテないんすよ。」
「あ゛あ゛!?」
アキの唐突な罵倒に、和真が鬼の形相になってテグスを握りしめる。するとギチギチとテグスから異様な音が鳴り始めた。
「短気なのは認めるがよ、それとこれとは話が別だろ!?」
「いやいや、お頭。俺達ゃお頭が器のデカい人だってしってやす。でも、知らねぇ女からすりゃあただのキレやすい荒くれ者っすからね。」
「そうですぜ、お頭。十年前に起こした事件、忘れたたぁ言わせませんぜ?」
「うぐっ!」
十年前の事件とは、和真がまだ学生だった時に起こした暴力沙汰の事だ。酔っ払って絡んできたチンピラを半殺しにした挙げ句、そいつらの所属する組織に殴り込みをかけて壊滅させたのである。和真にとっては若気の至りでやらかした黒歴史なのだが、その事件のせいで少しでも裏社会に通じる者ならば誰もが彼を恐れているのだ。『海城商会』に対してはどの組織もみかじめ料を取らない程に。
「あれから飲み屋の姉ちゃんから娼婦共までお頭に話しかけなくなりやしたぜ。そう言やぁ同級生もそうだったって言ってやしたね?」
「あ、兄貴!しーっ!」
「えっ?あっ!げぇっ!」
実は彼に女性が寄り付かない理由はもう一つあるのだが、それについては和真本人が気づいていないし教えれば教えた者が酷い目に会うので何も言えない。しかし、その制限が今は憎らしい。ヒロの追撃によって、和真は怒る所かいじけてしまったからだ。和真は焦点の合わない生気の無い目で虚空を見つめていた。
「お、お頭…言い過ぎやした。すいやせん。」
「いいんだよ…どうせ俺なんか…」
ヤサグレてしまった和真は自己否定する言葉を繰り返す。双子はどうやって復活させようか考えている時、和真の持つテグスが大きく動いた。魚が掛かったのである。
「お頭!魚!来てやすよ!」
「へっ…どうせ俺にゃ釣れやしねぇよ。」
しかしながら、和真の落ち込み様は双子の想像以上であった。今日の食事のため、彼らは和真に発破をかけることにした。
「お頭は頭もいい、腕っ節も立つ、その上漁まで得意なんですぜ?俺達ゃ一つもかなわねぇですぜ!」
「そうっすよ、お頭!お頭の良さがわからねぇ連中は目が節穴なんす!」
「本当か…?」
「本当!本当ですぜ!」
「間違い無いっす!」
「そっか…そうだよな!よぉし!見てろよ手前ら!」
先程までの暗い雰囲気はどこへやら、和真は一気に立ち直った。そして針に掛かった巨大魚との格闘に没頭し始める。何とも扱いやすい所がある船長だ。
「やっぱ甘いぜ、お頭は。」
「ちょろいっすね。」
「だからこそ、俺達が目を光らせなきゃあな。」
「わかってるっすよ、兄貴。」
しかし、二人の忠誠は本物であった。
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「《んぅ…ん。ここは…?》」
太陽が天頂に至る頃、優は眠りから覚めた。『揺り籠』の中とは異なる、外界での初めての睡眠は存外に心地の良いものである。これは失った記憶は言うに及ばず、頭に残った知識にも無い発見であった。
「《そっか。私、船で拾われたんだっけ。ふあぁ~あ。》」
優は欠伸と共に昨日の事を思い出す。特に船長と名乗った海城和真という大男だ。名前も外見的な特徴も日本人の子孫なのだろうが、驚くほど大きかった。目が覚めてすぐに殺されそうになったので、彼に対する第一印象は最悪だった。しかもその後自分のシャワーの覗こうとしたらしく、絶対に相容れない相手だと思っていた。
しかし、会話をしてその評価は一変した。何故なら、日本語を流暢に話したからだ。周りの会話から考えて、日本語は彼らにとって日常的に使う言語では無いのだろう。古代語、と言うべきかもしれない。それを使いこなす和真には間違い無く高い教養が備わっている。
一体、彼はどういう人物なのだろうか。そしてそんな男の部下であるここの船員達はどんな人々なのか。彼女が寝起きの纏まらない頭でそんなことを考えていると、扉に掛けられた鍵がガチャリと音を立てた。外から鍵が掛けられていたのだろう。入ってきたのは部屋の主である梅子だった。
「《あ、おはようございます。》」
「《起床。食事。摂取。》」
梅子はそう言って机の上にお盆を置いた。その上の皿には何かの魚で作られた簡素な料理が乗っており、美味しそうな香りが鼻孔をくすぐる。思わず涎が出そてしまいそうな程に十三の料理は魅力的なのである。
キュルルルル
嗅覚に触発されたのか、思い出したかのように優の腹の虫が可愛らしい音で鳴いた。女同士とは言え、恥ずかしくなった優は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「《大丈夫。冷却、前、摂取。》」
そんな事を言いながら、梅子はまた優の頭を優しく撫でる。これまでは単に女として同じ女性を助けてやろうと思っていただけなのだが、今の仕草で古代人も普通の年頃の娘と変わらないのだ梅子は悟った。その途端に、優のことがたまらなく愛おしく感じるようになったのである。
撫でられた優の顔は赤いままだ。しかし、先程までは羞恥心によって赤くなっていたのだが、今は違う。機械油の匂いが染み付いた固い掌から伝わる梅子の優しさが、優には非常に気恥ずかしくも心地よかった。
「《えっと、冷めない内に食べなさいって事ですか?》」
「《肯定。》」
「《じゃあ、いただきます。》」
優は両手を合わせて一礼すると、一口一口を噛みしめるように料理を口に運ぶ。初めて食べる魚の味は、天にも昇る美味しさであった。
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