第8話

【しち】



タイムトラベルでもあるまいし、と言おうと思っていた。勿論、揶揄する目的で。


「否定しないんですか」

遠藤の様子を観察するに、彼は毛頭否定するつもりはないらしい。冷やかしでも何でもなく、それどころか、照れもせずに空想科学小説のような話を展開し始めるので、左記子は少々面食らっていた。

「私、さすがについていけないです」

無意識にかぶりを振りながら左記子は息を吐き出した。

「時間の研究と言ったって、限度はあるでしょう。どんなに研究したところで不可能が可能になったりはしないでしょう。私にだって分かります。タイムトラベルなんて。そんなの不可能だって」

「どうして、ですか」

遠藤があまりにも淡々と訊いてくるので左記子はやきもきしてくる。

「どうしても何も、だってそうでしょう? 皆知っています。時間は進んでいく一方で戻らない。一定の速度で、一定の方向に流れてる。飛び越えも飛び戻りも回転も歪みもない。言うまでもないことですよね」

遠藤は少しも感情的にならずにそうですね、と返した。

「既存の考え方では、確かにそうでしょう」

「既存? 」

「なに、簡単なことなのですよ。少し視点を変えれば簡単なことだ。いや、既存の考え方が間違っていると言いたいわけではなく」

遠藤は少し考えるように両手の指を組んだりほどいたりした。

「トリックアートというものがあるでしょう。あなたも一度は見たことがあるはずです。あれは、一度ひとつの絵に見えてしまうとなかなか他の絵柄が隠されていることに気づかない。でも、他の絵柄は確実にあって、それに気付いて仕舞えばあとは簡単です。その絵の仕組みが見えてくる。時間に関しても同じことです」

「よく──分かりません」

小さな声で呟く左記子に遠藤はほんの僅か困惑したように顔を傾げ、それから胸ポケットからメモ帳とペンを取り出した。そしてさらさらと何かを書きつける。書き終えると、メモ帳を左記子に差し出した。

X──Y。

メモ帳の端と端にそれぞれXとYのアルファベットが記され、その二つの記号を繋げるように細長い直線が引かれていた。たとえば時間軸から考えてみましょうか、そう言って遠藤は説明を続ける。

「過去をX、未来をYとします。時間は必ずXからYへ流れます。これは動かしようのない事実で、絶対に変えられない。既存の考えも何も無い。 でも」

ペンの色を赤に切り替えて、遠藤はその線の中心に垂直の棒を書き足した。

「奥行きです」

この線は上下左右に可動可能だとします、と垂直に書き足した線のそばに、上下左右の矢印を更に加えた。

奥行き。時間の奥行きなど、今まで考えたこともなかった。

「じゃあ、理論的に時間を戻すことは本当に可能なんですか」

昨晩見かけた梅渓ハツは、本当に高校生の梅渓ハツだったということなのか。

「結論から言ってしまうと、正確には戻るわけではありません。そこは覆せませんから。普段私たちは時間というものを一次元的にしか捉えていませんが、本当にそうなのかは実は分からない訳です。では奥行きはどうだろうと。奥行き、つまり時間を三次元のものとして捉えた訳です」

私はつまり、そういう研究を何十年もしてきました──姿勢を戻しながら、懐かしむように遠藤は語る。

「私の持論を聞く方々の殆んどは、あり得ないことだと笑いました。実際これは証明するのにとても厄介な理論でしたね。目に見えないものですし、証明されるまでの時間がかかり過ぎますから。でも、結果として今は確信しています。時間とは三次元の性質を有しているものです。その理論に基づいて最も分かりやすい形で示そうとした結果、ATT開発に繋がったわけです」

だからつまり、ATTとは何なのだと左記子は思う。遠藤が言うに、時間は実際には戻る訳ではないらしい。では、昨日十代のままの梅渓ハツを目撃するに至ったのは何故なのか。あの現象は何なのか。左記子は未だ具体的な説明を受けていない。

「ATTって、具体的にどういうものなんですか。何か機械みたいな装置なんですか」

左記子が現に入り込んでしまった“これ”は一体何なのだ。

「言ってしまえば概念ですね。物質の装置があるわけでは無い。私が発見した時間の法則に基づいて、条件を満たすように調整しているのです。その概念をこの列車に当てはめています。列車自体は昔運行していた普通の列車で、私が買い取りました。そして、当電鉄は時間の“奥”のスペースを利用し運行しています。」

「奥──」

遠藤が図で示したあの赤い線。通常の時間の向こうに存在する、奥の時間。

「上下左右に動くと言った、あれですか」

「そう、ですからあの赤い線がXの方に傾くと、行ける訳です」

──過去に。

「“準”過去、とでも言いましょうか。そういう所に行ける訳です」

「準? 」

正規の時間の奥なので現実が薄くなる傾向があるんですよ、とまたしても難解なことを遠藤は付け加える。

「ああ、あなたはもしかするともうかなり薄くなってきているのかもしれない」


突如気づいたかのように遠藤は呟いて、そうですね、確かに説明不足だったかもしれません──と静かに居住いを正した。

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