第3話眠り姫?
「「「ウワーッハッハッハ!」」」
今日も大物を釣った三人は、素面であるにもかかわらず酔っ払いのように大笑いしていた。今日の獲物は槍角魚。確認されている魚類の中でも最速の部類に入り、鋭利な槍のような吻でどんな相手でも貫いて仕留めて肉を喰らう狂暴な巨大魚だ。自分よりも大きな相手であっても襲い掛かる海でも上位に君臨する化け物である。甲殻魚と同じく妙に知恵の回る魚でもあり、人間が他の魚よりも水中で弱いことを本能で知っているので、人間を見るや否や船を沈めて喰らおうとする漁師の天敵だ。
そんな相手でも和真は銛一本で容易く仕留めてしまう。こちらも十分に化け物と言えよう。ちなみに、この槍角魚も甲殻魚と同じく、肉は食用で残った部分も様々な用途がある。またもや思わぬ小遣い稼ぎが出来たようだ。
「潜水から帰って来たすぐ後に海中で暴れる元気があるなんてね。ほんっとに体力バカだね、アンタは。」
「おいおい、梅婆よぉ。文句を言うなら食うんじゃねぇよ。」
「何言ってんだい。こいつを料理したのは私の旦那さ。なら私にも食う権利はあるってもんさね。」
「その理屈はおかしくねぇか?まあいいけどよ。」
そんな口喧嘩をしながらも五人は楽しく食事を済ませて夜の支度に移る。基本的に夜は危ないので航海はしないのだが、時々無粋な連中が夜襲を仕掛けてくることがあるので見張りは必要なのだ。そして今日の夜の当番は和真である。潜水した日は無条件でヒロとアキは寝させることにしている。潜水は思った以上に体力を消耗してしまうからだ。
ならば和真も休むべきなのだが、彼は潜水と漁の後であっても平気な体力を生まれ持っている。これは無理をしているのではなく、本当にこれから徹夜しても平気なくらいにスタミナがあるのだ。そういう人々はスタミナが常人離れしているだけではない。驚異的な怪力に鋭い五感、更にそれらを十全に生かした戦闘力まで備えているのである。
こういう普通の人間を遙かに超える身体能力を持って生まれる者は時々現れる。稀少さで言えば超能力者と同等であり、且つごく稀に遺伝することから人類が過酷な環境に適応する進化の一形態とも考えられている。諸説あるので現代の科学では解明することは出来ないのだが、今は四人ともそのスタミナを頼りにしているのでった。
「ふぃ~。寒いな~。夜明けまであと…二時間か。」
そんな頼れる船長はというと、船首から身を乗り出して用を足していた。ジョボジョボと音を立てて、盛大に出しているのである。寝ぼけ眼を擦りながら立ちションをする姿は、傍から見れば何とも間抜けで頼りがいがあるとは思えないだろう。だが、そんな様子でも彼はキッチリ見張りの仕事はやっているのだ。
「…侵入者、か。船底に潜り込んでやがる。船底の穴を広げたのか?そんな音は聞こえなかったんだが…何にせよふてぇ野郎だ。」
彼は鋭敏な聴覚によって、波の音がする中でも船内の全ての音を拾っていた。四人の寝息や波に揺られて家具や船体が軋む音に混じって、船底で生じた聞き覚えの無い足音を聞きつけたのである。
ただ、船底の穴をこじ開ける音は立てなかったのに船内で足音を立てるというチグハグな行動に和真は疑問を抱く。しかし、奇妙だからこそ油断はできない。彼はランプを左手に、特殊警棒を右手に持った状態で船底へと降りて行った。
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「音がしたのはここだな。」
和真はコンテナ室前でそう呟いた。コンテナ室とは、文字通りサルベージ用のコンテナが収められている格納庫だ。何故格納庫と呼ばないのかと言えば、潜水服の格納庫とは別にしてあるからだ。どちらも商売道具として必需品なので、分けることでリスクの軽減を図っているのだ。コンテナ自体も稀少だが、今、その中には古代の遺産が所狭しと並んでいる。現在の『無頼丸』において、他の何よりも重要な場所なのだ。
「俺の船からブツ盗もうたぁいい度胸してんじゃねぇか。どぉりゃあ!」
和真は勢い良くコンテナ室の扉を開け放ち、ランプで室内を照らした。すると、一つの人影に遭遇する。向こうは突然の事に固まっているようだが、和真は動くのを許すほど間抜けではない。彼は半ば反射的に人影に飛びかかった。しかし、右手の警棒で殴る直前に、彼は思わず踏みとどまってしまった。その理由は二つである。
「お、女?」
侵入者は女だったのだ。それもそんじょそこらの女とは比較にならないレベルの美女である。サラサラと流れる生糸のような緑の黒髪に白く透き通った肌、女性らしく凹凸のはっきりした肢体。ぷっくりと瑞々しい唇とその下の艶黒子が妖艶さを醸し出している。鳶色の瞳は皿のように見開かれており、そこに浮かぶのは驚愕と恐怖だろうか。突然殴られかけたのだから当然の反応なのだが。
そんな美女は何故がずぶ濡れで、その上全裸であった。だからこそ和真が手を出すことを躊躇してしまったのである。しかし、余りの美しさと航海による女日照りで溜まっていた和真はもう一つの理由がなければ別の意味で襲っていたかもしれない。
「『揺り籠』が、開いてやがる…。まさか…!?」
そのもう一つの理由こそ、あの取っ掛かりすら見えなかった黒い筒『揺り籠』が開いていたことだ。しかも、その女はまるで蕾が開花したかのように開く『揺り籠』の目の前に座り込んでいる。まるでここから出てきたかのように。
「お頭!?大丈夫ですかい!?」
「無事っすか、お頭!?」
和真の声で飛び起きたらしいヒロとアキがこちらに来ているようだ。音からして十三と梅子もこっちに来ている。和真は慌てふためいた。この女が何者であるにせよ、この状況はマズい。とりあえず彼は見張り用の外套を脱ぐと、それを女に投げつける。和真の外套が女を覆い隠したと同時に、コンテナ室に四人の船員が駆けこんだ。
「無事かい!?」
「ああ、俺はな。ただ、こいつを見てくれ。」
「んな!」
全員の目を釘付けにしたのは、やはりぱっかりと開いた『揺り籠』であった。解体どころか鑑定する方法の見当すらつかなかった物体が、大口を開けている。太古の技術とは言え、その修理・復元・改造のプロフェッショナルを自負する梅子にとって、目の前の事実は受け入れがたいものがあるだろう。しかし、いつまでも『揺り籠』に眼を奪われているのは老人二人だけだった。
「お頭、後ろにいるのは誰でやすか?」
「侵入者っすよね?」
ヒロとアキの双子は和真が上着を被せた女を睨んでいた。そこでようやく、十三と梅子は和真の後ろに一人の美女が座り込んでいるのに気が付いた。殺意すら感じさせる二人の眼力に、女は動くことも出来ずに震え上がった。まさしく蛇に睨まれた蛙である。
「まあ、こんくらいでビビッてちゃ海賊たぁ言えねぇですぜ。」
「いやいや、兄貴。演技かもしれねぇっすよ?」
本気で怯える女を見てそれでも疑うのを止めないのは、流石は和真の両腕といったところか。ただ、彼らのボスである和真は彼女が何者であるのかについてある程度察しがついているので、慌てて二人を止めた。
「大丈夫だ。こいつは侵入者じゃねぇ。むしろ俺たちが連れて来たみてぇだ。」
「俺、たち?お頭、俺ぁそんな女知りませんぜ?」
「俺もっすよ。お頭の女っすか?」
「何トンチンカンなこと言ってやがる。こいつはな…」
「『揺り籠』に入ってたんだね?」
和真のセリフに被せるように梅子は正解を述べた。もっともったいぶって話すつもりであったのに、梅子に邪魔をされてしまった彼は年甲斐もなく口を窄めて拗ねている。そんな船長を無視して、梅子は和真のコートだけを羽織った女に近づくと、膝立ちになって彼女と視線を合わせた。
「アンタ、言葉は解るかい?」
「…。」
「じゃあ…《言葉、理解。可?不可?》」
梅子が二度目に話したのは古代語である。彼女は我流ではあるが古代の機械を扱える。そのためにはある程度の古代語を読める必要があり、最低限の単語ならば彼女も使えるのだ。
「なら…《貴方、戦争、知る?》」
女は驚いたように目を見開くと、コクコクと頷いた。それを見た梅子は険しい表情で和真の方を見る。すると彼も普段のふざけた態度などおくびにも出さずに眉間に皺を寄せていた。
「何かわかったのかい?」
「そうですぜ。俺たちにも解るように説明してくれよ。」
「そうっすよ。二人だけズルいっす。」
蚊帳の外状態の三人が痺れを切らせて口を開いた。すると梅子は和真に向かって顎をしゃくる。言いにくい事は彼に言わせるつもりなのだ。和真だって言いたく無い。十中八九、これを聞いた者は彼を大法螺吹きか狂人と捉えるのだから。
「この女、古代人だ。何千年、何万年前かは知らねぇがな。」
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何時までも裸に和真のコートを着せた状態で女性を放置するわけにもいかず、梅子は彼女を船の風呂に連れて行った。海水を真水に変えると同時に塩を抽出する古代の機械は偉大である。
「おい、お前ら。絶対に音を立てるんじゃねぇぞ?」
「わかってやすぜ、お頭。」
「もちろんっすよ、お頭。」
そんな風呂場には、当然ながら空気を換気するための通風孔が当然ある。サルベージ船は古代の遺産を魔改造したもので非常に錆にくいとはいえ、金属製であることには変わりはない。湿気対策は万全なのだ。
今、そんな通風孔内で、三人のいい歳こいた男三人が音を立てないように匍匐前進していた。目的は勿論、ノゾキである。
「古代人の生態を確かめる必要ってのがあるからな。」
「そうですぜ、お頭。」
「調査っすね、お頭。」
下らない大義名分を掲げているが、目的も動機も単なる煩悩から来るものでしかない。アホ三人が小声でそんなことを言いながら近づいていることなど露知らず、古代人の女はシャワーを浴びていた。彼女は戸惑いながらも、身体に纏わりつくヌメヌメした液体を流すために梅子の好意に甘えたのである。
心地よい温度の湯で全身を洗いながら、彼女は今自分が置かれている境遇について考える。先ほどの五人の見た目は、彼女の同胞である日本人そのものだと思われる。彼女の知る者たちに比べていささか、いや、かなりガタイが良いし肌も焼けているが顔立ちは同じ雰囲気なので間違いないだろう。しかし、彼らが話す言語は未知のものだった。かなり高度な教育を受けた彼女であっても聞いたことのない言語を、日本人と思われる民族が使っている。さらに、まるで外国人が話すような不自然なカタコトの日本語しか使えない事実。さらに世界中で散発的に発生していた戦争をまるで知らないかのようにワザワザ聞いてくる不自然さ。これが意味するところを理解できないのは、相当な間抜けか現実逃避でしかないだろう。ここは自分が生を受けた時代よりも遥かな未来である、ということだ。
その事実を受け入れざるを得ないと自覚した時、彼女はシャワーを浴びている最中であるにも拘わらず、驚くような寒気を感じた。それは、孤独感。彼女は異世界とも言える未来で目が覚めてしまったのだ。それは自分と同じ時代を生きた者が一人もいないことを意味する。自分は今の時代にとって、異物でしかない。その事実が重くのしかかり、彼女は自らの手で恐怖に震える身体を抱きしめることしか出来なかった。
「「「うぎゃああああああああ!?」」」
「《何!?》」
先の見えない恐怖に震えるのも束の間、突然、三つの声が重なった悲鳴が聞こえた。何事かと思いつつ急いでシャワーを切り上げて浴室から出ると、脱衣所では自分をここまで連れてきてくれた年配の女性が、苦々しい顔をして仁王立ちしていた。
「《あ、あの…。》」
「《仲間、無礼、謝罪。私、愚者、制裁。》」
カタコトであることに変わりはないが、相手の言いたいことは解る。意訳すると、『仲間が馬鹿なことをして悪かったね。私があの阿呆どもをぶっ飛ばしとくよ。』という感じだろうか。しかし、それにしても何があったのだろうか。その疑問に対しての答えは、女性から聞くことが出来た。
「《三、男、侵入、挑戦。私、罠、成功。》」
「《ええと?ひょっとしてノゾキですか!?》」
「《…肯定。撃退、成功。》」
ノゾキ魔は三人いて、それらは侵入ルートに仕掛けた罠に引っかかって撃退した、という解釈で間違いなかろう。なんて破廉恥なと思って赤面しつつも、彼女はどこか安心している自分がいることに気が付いた。
彼らにとって自分が古代人であるのと同時に、自分にとって彼らは未来人だ。彼女にとって、さっきまでの船員五人は得体の知れない相手でしかなかった。そんな何年経ったか解らないほど未来に生きる彼らにもノゾキという概念が存在し、しかもそれを彼らにとって得体の知れないはずの自分に対して実行した。それは彼らにとって、自分が忌避すべき対象ではなく、単なる女性として見ていることの証ではないだろうか。そう思うと、何故か彼女の気は楽になった。
「《風呂、快適?》」
「《ええ。とても気持ちが良かったです。ありがとうございました。》」
「《ドウイタシマシテ。》」
感謝して頭を下げた彼女に、老婆は微笑みながら発音がどことなく怪しいが日本語で返してくれた。その細やかな気遣いがとても嬉しく、彼女は思わず泣き崩る。それを勘違いした梅子が数分後に三馬鹿をタコ殴りにすることを、古代人の彼女はまだ知らないのだった。
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